第10話


 夜の渓流の水は黒くうねり、それはまるで闇が蠢いているようだった。

 底の無い暗闇から目を逸らすように見上げた月の見えない夜空には、しかし満天の星々が敷き詰められていた。


「(うーん、絶景かな)」


 水底から糸触手の先端を羽虫にしてドローンのように偵察をしている。

 夜でも魔力視があればそこまで苦労しないな。


 草木や地面にも僅かばかりだが魔力が宿っているようで、何となく地形は把握できている。


 少し離れた所には町の灯りが見える。


「(あれは文明の光だが、今の俺的には安堵ではなく恐怖を与えてくる光だな)」


 こわいなー。

 近寄らんとこ。


 街のある方向とは逆側、渓流の向こうには森と山が見える。

 因子集めという目的を果たすなら適した場所だろうが……。


「(このスライムボディなら遭難しても問題ない。でも情報は集まらないな)」


 山籠もりは無しの方向で。

 万が一、不意に「世界の敵」とやらに遭遇したら死ぬ未来しか見えないし。


「(このまま渓流を下って行けば他の村なり町なりあるだろう。情報集めならその方が良い)」


 羽虫ドローンで周囲を警戒しながら渓流を下って行くことにした。


 今の季節は不明だが、木々に葉が生い茂る時期ではあるようだ。あと虫も鳴いてる。


 と、そこで羽虫ドローンからの情報が途絶える。


「(おや、羽虫ドローンが食われたっぽいな。コウモリか?)」


 糸触手を変形させて羽虫を食べた何者かを絡め取り、水中へ引き寄せる。

 目視は難しいので吸収してから考えよう。



 ……うむ、コウモリで合っていたようだ。


 記憶は読み込めなかった。

 なぜ人間はできて、動物だとできないのだろうか。


 大きさ? 魔力? 魂?


 考えても答えは出ない。

 なら割り切ってそういうものとしておこう、今の所は。


 新たに羽虫ドローンを飛ばそうかとも思ったが、コウモリ釣りになってしまいそうだ。


「(折角だし泳げるか試してみるか)」


 魔力を操り体を変形させて魚の姿になる。


 そして水底で横たわる。

 理由は極めて単純なものだ。


「(ヒレを……どう動かせば良いんだ……?)」


 そう、泳ぎ方が分からないのである。


「(そもそも何で沈んでんの? 魚って浮き袋ってのなかったっけ……あったけど空気入ってねぇわ)」


 スライムだもんね。呼吸しないし体内に空気あるわけないよね。


 ヒレをばたつかせるとちょっとだけ浮いた。

 そしてまたスンと水底に横たわる。


「(……諦めよう)」


 無理なものは無理。できない事はできない。

 スライムだもの。


 若干気落ちしたが、切り替えて行こう。


 何はともあれ目は欲しいので水面に虫ドローンを浮かべて行こう。

 羽虫より視野は狭くなるが……って魚ァ!


 普通に食いついて来やがった……はい吸収。


 そう言えば釣りって夜の方が釣れるって聞いた事あるな。

 魚の警戒心が薄れるとかなんとか。


 いっそ絶滅危惧種になるまで釣ってやろうか?


