第50話


 ※ 三人称視点



 日も沈み、誰も近寄らなくなったはずの教会の周囲を群衆が取り囲んでいた。


 群衆は誰もが魚のような顔をしていて、生臭いしおの臭いを漂わせる。


 手には海の魚や魔物の漁に使われるもりを持ち、革製の防具で身を固めていた。


 眷属の群れが正教会の司教を洗脳するため、大攻勢を仕掛けてきたのだ。


 群れの中心に居る眷属の隊長に、別の眷属が話しかける。


「窓が魔術で閉鎖されてます。以前より強化されていて、爆薬でもないと突破は困難かと……」


「流石に発破はできん。万が一にも正教会の司教が巻き込まれたら本末転倒だ」


 同様の理由で火攻めもできず、正面突破をせざるを得ないと眷属は判断を下す。


「正面から行くしかあるまい。慎重に行くぞ」


「了解」


 正面の大扉も閉まっているが、施錠も魔術による封鎖もされていない事は確認されている。


 他の侵入経路を塞ぎ、ここだけ解放してるのなら罠があると考えるのは当然。


 複数の眷属によって大扉が開かれる。


 不意打ちを警戒したが、特に何もなく、かえって怪訝けげんに思う隊長。


「……中を確認しろ」


「了解」


 不気味なものを感じつつも、教会内に足を踏み入れる。


 数人の眷属が足を踏み入れると、湿った音が鳴った。


「何だ?」


「分からない、粘着質で随分と歩き辛い」


「時間稼ぎか?」


 入口付近には粘着性のある液体が敷かれており、眷属の移動を阻害する。


 教会に入った眷属が、内部の様子を報告する。


「入口が粘つく液体まみれだ。移動に時間がかかる。それと人影は見えない」


「除去する時間は無いな……そうだな、魔術でも魔法でも良い、土を操れる奴は居るか?」


「はい、私ができます」


「板を作れ。持ち運べるサイズで、我々が踏んでも壊れない強度があれば良い」


「分かりました」


 このままでは入口で詰まり、数の有利を活かせないと判断した隊長が指示を出す。


 板を使い粘液を突破しようというのだ。


「粘液はここまでだ!」


 先に入った眷属の一人が粘液のエリアを突破したようで、声を上げる。


 そして急にバランスを崩して、床に倒れた。


 他の眷属達が近寄り、助け起こそうと声を掛ける。


「おい、大丈夫か?」


「足の裏に粘液が残って歩き辛いのは分かるが……」


 一人の眷属が倒れた眷属を立ち上がらせようと持ち上げる。


 だが、その眷属は脱力しきったままで、立つ事はなかった。


 流石に異常だと感じた眷属が脈を確認する。


「……死んでる?」


「嘘だろ?」


「何があった!?」


 板を敷き、後ろから来た眷属にこの事を伝えると、少し遅れて隊長にも伝わる。


「構わん、中身の無い身体を使って戻って来るはずだ。恐れず進め」


「分かりました、そう伝えます」


 そうこうしている内に、更に一人の眷属が倒れる。


「何をされているか分からんが、急いで司教を探せ!」


 嫌な予感が背筋を走り、隊長は大声で眷属達にげきを飛ばす。


「了解!」


 板を渡り、教会に入り込んだ眷属達は二手に分かれる。


 一つは先の少数精鋭の眷属が持ち帰った情報を元に、司教が居た部屋へ向かう部隊。


 もう一つは司教が動かされていた場合に、別の場所を探索する為の部隊。


 前者の部隊は少数で、後者の部隊の方が大人数となる。


 隊長も教会内部に踏み入り、別の場所を探索する部隊を指揮する。


「もし私が倒れても事前の作戦通りに動け……行くぞ!」


 先陣を切る隊長だが、早速足が止まる。


「罠がある、気をつけろ」


 回廊に細い糸が張り巡らされているのを見破ったのだ。


 水の魔術を使い、糸を断ち切ると、上から刺激臭のする液体が降ってきた。


「毒か? 呼吸する際には――」


 隊長の言葉がそこで急に途切れた。


 そのまま力なく倒れ伏す。


「隊長!?」


「うろたえるな! 事前の作戦通りにやれ!」


「布で口元を覆って動け!」


 指導者が居なくなり、僅かに混乱と動揺が現れるも、すぐに収まる。


 眷属達には「少しすれば戻って来るはず」という考えがあるためだ。


 精神生命体となった眷属達は肉体的な死を恐れる理由は無い。


 それが取り返しのつかない事態を招く事になるなどと、露ほどにも思っていない。


 恐れを棄て、眷属達は愚直に進む。


 回廊を抜ける扉が見えてきた所で、彼らは怨敵と対峙する事となった。


