第16話



 ※三人称視点



 ライズヘローと呼ばれる都市がある。


 八の渓流が流れ込む山間の窪みに溜まってできた巨大な湖に寄り添うように建設された都市だ。

 周囲を広大な大自然に囲まれたこの地は、豊富な水源と恵まれた土壌によって一大農業地帯となっている。


 たった一つの都市で国の食糧の三割を担えるとまで言われるこの都市は、国にとって重要な土地であり、守りやすく攻めにくくする工夫が数多くある。

 治安も良く、領主は国が主導する能力テストと性格診断を突破する必要があり、厳正に選ばれる。


 しかしその工夫は常識の内に収まるものにこそ有効なものの、その埒外の存在へは効果的とは言い難かった。

 領主は優秀である事に間違いはないが、その信用と信頼が裏目に出る事もある。


 そして今、この都市に想像を超えた最悪の事態が訪れようとしていた。




 季節は夏。

 遠くから聞こえる虫の鳴き声が山々を満たす季節。


「いってきまーす」


 夏の日差しに負けないくらい元気な声が聞こえる。

 家の中にいる親からの返事は力が籠もっていない。きっと暑さにやられてしまったのだろう。


 玄関から勢い良く飛び出したのは一人の少年。名前はデュアンといった。


 白寄りの灰色の髪をしているが、夏の日差しを反射して銀色に煌めいているようにも見えた。

 透明感のある青い瞳に快活そうな顔立ちをしていて、何やら楽しそうな表情をしている。


 デュアンは今年で十五歳となり、成人として認められるようになる。

 そのため、職場体験として尊敬する父親の仕事を間近で見学する事が許された。


 彼の父親は領主館付近を警備する部隊の隊長だ。

 力強く、冷静沈着で、責任感があり、様々な人から厚い信頼を得ている。領主のような身分ある人からもだ。

 それはまさに、彼が理想とする「立派な大人」の姿そのままだった。


 デュアンもまた、そんな父親の背を追うように学問や剣術の習い事に精を出してきた。

 今までの努力が厳粛な父親から認められたようで、嬉しかったのだ。


 やや駆け足でライズヘローの中央部を目指す。


 領主館の手前の広場にて、彼は父の背を見つけた。

 厳しい顔で部下に何事かを伝えている姿を見て、空気を読んで話しが終わるまで待つ事にした。


 敬礼の後、部下が離れていくのを見届けてからデュアンは父に声をかける。


「父さん」


「ん? ああ、デュアンか。もう来たのか」


 息子の姿を見てか、いわおのような顔が少し綻ぶ警備隊長。


「もしかして何かあった?」


「大丈夫だ、既に解決したからな。後始末すれば終わりだ……ところで、なぜそう思った?」


 少し考えてからデュアンが答える。


「なんか、いつもより厳しい顔をしてたから?」


「なるほど」


 警備隊長の口の端が僅かに上がる。

 いつも顔を見ている者であれば何となく気付ける程度の変化だ。

 彼を良く知る部下であれば、内心で息子の成長を喜んでいるのだと気付ける。


「今回は内部で事が起きてな、あえて厳しい顔をしていたんだよ」


「僕もそういう顔できた方が良いのかな?」


 むむむ、と口をへの字に曲げて眉間に皺を寄せるデュアン。

 そんな息子の様子に苦笑を零し、頭に手を置く警備隊長。


「お前にはお前なりの良さがある。怖い顔ができれば良いってもんじゃないんだ」


「そうなの?」


「ああ……例えば、俺のような顔は悪者を怖がらせる事が出来るが、一般人まで怖がらせてしまう事がある」


 息子の眉間についた皺をもみ消すようにほぐしてやる警備隊長。

 デュアンは目を瞑ってなすがままにしている。


「一方でお前は母さん譲りで優しい顔をしている。辛い思いをしていたり、苦しい状況にある一般人は、お前のような顔をしている方が安心できるんだ」


「……僕は父さんみたいな顔でも平気だけど」


「そうじゃない奴もいるって事だ」


 警備隊長は少し機嫌が悪そうに答える息子の頭を宥めるように撫でる。

