第41話
※三人称視点
港町ランゴーンの外れにある教会は、由緒ある長い歴史を誇る建造物だ。
海神の使徒によって建造され、豊漁祈願や海路の安全祈願などで賑わっていた。
しかし時代は流れ、今となっては人の寄り付かない寂びれた場所となった。
ある者は罪悪感から、ある者は信仰の喪失から、ある者は嫌悪から……。
様々な理由で近づかない町の人々だが、町の外から来た邪悪なモノも近づけなかった。
理由は至極、単純明快。
悪意を気取られる為だ。
教会の守護者として立ちはだかる司祭、ソノヘンニールの力によって、邪悪な眷属達はその悪意を叩き潰されてきた。
いかなる手段か、ほとんどの人が知らないが、彼は人の心理を容易く見抜く。
彼の前で僅かでも悪意を抱けば、たちどころに気取られてしまうだろう。
長い間、眷属達はあの男に悩まされてきた。
しかし今、まさに千載一遇のチャンスが巡ってきたと眷属達は喜んだ。
眷属の協力者からの情報によれば、その男が僅かながらも教会を離れると言うではないか。
薬を司教に飲ませるまでは上手く行ったが、その先に辿り着けなかった。
眷属にとって、司教の洗脳、眷属化は極めて重要な案件だ。
故に万全を期して、守護者が不在であっても油断する事なく準備を終えた。
眷属達の中でも隠密行動に優れる者を数名選び、少数精鋭で素早く司教を誘拐し、完全に堕とそうと画策する。
選ばれた五人の眷属が、人目につかぬよう注意しながら教会へやって来た。
一人が中を確認し、誰も居ない事を確認すると手で合図を送る。
素早く入口に集まった眷属らが内部へ侵入し、司教の部屋を手分けして探す。
これらの行動は事前に計画され、後はその通りに動けば彼らの任務は遂行されるはずだった。
教会の二階にある一室の前で、一人の眷属が扉に耳を当てて中の様子を窺う。
耳ざとく一人分の呼吸音を聞き取り、音を立てないようゆっくりと扉を開ける。
部屋の中にはベッドに横たわり、虚ろな顔でただ呼吸を繰り返す、衰えきった老人の姿があった。
「(目標を発――)」
突如、眷属の視界が下を向き、床の絨毯が徐々に近づいてくる。
それが、眷属が見た最期の光景だった。
一方で、他の四人の眷属は一か所に集まっていた。
「一人戻って来ない」
「担当するエリアを探し終えたら合流する手はずだ」
「終わってないのか、あるいは目標を見つけたのか?」
「我々も奴の担当した場所に向かうぞ。不測の事態にも対応できるよう注意を払え」
眷属達は事前の取り決め通りに動く。
事前情報では、今教会に残っているのは目標である司教とシスター二人のはずであった。
もしかしたら、そのシスターと遭遇して時間を取られたのかもしれないと判断し、戻らぬ一人と合流を目指す眷属達。
階段を慎重に上り、四人で死角が生まれないようクリアリングをする。
長い通路には誰も居ない。
耳を澄ませるも、何も聞こえない。
静けさのあまり耳鳴りが聞こえるほどだ。
一人が小声で話す。
「あいつの気配が感じ取れない」
他の面々もまた小声で返す。
「何かあったと見るべきだ」
「シスターが二人居るはず。それにやられたか?」
「戦闘音は聞こえてこなかった。不意打ちに注意しろ」
残った四人は周囲を警戒しながら、しかし急いで探索を行う。
やがて彼らは一つの扉の前に辿り着く。
そこであるものを見つけた。
「……見ろ、血痕が」
扉と床の間に僅かに残った血の跡。
彼らの嗅覚であれば、注意深く嗅げばそれが新鮮なものであると気付ける。
しかしこの場合、気付いた事が仇となった。
しゃがんで血痕を確認しようとした眷属の頭が、扉を突き破って出てきた足によって蹴り飛ばされる。
どれ程の威力があったというのか、首が折れるどころか、千切れてボールのように跳ねていく。
跳んで行った仲間の頭を目で追って、扉に戻した瞬間、また一人の眷属の頭が、硬いものに叩きつけられたスイカやザクロのよう、その中身をぶちまけた。
扉は原型を残しておらず、僅かな木片と金具がキイキイと音を立てている。
