第57話


 あれからアルシスカと話を続けていたが、途中で急に意識が途切れそうになる。


「……ん?」


「なんだ、どうした?」


「いや、急に眠気が……」


 異世界風モンスターピッツァの話に眠くなる要素はなかったんだが。


「お前は何かあっさり『外なるもの』を撃退したと言ってたが、実際はギリギリだったんじゃないか?」


 おっ、心配されてるのかな。


 アルシスカにもとうとうデレ期が来たか?


「まあ確かに精神とか魔力を直接削られて死にかけたな」


「正直気になるが……聞くのは後にする。もう休んだらどうだ?」


 結構打ち解けてきたのか、言葉にも遠慮がなくなってる感じがある。


 まあ、たぶん良い傾向だろう。


「スライムに転生してから眠くなった事なんて一度もないんだがなぁ……」


「精神とか魔力を削られる経験はあるのか?」


「ない――」


 話を続けていると、今度はバランス感覚を失って体が壁にぶつかる。


 視界が端から真っ黒に染まっていく。


 意識が沈んでいく。


「おいッ!」


 声を掛けられた事で意識が浮上し、視界が明瞭になった。


 壁だと思ったのは、実は床で、倒れてしまったらしい。


 鉛の様に思い腕に力を込めて起き上がる。


「……どういう状態だ?」


「こっちの台詞だ……ちっ、ベッドがある場所まで運んでやる」


 そう言って俺の手を掴んで引っ張っていくアルシスカ。


 引っ張られる感覚があるが、自分が歩いているはずの床の感触が無い。


「(こんな経験……いや、前世でならあるか?)」


 鈍る頭を必死に回し、どうにか類似する状態を思い出す。


 思い当たるのは酒を浴びるほど飲んで泥酔した時の感覚だ。


 だがこの身体で泥酔などするはずもない。


 手の平に感じていた熱が消える。


 恐らくだが、ベッドに運び込まれたのだろう。


 平衡感覚はおろか、五感すら全て消えてしまっているようで、現実から隔離されたような錯覚を受ける。


「(転生したてを思い出すな)」


 そんな事を思いつつも、思考はギリギリ保てている。


 一瞬でも気を抜くと、どこまでも続く奈落に落ちてしまような、嫌な想像が浮かぶ。




 唐突に、五感が戻る。


 浮遊感と落ちていく感覚が全身を刺激する。


 内視鏡で見た人の体内のような、赤とピンクの入り混じった肉質な洞窟を、頭を下にしてどこまでも落ちている。


 まるでさっきの想像が現実になったかの様な光景。


「なんだ、これは……?」


 独りでに言葉が口から零れる。


 夢でも見ているのだろうか。


「夢……あっ」


 最悪の考えが浮かんできた。


 しかし焦ってもこの状況は解決しない。思考を整理しよう。


 異夢の秘薬……これをもって人は眷属へと変貌させられる。


 精神は『外なるもの』に連れ去られ、肉体は変貌し、空となった器には精神生命体となった眷属が入り込める。


 眷属が精神生命体だというのなら、現実との行き来はどのようにしているのか。


 どのような道があるのか。


 その答えとして、変貌した器そのものが、夢の拠点から現実へと眷属が来るための道標になっていると思っていた。


 現実と夢の境界を渡る道であり、道の在りかを示す標でもあるのだと。


 これなら距離を無視して死んだ瞬間に別の体で復活できる。


 考えとしては大体合っていると思う。


 秘薬は夢現ゆめうつつを繋ぐ道となっていた。


「人体が変貌しても、秘薬は消費されてない。あるいは、人体が変貌したんじゃなくて、秘薬が変化したのか……とにかく、秘薬が形を変えようが変えまいが、器の中に残り続けていた」


 言葉にして、現状を把握する。


 眷属を吸収した事が、この「夢」の原因だろう。


 俺は異夢の秘薬を摂取した状態になっているようだ。


「もう『外なるもの』とか眷属とか、絶対吸収しない……」


 後悔先に立たず。


 切り替えよう。


 この状況をどうすれば打破できるのか。


「薬キメて即眷属化って話じゃなかったよな……ある程度の段階があるはず」


 とはいえ、俺は大量の眷属を吸収してしまっている。


 用法用量をガン無視して過剰摂取オーバードーズしたようなものだ……どんな異常が起きるか想像もつかない。


「さっきは想像が形になってこうなった……なら、これは明晰夢のようなものか?」


 自分の想像通りの夢を創造できるって事だな!


