第53話


 ※ 三人称視点



 教会の居住区の奥は、倉庫として利用されている場所だ。


 幅は人が四、五人並べる程度。奥行きはその三倍ほど広い。


 祭典の際に使うための祭具や、儀式に使える品々が保管されており、雑多に木箱や棚が並んでいる。


 眷属から司教を守る二人は、そこにある様々な道具を使い、十全な準備を整えたつもりだったが、想定以上の攻勢によって窮地に立たされていた。


 現在は最終防衛ラインである倉庫にて敵を待ち構えている状態だ。


 司教は倉庫の奥の隅に、木箱や棚を使って隠し、暴れられないよう簀巻きにして置いてある。


 倉庫の入口を塞ぐバリケードが大きな音を立てて砕かれ、崩れていく。


 伸ばした手の先すら見えなくなるほどの濃い粉塵が舞い上がった。


 構わず雄叫びを上げて雪崩れ込んでくる眷属だが、最初に突撃してきた奴から順に倒れていく。


 この効果も二人が用意した罠によるものだ。


 異様に濃い粉塵には、麻痺性の毒粉が含まれている。


 バリケードに仕込ませておき、壊された時に発動するよう仕掛けられていた。


「止まれ! 何か撒かれてる!」


 先頭集団が倒れた事に気付いた眷属が声を張り上げるが、興奮状態にある後ろの眷属から押し出され、そいつも倒れる。


 麻痺毒にやられた眷属が五人ほど発生した所で、ようやく勢いが止まる。


 僅かな膠着状態が発生した。


 ソノヘンニールが小声でクタニアに問う。


「バリケードが壊れるまでに何人やれましたか?」


「三人です」


 小声で返すクタニア。


「(これで敵戦力は十一)」


 最初に来た敵の数が四十である事を考えれば、随分減らせたと言える。


「この煙どうする!?」


「魔法か魔術で霧出せる奴はそれで煙を巻き取れ!」


 粉塵に対処している間に最後尾に居た眷属が倒れる。


 ソノヘンニール達も、ただ黙って待っている訳ではない。


 彼は大きな木の板で扇ぎ、粉塵を奥の眷属にも届くように粉塵を吹き飛ばす。


 そしてエコーロケーションで一人倒れた事を確認した。


「これ以上好き勝手やらせるな!」


「じっとしてられるか! 俺が行く!」


「おい、待て!」


 仲間の制止を振り切り、先走った眷属が口と鼻を衣服で多い、目を瞑って突撃してくる。


 粉塵を抜けた瞬間、ソノヘンニールはそいつの膝を蹴り砕き、倒れた所に追撃で両肘を壊す。


「(敵は残り八……!)」


 眷属は打撃音と、誰かが倒れる音が聞こえた後すぐに銛を投擲した。


 僅かに見えた希望に気が緩んだのか、ソノヘンニールはその攻撃を避け損なう。


「……っ!」


 被弾個所は足、幸い「あご」の部分まで食い込む事は無く、しかし軽傷とは言えない傷を負った。


 回復を行おうとするクタニアを手で制し、魂を抜き取る奇跡の継続を頼む。


 医療用魔術は『再生』以外にも『血液凝固』という、傷口から血が零れるのを止めるための術もある。


 それを使用する事で出血を止めるソノヘンニール。


「(もう、魔力はほとんど残ってませんね……ここからは肉弾戦のみになりますか)」


 そして魔力もほとんど使い切ってしまう。


 体力も限界に近く、息も上がっている。


 粉塵越しの攻防の後、霧が現れて粉塵と混ざり、水に戻って床に落ちる。


 眷属は多くの犠牲を出して、最終防衛ラインである倉庫に足を踏み入れた。


 もっとも、眷属らは本当の意味での死者が出ているとは思っていない。この時は、まだ。


 言葉も無く、眷属は殺意を滾らせて突撃してくる。


 口元を布で覆っている姿を見るに、また粉塵の罠がないかを警戒している事が窺える。


 先陣を切る眷属は二人のみ。


 数で勝る眷属だが、倉庫の幅の狭さと、様々な物品が障害となる事で数で押すという事が困難になっている。


 殺意をもって振るわれる銛を、必要最小限の動きで躱しながら徐々に後退する。


 後列の眷属達は、奥に居るクタニアを目敏く発見し、そちらに銛を投擲した。


 クタニアは素早く棚の影に隠れ、攻撃をやり過ごす。


「くそっ、手持ちの銛がもう無い!」


「後ろから拾ってきた分がある、使え!」


 合流した方の眷属が背負っていた銛を仲間に手渡し、そこで急に生気が消え失せて倒れる。


「畜生!」


「奥に居たアイツに違いない! 当てろ!」


 正教会の司祭であるソノヘンニールにこのような術は使えないと判断した眷属は、後ろに控えるクタニアに狙いを定める。


「私は、大丈夫、です!」


 殺気を向けられるクタニアだが、ソノヘンニールの集中を阻害するまいと、震えながらも声を上げる。


「(今は、信じるしかありませんね……っ!)」


 前衛の眷属が鋭い渾身の突きを放つ。


 ソノヘンニールは辛うじて攻撃を逸らし、木箱へと誘導し、貫かせた。


