第15話
「それは、理解の及ばない存在でした。月の光を遮っていました。つまり物理的な肉体を有していたと思えます。けど、翼もなく、魔力もなく、それは空に浮いていました。姿は、銀のような光沢のある肌を持ち、球体状の胴体から、四本の触手が伸びていて、短い首の先に、大きな口が、いや、口なのか分かりません。七つに割れた舌と思われる器官と、普通の生き物なら歯があるべき場所から瞳が生えていました。その口のような器官からは、異様な声が、音はないのに、声が聞こえてきていて……」
どうにかして昨夜に見たものを伝えようとする一般警備員君。
息遣いは荒くなり、目の焦点はブレ、冷汗が顎から滴り落ちる。
正直上手くイメージできない形状をしている。
そんなものが本当に居るのかと疑いたくなるが、音無き声の事を話すのであれば真実だと信じるしかない。
「落ち着きたまえ」
冷静な領主が一般警備員君に声をかける。
ハッとなった彼は「すいません」と頭を下げる。
「大丈夫だ、君は自分の話を荒唐無稽と思っているのかもしれないが、私はそれが無意味であるとは言わない」
落ち着き払った態度に頼もしさを見たのか、一般警備員君も落ち着きを取り戻す。
「ありがとうございます」
「うむ。では続きを」
「はい。その音のない声なのですが、精神を変質させる効力があるようでして、極めて危険であると――」
一般警備員君の、その先の言葉は続かなかった。
何故なら、
「危険? お前は我々の主を危険と言ったのか?」
警備隊長……その男が後ろから彼を剣で貫いていた。
「――ごぼっ」
彼の口からは、言葉の代わりに鮮血が零れる。
言葉の代わりに目を動かす。何かを恐れるように領主を見る。
領主は、
「なるほど、君は眷属になる事を拒むばかりか、主を害そうと言うのだね? ならばこの結末は仕方がない事だ」
一般警備員が死ぬことを、当然だと言い張った。
「(……ヤベェ)」
手遅れだった。
とっくの昔に手遅れだったのだ。
そこでふと気づいた。
もし、この音無き声の効果範囲を制御できるとしたら。
もし、とっくの昔にこの町の中枢が陥落しているとしたら。
この二人の主が、町全体に声を響かせたのは、既に誰も逃げる事すらできなくなっているからではないだろうか。
準備は整っているのだろう。
ならば、空に月さえ上がっていれば、奴はすぐにでも来る。
剣を引き抜き、血を拭ってから剣を収める警備隊長。
「我らの主に抵抗の意思を見せる者を排除すべきでしょうか?」
「いや、主の声を聞けば多くの者達は喜んで眷属になる事を望むだろう。私たちも初めは無知蒙昧であったのだ」
「確かに、仰る通りです」
いや、言ってる事が無茶苦茶だなこいつら。
笑いあう二人を見て、心底こう思う。
「(狂ってる)」
警備隊長は仕事に戻った。
メイドたちは死体を片付けた後、何事もなかったかのように日常業務に戻った。
老執事が昼食を告げに来ると、領主は「仕事の途中で邪魔が入った」と愚痴りながら食事に行った。
「(狂ってる)」
あまりの気味の悪さに、俺が人間であったら吐き気を催していただろう。
狂気に支配されている連中から、少しでも遠くに逃げ出したくて仕方がなかった。
「(もう駄目だ。多少人目についてもいい、早めに逃げ……いや、その前に)」
虫を机の前に降ろし、虫人間サイズになる。
「(嘆願書、できれば教会関連で何かないか)」
教会はマトモか、狂っているか、それが知りたかった。
前世で得たスキルをフル活用して書類の確認を行う。
世界の敵の洗脳が以前からあるなら何かしら……。
「(あった!)」
素早く目を通す。
しかしその内容は俺の希望を完全に打ち砕いた。
「(眷属化の進行度を促進させるための祭壇の建設と、生贄の……吐きそう)」
そっと書類を戻す。
ちゃんと崩れ方や角度も取る前と同じようにしておいた。
ここの触手は即座に回収した。
一秒でも長くここに残したくなかった。
ちなみに教会も特に得るものは無かった。
あえて言うなら、表立って神々の愛を語りながら、裏では「姿を見せ、我らに恩寵与えたもう『外なるもの』こそ真の神」なんて言ってたくらいだ。
この世界の神様も恩寵与えてるらしいですよ。
使徒とか聖女とか居るんでしょ?
そう言いたかったが、結局自分が選ばれなかった嫉妬とか恨みとかだろうと簡単に予測できた。
「(言うだけ無駄だな……)」
あの手合いは自分の聞きたい事しか聞かない。見たいものしか見ない。
理論ではなく、感情で自分を正当化するから、普通の議論なんて成立しない。
「(こういうの、前世と変わらねぇなぁ)」
ああいう連中を見ると嫌気が差してくる。
この世界の人間も嫌いになりそうだ。
因子だけ回収してどっかで引きこもってようかなホント。
そんな考えが脳裏をよぎる。
「(こんなん混沌神も諦めるわ)」
でも死にたくない。
世界が終われば俺は混沌神に回収されて、次の世界の材料にされる事だろう。
今思ったが、ある意味では死ぬより酷い事にならないかコレ。
「(……つらい)」
夕方と呼ぶにはまだ早い時間だが、全ての触手を回収する。
「(さっさとこの町から離れよう)」
土を振り払い、桟橋の下から飛び出して湖の反対側を目指そうと動く。
確か湖の出口になっている川があったはずだ。
そこで気付いた。
音がない。
「 」
そして響く『声』。
桟橋の上に立つ漁師が、
水辺で遊んでいた子供が、
魚を売買していた町民達が、
皆、一様に空を見上げていた。
見ない方が良いのだろう。
けれど、そんな思考に反して、俺の目も空を見る。
見てしまった。
空に浮くそれは、日の光を反射して金属質な光沢を放っていた。
しかし金属でない事は、見ればすぐに分かるだろう。
銀に煌めく肌は脈打つように一定間隔でうねり、連なる無数の球体からなる胴体は絶えずその形を変えている。
頭部と思われる位置には、特徴的な大口が開きっぱなしになっていた。
口の中の、人間であれば歯が生える位置には、代わりに無数の瞳が生えていて、七つに分かれた舌を震わせ、今も音の無い声を発し続けている。
「(例えるなら、キモイ口だけがある頭が生えた蠢く銀の葡萄?)」
非生物的な見た目をしている癖に、動きは妙に生物的でひたすら気持ち悪い。
そして怪物の後ろの空には、いつの間にか空には月が浮かんでいた。
「(なぜ月が……時間的におかしいだろ)」
疑問が沸き上がる。
だが今すべき事は考える事ではないと疑問を切り捨てる。
「(そうだ、精神干渉……やっぱりされてる!)」
急ぎ精神的異物を排除する。
二回目ともあって、スムーズに行えた。
見つかる前に逃げよう、そう思ったが、
「 」
怪物が俺を見ていた。
口の中の瞳と視線が交わる。大口が歪む。
次の瞬間、異常なほどの恐怖が沸き上がり、思考は掻き乱され、全身に力が入りすぎて逆に動かなくなる。
この感覚を俺は知っていた。
前世で、死を目前にした時の感覚だ。
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