 その顔には珍しく優しい笑みが浮かんでいた。


 ゆっくりと頭を撫でる手が遅くなり、やがて止まる。


 デュアンが手をどかさないまま止めた父を不思議そうに見上げる。

 そして彼は酷く驚くものを目にした。


「父さん?」


「…………」


 目を見開き、半開きになった唇はわなわなと震えている。


 デュアンはこんな顔をした父を初めて目にした。


「父さん!?」


 何事かと思い、彼は父を揺さぶる。


 ハッとなった警備隊長は顔を引き締め、先ほどより厳しい顔つきになる。

 口の中だけ何事かを呟き、考え込んでしまう。


 デュアンは真っ青な顔色の父に不安を覚えながらも、考え事のじゃまをすまいと口を結んで父を見守る。


「(どうすればいい……せめて息子だけでも……)」


 密かに訪れていた危機に対して、必死に思考を巡らせる警備隊長。

 なぜ急に洗脳が解けたのかは不明だったが、それどころではなかった。


 なぜなら、



「          」



 昼の空に月が浮かんでいた。

 あの怪物に狂わされた神官達の儀式によるものだろうと、警備隊長はすぐに予測できた。


 音の無い声を響かせながら、魔術によって創造された月から銀色の化け物が現れる。


「          」


「(そうだ、この息子は危険だ。主の声を掻き消す何かを持っている)」


 狂う思考。

 沸き上がる主への奉仕精神。


「違うッ!」


 理性を振り絞り、音無き声による精神変異に抵抗する警備隊長。


「(街道までの道は遠い、何より子供の足で走るより船の方が速い)」


 警備隊長はあの怪物が攻撃をする所を見た事がない。

 もしかしたら攻撃能力に乏しいのではと思い、息子を湖の船に乗せて逃がす事を決意する。


 息子を見ると、突如空から現れた怪物に呆然自失としていた。


「デュアン!」


「――あ、う」


 言葉すら上手く発する事が出来なくなっていた息子を抱え、警備隊長は一縷の望みをかけて湖を目指す。



「               」



 今までよりも強く、大きな声が響き渡る。


 それはライズヘローという街を決定的に狂わせ、終わらせた。


 人々の頭部が肥大化していく。

 目が潰れ、鼻も耳も肉に埋もれ、口ばかりが巨大化していく。

 開かれた口から異様に長く伸びた舌がだらりと投げ出された。


 例外は二人。

 警備隊長と、彼の抱えるデュアンのみである。


「  、  、     」


 音の無い声がそこかしらから上がる。

 発生源は異常に膨れ上がった人々の頭の大口からだ。


 そうだ、あれこそが我らが主を称える声だ。

 警備隊長はその音無き声を理解する。できてしまう。


「(今ならまだ主は許してくれるだろう)」


 彼の駆ける速度が落ちる。本能が、それが正解だと囁く。

 しかし一方で理性が叫ぶ。


「(違う、デュアンを、息子を、家族の為に、私は……!)」


 今一度足に力を込め、必死に駆け出す。


 行く道の先には無数の怪物の眷属達が音無き声で口々に賛美の詩を叫んでいる。


「邪魔だッ!!」


 抜剣した警備隊長は眷属達を斬り払い、湖までの血路を拓く。


 化け物のような見た目になったとはいえ、元は町民であったものを斬り殺す父の姿に驚くデュアン。


「と、父さ……」


「デュアン、良く聞け! この町はもう助からない!」


 警備隊長は今にも泣き出しそうなデュアンに厳しい現実を告げる。


「だから、お前は船に乗って逃げろ! 湖の出口になっているチェリック川を下ればレンベルカに着く!」


「父さんは……?」


 デュアンのその問いに、警備隊長が答える事はなかった。


 彼は沸き上がる怪物への情動を無理矢理抑えつけ、決死の想いでただひたすらに湖を目指した。




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