第29話


 簡易な地図に記された宿に到着した。


 年季の入った二階建ての建物だ。看板には「アリーカホテル」と書かれている。


 中に入ると古びてはいるものの小奇麗に保たれた内装が目に入る。


 カウンターにはその清潔な内装に反して、くたびれた雰囲気のおっさんが椅子に腰を掛けていた。


 おっさんに泊まりに来た事を告げる。


「傭兵ギルドからの紹介で来た」


 おっさんはこちらをじろりと一瞥した後、気怠げに口を開く。


「一泊銀貨一枚。飯が欲しいなら外で食ってきてくれ」


「分かった。一泊頼む」


 ポケットから銀貨を一枚出す。


 おっさんは金を受け取ると、引き出しから鍵を取り出し、渡してきた。


「部屋は二階の奥から二番目だ。連泊でないなら朝になったら出て行って貰う」


「分かった」


 飯の必要はないが、ずっと食わないと怪しまれるだろうな。


 連泊については後で少し考えよう。


 鍵を受け取り、教えられた部屋に向かう。


 部屋の中には質素なベッドが一つとクローゼット、用途不明の木の棒。


 扉の脇にスイッチがあり、押すと部屋が明るく照らされた。


 壁には窓が一つあり、カーテンがかかっている。


 部屋の中に入って扉を閉めると、静寂が部屋に満ちた。


「(防音はしっかりしてるな)」


 一度明かりを消してから魔力視を使い、一通り怪しいものがないか確認。


 特に何もない事が分かったので、再度明かりを点けて次の行動に移る。


 部屋の内側から鍵をかけ、カーテンをずらし、窓を少しだけ開けて外に誰もいない事を確認。


 安全を確保してから右手をスライムに戻す。


 糸のように細い触手を外に出し、偵察を行う。


「(さて、どこを探るかね)」


 傭兵ギルドか教会、今はこのくらいかな。


 あるいは海辺に行って海腐れ吸収しに行っても良いな。


「(……いや、別にどれか一つに絞る必要もないんじゃね?)」


 触手を増やし、脳を増やし、演算能力を底上げして同時偵察を実行可能にする。


 右手どころか右腕が人のものではなくなったが、この部屋なら誰かに見られる事も聞かれる事もないだろう。


 念のため部屋の明かりを消してから調査を開始する。




 民家の屋根を伝いながら触手を伸ばしていくと、途中で音を拾った。


 先端を羽虫に変形させて偵察を試みる。


 捻じれた角を持つ獣人……たぶん山羊と、馬の獣人と思われる人物が、フードを深く被り顔を隠している人物と話をしていた。


 死角になっている位置からゆっくりと近づくと、話し声が聞き取れるようになった。


「……こいつらだけだ」


 獣人がフードの人に紙を渡す。


 内容はここからは見えないが、それを確認したフードの人が声を出す。


「もう少し、他に誰か居ないのか」


 抗議の声を上げるフードの人。声音的に男性。


「居ない」


「そうそう、もうそんぐらいしか残ってねぇよ」


 短く答える馬の獣人に続き、山羊の獣人が軽薄に吐き捨てる。


「声がでかい」


 諫めるように言うフードの男。


 それを鼻で笑う獣人二人。


「(どういう関係だ? 人に関する何らかの取引っぽいが)」


 少なくとも仲良しという訳ではなさそうだけど。


「要求ばかりだな、貴様らは」


「まったくだぜ。何の見返りも用意できねぇ無能がよぉ」


 言葉を詰まらせるフード男。


 何も言えない彼に獣人コンビが一方的に侮蔑の言葉を投げかけ、気が済んだのか踵を返して去って行く。


 その背中にフード男が呪詛を吐いた。


「我らの主が降臨なされば貴様らなぞ塵芥に過ぎぬ……その時に後悔するがいい」


 しばらく獣人の背中を睨んでいたが、彼も踵を返して町の闇へ溶け込んで行った。


「(追うか? どっちを? ……フード男の方でいいか)」


 獣人は感覚が鋭いイメージがある。実際は知らんけど。


 フード男を追っていくと、何の変哲もない一軒家に入っていった。


「(場所だけは覚えておくか)」


 羽虫を空に飛ばして俯瞰視点で位置を確認する。


「(傭兵ギルドからは遠ざかったなぁ)」


 羽虫を触手に戻し、一応ギルドを目指して再度伸ばしていく事にする。


 隣の酒場での会話とかからも情報を収集できるかもしれないからな。




 教会は目立つ場所にあるので迷わず行ける。


 町の外れの小高い丘の上で、一番高い場所に建てられている。町のどこからでも見えるから、人に聞くまでもなかった。


 静かな夜の町を、地形に沿って触手を伸ばしていく。


 教会に近づいて行くと、一定の間隔で超音波のような空気の振動を感じる。


「(これ、近づかない方が良いか?)」


 コウモリの獣人か、イルカの魚人でも居るんだろうか?


 エコーロケーションのような技術で周囲を警戒されているなら、地下から行かないと察知される気がする。


「(……教会は諦めるか)」


 君子危うきに近寄らずと言うしな。


 虎穴に入らずんば虎子を得ずとも言うけど、まだ慌てるような時間じゃない。


 この方面に伸ばした触手は静かに撤退させる事にした。




 海の方に伸ばしたのは何の障害もなく到達した。


 今日仕事してた養殖場の辺りだ。


「(確かこの辺に……)」


 目を生やして魔力視を行い、周囲を見渡す。


 お、あった。


 触手を膨らませて海腐れの死骸を吸収する。


「(夜限定の海の魔物とか居ないかな?)」


 養殖場から夜の海に目を向けると、強めの魔力を持った魚影を発見できた。


 でも沖の方に凄い勢いで離れて行った。


「(……これ、やっぱり魔物に避けられてるよね、俺)」


 前々から薄々感じていたが、ここまで来ると確信に変わる。


 海腐れもいつもより少なかったとか、老人も言ってたし。




 空が白む前に全ての触手を回収し、今日の調査を切り上げる事にした。




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