本来扉があった場所、そこには一人の男が立っていた。
眷属にとって、幾度となく苦汁を飲まされた怨敵であり、触れてはならない天敵でもあった教会の守護者。
その男の名はソノヘンニール。
修羅の如き威容を見せられ、残された眷属は己の表情が引き攣るのを、ありありと自覚できた。
跳ねる心臓、早まる呼吸、ぶれる視界。
それでも咄嗟に距離を取り、武器を構える二人の眷属。
彼らは眷属の中でも実力者であり、一般人に比べればかなり強い。
彼らもそういった自負を持っている。持っていた。
その自負は、たった今、仲間の命と共に崩れ去った。
残った眷属達は目を合わせ、もしもの時の計画を実行する決意をする。
一人が司教を誘拐し、他の残った眷属は決死の足止めをするというもの。
「(俺が足止めをする)」
「(分かった)」
視線だけで行われたやり取りは一瞬。
ただ、その一瞬であっても、目の前に居る男にとっては隙でしかなかった。
動き出そうとした瞬間、魔力の波が物理的な衝撃を伴い二人を襲う。
吹き飛ばされないよう足に力を込めてしまう眷属。
その場から動けなくなった所を、ソノヘンニールの一撃が貫く。
眷属も防御はした。
しかし、それは何の意味もなさず、まるで冗談のように腕が、顔が、弾け飛んだ。
イルカの魚人である彼にはエコーロケーションが使え、その為に必要なメロン器官と呼ばれる、大雑把に言えば音波を収束できる器官を持つ。
これと魔力の組み合わせによって、肉体の結合組織を分解してしまう恐ろしい技を放つのだ。
だが、実のところ本人はその理論を良く分かっていない。
修行中、何となく使えるようになったから使っているという。
本人はただ相手を弱体化させるだけの技だと思っているが、実際はそれどころではない。
「う、うおおおおおおお!!」
傷一つ与える事も出来ずに自分一人になってしまった眷属は、せめて一太刀でも浴びせようと突撃する。
ソノヘンニールは慌てる事無く振るわれた武器を躱しながら拳を構える。
眷属の顔に絶望が広がる。
放たれた一撃が、その表情ごと消し飛ばした。
「…………」
本来であれば慎ましくも厳かな通路には、
ソノヘンニールは速やかにエコーロケーションを行い、周囲の状況を確認する。
司教の状態……ベッドで寝ている。
避難させていたシスター達……無傷で生存している。
追加の敵の有無……迎えと思われる部隊を遠方に発見。
即座に新たな敵が来るような事態にはならないと判断し、ようやく一息つく。
「……ふぅ、アリドさんは、やはり敵ではありませんね」
実はまだ、ソノヘンニールはアリドに対して半信半疑だった。
「混沌神の使徒……本物なのでしょうか……?」
教会の歴史はおろか、世界中の国にもその存在が確認された事はないのだから、疑いたくもなるというものだろう。
アリドは真実しか言っていないが、常識的に考えて簡単に信じられるものではない。
明らかに人の範疇を越えた力を持った人外……更にそれが高い知性を備えて人間社会に紛れ込んでいるのだ。
これを警戒するなと言う方が無理がある。
しかしながらソノヘンニールは人の悪意のみならず、善意にも敏感だ。
故にアリドが司教が受けた仕打ちに強い嫌悪を示した事や、普通に感謝を口にしたり、真剣に眷属を出し抜く作戦を考える姿を見て、その善性を信じたくなったのだ。
たまに小狡い所もあるが、あの程度であればソノヘンニールからすれば愛嬌の内に入る。
実際にアリドの作戦通りに相手は動き出した。
最早、信じるか疑うかを論じる段階ではない。
「アリドさん、貴方を信じます――海神よ、どうか彼に
下水道にも別の何者かが向かっている事は気付いていた。
不安はある。
だが、信じると決めたのだ。
アリドが上手くやれるよう、ソノヘンニールは海神の聖印を手で結び、祈りを捧げた。
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