第18話
対岸近くにある湖の出口になっている川までは多分三キロメートルほど。
「(クッソ遠い)」
早くも心が折れそうになる。
「 !」
そんな俺の心境など知った事かと言わんばかりに極太の触手が振るわれる。
スクリューを可能な限り高速で回転させて水面を滑走する。
背中に少年を乗せているため潜水する事ができない。
水中から抉るように、横から殴打するように、頭上から貫くように、絡めて押しつぶすように、四つの触手が嵐のように襲い掛かってくる。
「(きっついって!)」
乱雑に起こる波と、飛び散る水飛沫で視界も悪い。
このままだといつか当てられる。
何か少しでも状況を良くできないか考える。
「(少年を空気ごと覆えば潜れるか?)」
水の中なら縦横の二次元的な動きだけで触手を避ける必要がない。
深さという軸が加わり三次元的な動きができるようになれば回避しやすくなるはずだ。
「(よし、やってみるか)」
少年の全身を空気ごと覆った次の瞬間、身体の動きが固まる。
「(ッ!? まずい!)」
バランスを崩し、迫る触手の回避が間に合わない。
少年には当たらないよう身をよじるのが精一杯だった。
振り下ろされた触手が身体の一部を文字通り消し飛ばす。
耳元まで迫る死の息遣い。
「(金縛りの強度が上がった? 見られている体の割合が増えると金縛りの強度が上がるのか?)」
焦りは湧かなかった。むしろ逆に冷静になれた。
たぶん前世で一度死んだから慣れもあるんだろう、生き残るのに必要なもの以外の感情と思考が削ぎ落とされていく感覚がある。
あの金縛りは、全身を見られると少年でも無効化できない程に強力になるのかもしれない。
少年を回収する時、こちらを注視する瞳が減った時にも効力が弱まったし、こちらかもしれない。
もしくは両方か。
これが分かっただけでも収穫だ。
水飛沫によって視線が一時的に遮られ、身体に自由が戻る。
少年を覆う膜を顔だけに限定し、水の抵抗を減らすため手足も半分ほど俺の体に飲み込んでおく。
俺の一部を消し飛ばした触手が水中でUターンをしてくる。
同時に横からも貫くように触手の先端が迫る。
「(まずは再生)」
残り少なくなった魔力を使い、欠損を修復する。
一瞬出口の方向を確認して、すぐに水中に潜り下から迫る触手に向かって直進する。
「(こいつを横から来る触手の盾に)」
すんでの所で下の触手を掻い潜る。
横から迫る触手は速度を落としたようで、二つの触手で俺を押しつぶすように動きを変化させる。
「(水を「圧縮」して「噴射」)」
大量の水を取り込み、身体の左右に噴出孔を生成。
魔力を駆使して更なる推力を確保する。
俺の急加速に対処しきれなかった触手は、さっきまで俺の居た場所で無駄に絡まっている。
「(ここらで湖の中央付近か)」
水深は深く、底の方には何かの建造物がぼんやりと見える。
「(噂であったな……確か「湖の底には異世界に通じてる遺跡がある」だったか)」
まさか本当に遺跡らしいものがあるとは。
だが真偽が不明である上に、仮に真実だとしても何か魔力が必要だとしたらリソースが足りないかもしれない。
繋がっている先の異世界が、あの銀の怪物の居た世界だったとしたら目も当てられない。
思考を切り替え、湖の出口である川へ急ぐ。
振るわれる触手の狙いは明らかに荒くなった。
水中に居る事で怪物からは視認が難しくなったのだろうか。
「(これなら)」
ここからだと見づらいが、あの銀の怪物は出現した位置から動いていないように見える。
何か能力的な制約や条件があるのか分からないが、こちらにとっては好都合だ。
「(あとは方角さえ見失わなければ……)」
嵐の如く荒れ狂う触手によって水は掻き乱され、うねる水流が行く手を阻む。
泡が吹雪のように舞い、視界を覆う。
自分の感覚を信じて、水中を突き進む。
時間すれば数分程度だろうが、体感では何倍、あるいは何十倍もの時間、触手を避け続けた。
そしてようやく、遠くにうっすらと出口が見えてきた。
「(あと少し!)」
出口までの距離も、残存する魔力も残り僅か。
気付けば俺を攻撃する触手が一本に減っていた。
この状況に違和感を覚える。
「(諦めるとは思えない……何かを狙ってる?)」
水深が浅くなってきた。
警戒を強める。
すると、前方に触手が降ってきた。
横向きに、出口になっている川の入口に。
「(塞がれた!?)」
その川の水深は、一番深い所で三メートル程度だった。
二本の触手で完全に封鎖されていて、一本は川の上空で待ち伏せ、一本は今も俺を攻撃してきている。
進路を封鎖され、前後を挟まれる形になってしまった。
「(だが、やりようはある!)」
川の出口のやや横を目指す。
水深は浅くなって来て、水面を滑走する形に戻る。
同時に身体の形状を変化させる。
水の噴出孔を左右の二つから、斜め上と斜め下の左右で計四つに。
左右のスクリューを翼に。
あと怪物からの視線を遮るように少年を盾にする。
「(水路だけが俺の逃走経路だと思うなよ!)」
蓄えた大量の水を圧縮しながら魔術を併用して加熱する。
以前下水道で使われたものだ。
沸騰して水は水蒸気になり、一気に体積を増す。
「(うぐっ、内側から破裂しそう)」
急いで噴出孔を開く。下側からの噴射が強くなるように調整しておく。
思った以上の勢いで体が空を飛ぶ。
吹き飛ぶ、という表現の方が正しいかもしれない。
「(制御がムズイな!?)」
ぶっつけ本番だが、やるしかない。
目に映る景色が急速に後方へ流されて行く。
前方で待ち伏せしていた触手が渦を描くように動き、巨大なラケットのようになる。
「(叩き落す気か!?)」
噴出する水蒸気をどうにか調整して直撃する軌道から逸らす。
こちらの進路を塞ぐように触手ラケットが動く。
「(一か八かだ! やってやる!)」
ほぼ垂直に急降下をして横倒しになっている触手で怪物からの視線をカット。
続いて川の水で衝撃を和らげつつ角度を調整し、川沿いに群生する木々の間を貫くように飛翔。
一瞬遅れて銀のラケットが叩きつけられる。
だがその場所は川だ。盛大に水飛沫が飛び散るだけに終わる。
怪物の読みを外させる事に成功したのだ。
少年を膜で覆い保護をして、勢いのまま草木の生い茂る山へと身を投じる。
そして植物に紛れて山奥へと進み続けた。
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