第23話
※三人称視点
ミニの樹海。
国々を隔てる山脈の麓に広がるこの樹海は多種多様な生物の宝庫である。
新種の植物や虫、魔物の発見が絶えず報告され、生物学者にとっては絶好の研究スポットとして有名だ。
資源を確保するための人も頻繁に出入りするこの樹海だが、深部は謎に包まれている。
チェリック川沿いであれば比較的安全とされているが、一度森の奥へ入れば帰還は絶望的と言われている。
なぜなら森の魔物は、その多くが獰猛かつ狡猾であり、夜の暗い森の中であっても自在に動く事のできる目と機動力があり、社会性があるのか群れで行動をとる魔物も少なくない。何より情報が少なく、対処法が不明な魔物が多い事も大きい。
普通の人間では生存すら不可能だろう。森での戦闘に特化した傭兵でも苦戦は必至となる人外魔境。それがミニの樹海だ。
だがそれは深部のみでの話。
浅い場所で、森が枯れない程度に資源を回収する分には何も問題はないのだ。
その深部に該当する場所で野宿をしている一匹の黒いスライムと、一人の人間の少年。
川辺に居る一匹と一人を森の奥からじっと見つめる存在が居た。
夜の闇に紛れる黒い体毛の、三又の尻尾を持つ大きな猫のような姿。しなやかな四肢が草葉を踏みしめるも、音の一つも立てずにゆっくりと一人と一匹に近づく。
森の魔物だ。
魔力視を可能とする魔物は、人間という餌を前にして、しかし距離を詰めるのを躊躇っていた。
原因は黒いスライムだ。
魔物の目に映るそのスライムの魔力。混沌として絶えず色を変えるそれは、魔物にとって未知の存在だった。
どうしたものかと観察を続ける魔物をとは別に、虫型の魔物が飛びかかって行った。
あの黒いスライムの戦闘力を測るのにちょうどいいと、猫の魔物はそう考えて様子を見る。
一瞬で終わった。戦いにすらならなかった。
何の予備動作もなく、恐ろしい速度で放たれた鋭い触手が虫型の魔物を貫いた。
触手が膨らみ、魔物を呑み込んだ。どろりと溶けて、消えてなくなった。
そして黒いスライムの魔力に、虫型の魔物のものが加わった。
それを見た猫の魔物は心胆を寒からしめる。
あれと戦ってはいけない。あれに関わってはいけない。
そう強く強く確信した猫の魔物は、極限まで音を殺してその場から逃げ去った。
狡猾だからこそ、深部の森の魔物は近づかない。その冒涜的な黒いスライムには。
一方で、黒いスライムは魔物の襲撃を今か今かと待ち構えていた。
因子回収と食肉確保で一石二鳥になるのではないかと期待していた。
しかし一時間、二時間と経っても何の音沙汰もないもので、余りに暇すぎて虚無感でいっぱいになっていた。
「(……そうだ、少年から神様の力的なものを感じたりできないかな)」
低反発ボディで眠りにつく少年、デュアンが使徒ではないかとスライムは疑っている。
なので、何か感じ取れるものがないかと考えるスライム。
「(やるなら「分析」……生きた人間に俺の魔力侵透させた場合ってどうなるんだ?)」
何かと考えすぎなこのスライムは、何をするにも慎重だ。
糸触手の先端を羽虫にして空に飛ばし、コウモリを釣る。
生きたまま捕らえたコウモリに魔力を侵透させて実験を行うと、コウモリは狂ったように暴れ出し、血反吐を撒き散らして痙攣しだした。
「(……先に実験して良かった)」
慎重さが少年の命を救った。
一応コウモリは死にはしなかったが、自分で自分の身体を限界以上に捩じり、自傷していた。限界まで開かれた口からはか細い鳴き声と血が漏れだしている。
スライムもその様子を見て、流石に可哀想になったのか息の根を止めて吸収した。
ちなみに、この様子も複数の森の魔物によって遠くから観察され、逃げ出されていた。
そんな森の魔物の事に露ほども気づかず、スライムは思考を続ける。
「(少年に魔力を侵透させるのは無し。俺の魔力を変質させて何か感じ取る事はできないかな)」
悩むスライム。もはや周囲一帯の魔物は逃げ出していて、時間は山ほどあった。
時折、既に居もしない魔物を警戒するように辺りを見回しながら考え続けて、しばらくして候補を絞る。
「(感知、感応、察知、このくらいか……)」
黒いスライムは当たり前のように魔力に概念を付与し、変質させているが、本来魔力とは簡単に変質できるものではない。
魂に由来するエネルギーとされる魔力は、魂の資質、性質に影響を受ける。
そのため普通の生き物に宿る魔力とは先天的に概念を宿しており、後天的に変質させるという事は魂を変質させる事に等しい。
混沌神によって生み出されたこのスライムが特別なだけで、一般的にはそう認知されている。
やりたい放題なスライムがこの世界の一般的な知識を得るのは当分先の話である。
それはそれとして、スライムは「感応」という概念を自らの魔力に付与し、変質させる。
「(特に理由はないけど、なんとなく「感応」でやってみるか)」
少年から何かを受け取れないかと、スライムが意識を集中する。
この時、少年は父のように頼れる背中を、スライムの不器用な優しさの中に見ていた。
故郷と家族をたった一日で失った少年の心には深い傷が残っている。
食い殺される父を前に何も出来なかった事が自責の念を生んだ。帰る場所を失った事が孤独を恐れさせた。
彼の心は酷く弱っていて、だからこそ、愛情や優しさというものには特に敏感だった。飢えていたとも言えるだろう。
頼りたい。信じたい。一緒に居たい。
無意識のうちに、彼はそんな風に思っていた。
そんな少年に、黒いスライムは感応する。
「(そうか)」
感じたものに応えるよう、心が動く。
「(これが――父性か)」
そう、スライムは父性に目覚めたのであった。
「(……って違う違う)」
本来の目的とは違う結果になった事に気付いた時には、もう夜が明けようとしていた。
さっきまでは少年に寝返りをうたせたり、魔術で気温を快適にしたり、甲斐甲斐しく世話をしていた。
「(感応……ハズレだったかなぁ)」
そんな事を思うも、少年の穏やかな寝顔を見て「まあいいか」となるスライムであった。
この後も特に大きな問題もなく、一人と一匹の旅は数週間続いた。
この間、実に色々な事があった。
スライムが船に変形して少年を乗せたり、釣り竿になって釣りをやらせたり、果物や野菜を見つけたり、それが毒だと少年が指摘したり、香辛料に使える植物を見つけたり、滝や崖になってる場所を下りたり登ったり、感知や察知を試したり、少年を膜で包んで川底を散歩したり、少年が罠を作って獣を捕らえたり、ナイフに変形して捌いたり……。
旅の中で一人と一匹は随分と仲良くなった。言葉がなくとも意思疎通ができるようになるくらいには。
けれども人と魔物は、本来であれば相容れない存在だ。だから人の町が見えれば、この旅は終わりを迎える。少なくともスライムの方はそのつもりだった。
そして、その時が来た。
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