 ……ちょっと冷静になろう。


「この自由な夢の創造……実は危ないんじゃないか?」


 たしか夢に魅了されていくと、最終的に『外なるもの』に魂を抜かれるのだから、ここで理想の世界を作ったら敵の思惑通りにしかならないと思う。


「このまま目が覚めるまで落ち続けるのも有りだな」


 理想でも何でもない夢。


 むしろこんな気味の悪い夢は、悪夢の部類だ。


 下手に何かする方が悪手になりかねないのなら、何もしないというのも一つの選択だろう。


 何もせずに落ちる。


 落ちる。


 どこまでも落ちていく……。




 ――はずだったが、気が付くと日本に居た。


 住宅街だろうか、見覚えのある一軒家が目の前にあった。


 家の入口に、生前の数少ない二人の友人が俺を手招く。


「あ、有戸くん。こっち」


 一人は医者をやっていて、無駄にお人よしな奴だった。


 医者の不養生なんて言葉がこの上なく似合う男で、患者を心配するよりも、患者から心配される方が多かった。


「早く来てください。来ないと貴方の家にトリカブト植えますよ」


 もう一人はサラリーマンやってるが、イカれた思考の持ち主だった。


 リーマンになる前は屠畜場で働いていたという話だが、周りがドン引きするくらい良い笑顔で働いていたのでクビになった男だ。


「どんな脅しだよ……」


 あまりの懐かしさと、もう届かないはずのものが目の前にあるせいか、様々なものがこみ上げてくる。


 色々馬鹿やってた日々が思い返される。


「ほら、行こう?」


 どこへ?


「家にですよ。誰が管理をしていたと思っているんですか?」


 俺の家を、お前らが?


「そうだよ、僕たちは……」


 その言葉を遮り、右手に『加速』『硬質化』を宿して放つ。


 友人の形をした、別の何かの頭を砕く。


 妙に生々しい感覚と共に、赤い花が咲くように血肉が飛び散った。


 吐きそうだ。


 もう一人の何かが口を開く前に、左手も同様にして頭を砕いた。


 これが現実ではないと分かっていても、友人の形をしたものを殺すというのは精神的にくるものがあった。


「……あいつらはな、理想通りになんて動かない」


 医者の方は、救える命があるなら、何においてもそれを優先した。


 助けなくてもいい奴まで助けて、無駄に恨まれたり、挙句逆恨みまでされていた。


 ロクな最期じゃなかった。


 そのくせ本人は何の不満もなさそうに逝ったんだから、気が知れない奴だったよ。


 リーマンの方は何をしでかすか分からん奴だが、確実に言える事はある。


 殺しに芸術性を見い出し、その探求が三度の飯より好きな奴が、出迎えなんぞするはずもない。


 実際のあいつは「そんな暇があったら蟻でも殺してた方がマシ」とでも言い張るだろう。


 今思うと、何で友好関係が築けていたのか分からない奴だった。


 いや、当時でもそう思っていたな……。


 とにかく、あいつらは俺の出迎えなんてする奴らじゃない。


 そんな事よりも優先すべき事が沢山あるやつらだったんだ。


 だとすれば、これは誰かの理想で作られた幻想に過ぎない。


「…………まあ、俺か」


 気持ち悪い。


 理想の味方も、敵も、他人も、現実には一人だって居やしない。


 そんなものは、頭の中で勝手に作って、レッテルとして押し付けている「個人的な意見」に過ぎない。


 自分の中の醜い理想を見せられるというのは、酷く気持ちが悪かった。


「何が魅惑的な夢だ……」


 荒唐無稽な悪夢よりも悪夢だろ。


 そう吐き捨てると、日本の風景が砂の様に崩れていく。


 崩れていく景色の先には、美しい海底が広がっていた。


 水の透明度が高いのか遥か遠くまで見通す事ができ、水面は見えない程に遠いが、ゆらゆらと幻想的な光りが上から差し込んで海底を照らしている。


 色とりどりのサンゴ礁の間を、大小様々な魚が自由気ままに遊泳している。


 まるで人々の理想の海を描いたかのような世界がそこにあった。


 そんな海底の理想郷には、一つの神殿が建てられている。


 荘厳、雄大、神聖、そういった感想を抱くに足るほどの巨大建造物だ。


 俺の夢ではなさそうだが……。


「ここは……もしかして眷属の拠点か?」


 えぇ……気分悪いから帰りたいんだけど。




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