 いや、落ち着こう。

 自然界の生物の分布に悪影響が出たら調査される可能性がある。

 ひいては俺の存在に結びつきかねない。そのような行為は避けねばなるまい。


 ……下水に居た時は考えなしに虫とか鼠捕ってたけど。

 まあ、あいつら数だけは凄まじいし、害虫害獣だし、むしろ衛生的に貢献してたし。人間、都合の良い事は気にしないものだ。


 過ぎた事はもういいんだ、固執するのは良くない。

 過去から学び、過去を偲ぶ事はあっても、縋ったり引き摺られる事があってはならないのだ。


 よし、良い事言ったな俺。


 ついでに一つ良い考えが浮かんできた。


 羽虫ドローンを渓流の水面より少し高い位置に留めておけば狙われにくいのではないだろうか。


 早速やってみよう。


 羽虫ドローン生存記録、十六秒。


「(駄目じゃん)」


 ため息を吐きたくなるが口がないので吐けない。


 コウモリを吸収しながら、もう水底這って進むんで良いかなって思えてきた。


「(地道に行くかー……)」


 急がば回れって言葉もある……仕方ないね。




 時間をかけてゆるゆる進んでいると、空が白んできた。


「(この時間なら羽虫ドローンも食われないか?)」


 試しに飛ばしてみよう。


 一分、二分と経っても大丈夫なようでホッと一息つけた。口はないが。


「(周囲に人工物は確認できない。ここらで地面に潜って夜を待つか?)」


 辺り一帯は木々に覆われていて人気は無い。

 この場所なら安全だろう。


 川の底を掘り返す生き物も居ないだろうし、悪くない選択肢に思える。


 そろそろ吸収できた記憶の吟味をしたい。


「(やるか)」


 羽虫ドローンを回収後、体の形状を変化させ川底を掘り進める。

 一メートルほど地下に埋まり、上の方角が分かるよう自分の体に目印を付けてから、吸収した記憶に没入する。




 豪華絢爛という言葉が似合う部屋に居た。

 辺りを見渡そうかと思ったが、視線は動かせない。

 まるで自分がこの場に居るような錯覚がするが、これは誰かの記憶だ。


 記憶の主ともう一人、いかにも高級そうな椅子に座り、何事かを話し合っている。

 相手は豪奢な服装を着た男で、その顔には焦燥と疲労が色濃く滲み出ていた。


 ふと感情が沸き上がる。

 驚愕、侮蔑、猜疑、そして憤怒。一瞬後、理解と不安が胸に落ちてくるが、納得が出来ないといった感じでモヤモヤしたものが胸に残る。


「(言葉が相変わらず分からんのは痛いな……湧いてきた感情は、この記憶の持ち主のものか?)」


 記憶が進む。


 下水道の奥で、記憶の主は他の人間達に指示を出しているようだった。


 隠し部屋の奥で部下からの報告を受け、思考を巡らせている。


「(文字も読めないな。感情からするに良い報告ではなかったようだが……あ、でも頭で思い描いてるイメージはこっちも把握できるな)」


 どうやら記憶の主は怪しい儀式にて、恐ろしい何かに対抗しうる武器、あるいは兵器を用意しようとしていたようだ。


 その素材は、どうも人間らしい。

 彼が思い描く人間は、前世基準の普通の人間の他に、獣の特徴がある人間や、植物や鉱物などの自然の親和性を持つ人間も居るらしい。


「(今までちゃんと確認してなかったけど、獣人とかエルフとか居るらしいな)」


 会ってきた人間の大半は全身鎧を着ていたり、ローブを纏って体を隠してたりしてたので分からなかったのは仕方ない事だ。きっと。


 更に記憶が進む。


 以前見た十人以上の戦闘集団と、記憶の主たちが戦っていた。


 悍ましい儀式で生み出された生体兵器と共に奮闘するも、最後にはやられてしまった。


 最期、記憶の主は強烈な憎悪を、目の前の戦闘集団ではなく、以前話した豪奢な服の男に対して向けていたようだ。

 裏切られた、騙されたと、そう感じたらしい。


 ここで記憶は終わった。


「(流石に生まれた時からって訳にはいかないか。言葉の意味も分からんままだし、記憶の吸収も万能ではなさそうだな)」


 何となくニュアンス的なのは伝わってきたが、詳細な意味は分からない。


「(ともあれ、他に吸収できた記憶も見て行こう)」


 一つの視点では分からない事も、複数の視点で見れば分かるかもしれない。

 再び意識を誰かの記憶の中に没入させていく。


 次は何が見えるだろうか……。




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