「このような夜更けに、そんな物騒な物を持って、教会に何の御用でしょうか?」


 正教会の司祭、ソノヘンニールがそこに居た。


 思わず足を止める眷属達。


 無言で睨みあう事数秒。


 唐突に眷属の一人が倒れた所で、他の眷属が叫んだ。


「時間は奴の味方だ! ビビるな! 殺せ!」


 殺意を滾らせて眷属達がソノヘンニールに迫る。


「(この場の眷属は二十七……九は司教様が居た部屋に向かったようですね)」


 ソノヘンニールはエコーロケーションで眷属の位置を特定し、必要撃破数の計算を行う。


 時間もないので大雑把に算出して、迎撃の構えを取った。


 回廊は大人数で戦うのに適さない場所で、当然一度にソノヘンニールに攻撃できる眷属の数は限られる。


 放たれる銛の一撃を躱し、カウンターで胴体に蹴りを叩きこんで、他の眷属と纏めて吹き飛ばそうとする。


 数人ほど巻き込むが、焼け石に水だ。


 即座に足を戻し、体勢を整えて次の攻撃に備える。


 単独では不利と悟り、眷属は息を合わせて左右から囲い込むように挟撃を行う。


 近接戦闘に自信のあるソノヘンニールも、これは回避に専念する。


 攻撃をさばききった所に、更に後列の眷属から複数の銛が投げつけられた。


 拳や蹴りで弾くものの、皮膚が裂け、血が舞う。


 続いて起き上がった眷属が突進してくるが、その途中で力を失くして倒れた。


「(残り二十六。この場であと八は減らしたい)」


 次々と向かって来る眷属の腕や足を砕き、二人ほど戦闘不能に追いやるソノヘンニール。


 だが眷属達も、彼にじわじわと傷を与えていく。


 一人、また一人と眷属も倒れるが、まだまだ数は多い。


 いかに彼が武術の達人であったとしても、一人では対処に限界がある。


「(物理的に殺す訳にはいかないというのが、思った以上に厳しいですね)」


 ソノヘンニールは自分の傷の具合と、魔力の残りを確認しながら考える。


 物理的に殺害すれば、この場は楽にはなるが、戻らない他の眷属に気付くだろう。


 その結果として、眷属は今度こそなりふり構わなくなるはずだ。


 爆薬だろうが何だろうが使って教会を攻め滅ぼしに来る。


 そうなれば対処は不可能だ。


 奴らが肉体的な死は無意味だと慢心している間に決着をつけなければならない。


「ぐうっ」


 度重なる猛攻の中で、ついにソノヘンニールは回避に失敗してしまう。


 眷属の放った銛の一撃が足の肉を深々と抉る。


「今だ!」


「やれっ! やれぇえ!」


 勢いづく眷属達。


 血走った目が憎悪と殺意を湛え、ソノヘンニールに注がれる。


 迫り来る眷属の一人から、生気が消える。


 ソノヘンニールは冷静にそれを見極めると、魂を抜かれた眷属の死体に全力の一撃を叩きこむ。


「オオラァッ!!」


 魔力によって強化された衝撃波が体内で反響し合い、増幅する。


 死体が盛大な音を立てて破裂し、肉や骨が勢いよく飛散した。


 死を恐れない眷属だが、生物に宿る以上、生理的な現象などからは逃げられない。


 突如として鳴り響いた大音量に、身を竦ませてしまう。


 あるいは、飛び散った血肉が目に当たり、思わず手で目を覆ってしまう。


 生まれたこの一瞬隙に、ソノヘンニールは魔術『再生』を使う。


 傷口が発熱し、蒸気のような白い煙を出しながら傷が塞がっていく。


 追撃が来る前に逃げて、背後の扉を開けて次のエリアへと後退した。


 扉の前にバリケードとなる家具を倒し、少しでも多くの時間を稼ぐ。


「(戦闘不能が二、魂を抜かれたのが三……残り二十一ですか……)」


 戦況を確認し、思ったより時間が稼げなかったと悔やむ。


 回復が終わると、急激に疲れがのしかかってくる。


 魔術『再生』は肉体の治癒機能を向上させるものだが、同時に体力を多く消費してしまう欠点があった。


「まだ、やれます」


 誰にともなく呟く。


 過去の経験が、彼の信仰が、そして仲間アリドへの感謝が、彼の闘志を再燃させる。


 残る迎撃エリアは二つ。


 ここが突破されれば、次が最終防衛ラインになる。


 銛で扉を破壊され、バリケードを破られるまでの間に追加で一人、眷属が倒れたのが見えた。


「(あと二十)」


 ソノヘンニールは拳を構え、眷属を迎え撃つ。


 夜は長く、深く、夜明けは未だ遠い。




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