 眷属は木箱に突き刺さった銛を引き抜こうとするが「あご」が引っかかって木箱ごと引き摺ってしまう。


 銛を諦め、手を離して下がろうとする眷属にソノヘンニールが迫る。


 その隙をカバーするようにもう片方の眷属が銛を振るうが、下がる眷属を掴んだソノヘンニールは、その眷属の腕で銛を防ぐ。


「あっ!」


「いぎゃっ!」


 攻撃した眷属は仲間を攻撃してしまった驚きと罪悪感で、戦闘中である事を一瞬忘れてしまう。


 盾にされた眷属は痛みのあまり、全身の力が抜けてしまった。


 その隙を見逃すソノヘンニールではなく、攻撃してきた眷属の顎を打ち上げるように殴り飛ばす。


 眷属は背中から倒れると、そのまま動かなくなった。


 盾にされた眷属は関節技によって腕を壊されたあと、ソノヘンニールによって木箱の下敷きにされて行動不能になった。


「(あと、五)」


 限界が近いのか、ソノヘンニールの視界は霞んでいた。


 絶えない耳鳴りと、血の臭いが鼻の奥にこびり付いて離れない。


 痛みは既に無く、全身を巡る熱と冷たさだけが、生きている事を教えてくれる。


「後列はあの女を狙え! 手を緩めるな!」


 士気を落とさないよう意気軒高に叫ぶ眷属。


 再び二人の眷属がソノヘンニールに向かう。


 曖昧な視界。鉛のように重い身体。耳鳴りのせいで良く聞こえない声。


 それでも、エコーロケーションという種族的な技能によって、彼はまだ戦えた。



 ソノヘンニールは今、殉教者の境地にあった。


 そんな彼の内心には、教会から動けず、何もできずに終わるはずだった自分の運命を変えてくれた、アリドに対する感謝があった。


 五年前に司教を守れなかった事から始まり、今に至るまで、人民の不幸に付け込み悪意の限りを尽くす外道共を、ただただ眺めるしかできなかった日々。


 色褪せていく日常。力を増していく敵。それを止める事もできない己の無力。


 いつか来るであろう眷属達の進行に、せめて信仰に準じた終わりを迎えるのが、自分のできる全てだと思っていた。


 その停滞の時間は、彼の心を諦観と絶望で埋めるには十分な長さだった。


 思いがけない転機が、彼との出会いによってもたらされた。


 彼は機転を利かせ、瞬く間に敵の特定を行い、更には敵が動かざるを得ない状況に追い込んだ。


 そうして勝機を作りだした。


 自分だけでは絶対に不可能だった。


 おそらくは死神の聖女たちも、彼女らだけでの対抗は無理だっただろう。


 それが今、ひっくり返ろうとしている。


 無意味が有意義に、絶望が希望に、敗北が勝利に。


 そこに、自分の命を捧げる事に、何の躊躇ためらいがあろうか。



 眷属の振るう銛を捌くソノヘンニール。


 木箱や棚、時には祭具まで使い、投げ飛ばされる銛を器用に回避するクタニア。


 更に一人の眷属が倒れる。


「なんで……なんで増援が来ないんだ!?」


 動いている眷属はついに残り四人となり、不測の事態に動揺の叫びを上げる。


 後列の眷属が、祈りを込めて後ろを振り返る。


 そこに、一人の人影が現れた。


 待ち望んだ増援が来たか――と思ったが、その期待は即座に裏切られた。


 眷属ではなく、黒頭巾で顔を隠した鼠の獣人、アルシスカの姿があった。


 彼女はすぐさま後列の眷属に対し、関節を狙って短剣を突き刺す。


「ぎゃあああああああ!」


 後ろからの悲鳴によって、前列の眷属も絶望の表情を浮かべる。


 なぜ増援が来ないのか、なぜこちらが追い詰められているのか、なぜ、なぜ……。


 様々な「なぜ」が頭の中で溢れ、戦闘に集中できなくなる眷属達。


 勝てる。


 三人がそう確信した時……ソノヘンニールの脇腹を一本の銛が貫いた。


 彼の口から血が溢れる。


 彼は既に痛みを感じなかったが、一瞬凄まじい熱を感じた後、急激に全身が冷たくなっていくのを感じた。


 銛で貫いたのは前列の眷属二人ではない。


 味方を攻撃してしまい、顎を殴り飛ばされた眷属が、這いずり、散らばる物の間を通って、横に回り込んでいた。


 この眷属はしばし動かなかったが、気を失ってはいなかったのだ。


 限界寸前の体力、魔力の枯渇、それらによって威力が不足したようだった。


 ソノヘンニールは這いずってきた眷属の顎を蹴り飛ばし、今度こそ気絶させる。


 口から血を零しながら、腹部を貫く銛をそのままに、それでもクタニアの元に敵を通さんと、司教を守らんと、眷属の前に両の足でしかと立ちはだかる。


 その威容に、そしていつまでも来ない増援に、眷属達は完全に心が折れた。


 程なくして、三人は勝利を収める。


 だが、勝利の代価は、誰かが払わねばならないようだった。




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