第19話


 山に入ってからは怪物の触手は襲ってこなかった。


 念のためしばらく進み続けてから一息つく。


 日が傾いてきて、空は茜に染まりつつあった。


「(もう大丈夫か……)」


 無限に伸びてくる超高威力の触手。

 数キロメートル先でも見れば効く金縛りの瞳。

 洗脳効果と体を変貌させる音の無い声。


 そしてこれらを有効活用する知性がある、世界の敵とかいう理不尽の権化。


 改めて思い返すと良く生き残れたな俺。


 全身から力が抜ける。

 張り詰めていたものが緩み、一気に疲れが来た感じだ。


「(あ、そうだ)」


 少年を覆っていた膜をどかして様子をうかがう。


 身体の形状的に特徴のない普通の人間っぽい。

 エルフや獣人などではないようだ。


 顔は様々な体液にまみれ、白目を剥いていて、途中で唇でも噛んだのか血の混じった泡を口の端から零している。

 表情は苦悶に満ちているが、鼓動を感じるから生きてはいるだろう。

 手足や胴体に外傷はないが、内側は分からない。


 顔立ちは整っているように思えるが、故に表情の示すものが良く伝わってくる。

 散らばる白に近い灰色の髪は、まるで燃え尽きた灰のようでもあった。


「(うーむ、これは酷い)」


 俺の知っている魔術には治癒効果があるものはない。


 というか、ここまで来たら別に助ける必要もない気がする。


 吸収したら俺がこの少年の持っている謎の耐性を得られるだろうか?


「(逆にこの少年の耐性を得られない場合、俺はあの怪物に対する対抗手段を永遠に失いかねないんだよな……つまり詰む)」


 他人にも耐性付与できるという性質上、あえて助けない必要もない。


 少年が意識を失っても効果があった事を考えれば、これは体質的なものか、あるいは未知の何かか。


 ふと思い付いたのだが、この少年が「使徒」と呼ばれる存在に該当する可能性はないだろうか。

 仮に使徒だとすると、何かしらの神様の恩寵ありきの耐性であり、神様に依存する外部からの影響だとすると吸収は不可能だろう。

 俺がその神様からの恩寵を受けれるなら良いが、使徒を吸収なんてしたら嫌われるのは確実。


 ならば助けるという選択になるのだが……。


 どうしたもんかねぇ。


 とりあえず少年の目蓋を閉じてあげよう。

 触手でそっと顔を撫でて、諸々の体液を拭いながら目蓋を下ろす。


 助けるとして、どのように助けるか。


 ここに置き去りにして遠くから見守るスタイルで行くか?

 少年の心が孤独のあまりに折れるかもしれないな。折れるどころか壊れる危険性もある。

 あと道に迷ったり唐突な事故で町に死ぬまで辿り着けない可能性もある。


 なら、一緒に行動して直接手助けするか?

 少年が真っ黒スライム相手に発狂したり恐慌状態になったりしないか心配だな。

 俺からの助けを受け入れるとも限らないし。


 いっそ気絶させ続けて適当な町の前に放り出すか?

 食事は溶かした肉とか果物とか胃に直接流し込めば大丈夫か。

 でも毒とかあるの引いたらやっぱり少年が死ぬ。知識不足の俺がこの選択を取るのはリスキーすぎる。

 かと言って少年にサバイバル知識があるとも限らないんだよなぁ。


 どうしたもんかねぇ。


「(……とりあえず、身体洗ってやるべきか?)」


 人間という生き物は生命の危機を感じると、生存に不利に働くものが体内にある場合、全て排出する機能があるらしい。


 つまり、少年の下半身は描写しづらい事になっていた。


 これが漫画やアニメならモザイクや「見せられないよ!」みたいなフリップで隠されている事だろう。


 川に戻りたいが、あの怪物の事を考えると湖から少しでも離れておきたい心理が働く。

 感情的にはこのまま山を突き進んで行きたい。


「(少なくともあの湖の上空から見えない位置まで移動はしたいな)」


 すでに怪物は見えない。

 あの場所から動く事もなかった。


 理性的に考えれば川を下った方が迷いにくいし別の町を見つけられる可能性は高い。


 折衷案として山奥を目指しながら、川に徐々に近づいて行く事にした。


「(この少年がいつ目を覚ますか分からんが、急ぐとしよう)」


 少年も清潔にしておかないと病気になるかもしないしな。




 一晩中移動を続けて、朝が近くなってきた。


 虫足とスライムボディの組み合わせによる走破性は極めて高く、思った以上に素早く移動できた。


 小さい山と森に囲われた場所で、見える空も狭く安心できる。

 空が狭いという事は、空からもこの場所は見え難いという事だ。


 川の流れは穏やかで、さらさらと響くせせらぎは耳に心地よい。


「(さて、洗うか)」


 魔術で水を人肌と同じくらいの温度に調節して、強い刺激を与えないよう注意する。


 触手を沢山生やし、少年と脱がした服を同時に洗ってしまおう。




 少年の尊厳のため、細かい描写は省略する。




 朝日の当たる場所に洗った衣類を干し、少年は全裸のまま膜に包んで保護しておく。


 ぐっすりと眠っていて、目を覚ます気配は今の所ない。

 移動前は苦悶に満ちていた顔は、今では穏やかで落ち着いたものになっている。


「(とりあえず、このまま一緒に行動して助ける方針で行くか)」


 色々考えたが、これが良いと判断した理由は二つ。


 まず少年に恩を売れる事。

 あの町で少年が父を見捨てられなかった事から善性を持っていると判断した。

 極限状態にこそ、その人間の本性が出ると言うからね。


 次に少年の持っている知識。

 話し相手になれば俺の知らない情報が出てくる可能性は高いだろう。

 なんせ警備隊長の息子だ。さぞ良い教育を受けていたに違いない。


 駄目だったら……まあその時はその時で考えよう。


「(少年が起きるまでに発声練習でもしておくか)」


 そういや一度も声を発した事ないな。


 どうしよう、ちゃんと喋れるかな。


 あ、そうだ、練習中に起きられたら気まずくない?


 ……考えたら凄く練習しづらくなってきたわ。




 なんか俺、陰キャみたいな精神状態になってきたな。




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