第8話


 ※三人称視点




「何もなかっただと?」


「はい、先日『練火団』の報告にあった場所に回収班が赴いたのですが、死体も武具も、血痕すらもなく……」


 山岳都市タバヌの中層、傭兵ギルドの一室で不可解な報告が上がっていた。

 この部屋を飾る調度品は素人目にも高級品である事は明らかで、部屋の主が高い身分に居る事は想像に易いだろう。

 しかし必要なもの以外は綺麗に片付けられており、質実剛健を表したような部屋は主の性格がうかがえる。


 その部屋の主である大男が椅子に座り、部下からの報告を受けていた。


 数日前、信頼の厚い傭兵団から上げられた報告の中に、いささか信じがたいものがあった。

 曰く、混沌とした魔力を持ち、不可視であり、灼熱の魔術ではダメージを与えられなかった魔物とも違う怪物が居たという話だ。


 そのような怪物は常識の埒外であり、何かの間違いではないのかと思われたが、報告してきたのが経験も実績も優れる者達であったが為に、一応の調査が行われた。


 傭兵ギルドは万が一を考え、戦闘のプロフェッショナルである『練火団』に依頼を送った。


 彼らは下水道の奥で邪教徒の住処を見つけ出し、正教会が懸賞金を掛けた賞金首を持って帰ってきた。


 賞金首の邪教徒は、悍ましい混沌とした怪物を使役していたという話で、先の傭兵団が見た怪物はこれだったのだろうと、これでこの件は片付いたと思っていたのだが……。


「だが練火団は実際に首を持って帰ってきた。戦闘の痕跡もなかったのか?」


「それはあったようです。不審に思った回収班が周囲の調査を行ってくれたようで、壁には焦げ跡や、削られた痕が残っていたと」


 練火団は偽りの報告を上げるような傭兵団ではないと、部屋の主である傭兵ギルドの長は知っている。

 怪物は居た。邪教徒という存在も居た。だが、あの下水に潜むものは、まだ他にも居るのではないだろうか。

 そんな考えがギルド長の頭をよぎる。


「……今タバヌに調査や探索に強い奴らは居るか?」


「はい、『叩斬ハックスラッシュ団』と『踏破の歩みマッパー・ウォーカー』が居ます」


「両方に依頼を送れ。何かがあったはずだ。何があったのか、手掛かりの一つでも欲しい」


「分かりました」


「ああ、それと練火団に装備や仲間の遺体を回収ができなかった分の補填も忘れずにな」


「はい、では失礼します」


 部下が部屋から出て行った後、大きく息を吐いて椅子に背を預ける。

 ギルド長の巨体に椅子が抗議の声を上げるが、彼はそれどころではなかった。

 強く目を瞑り、目頭を押さえ、眉間に深い皺が刻まれる。


「(居るのか……本当に)」


 確かな地位や権力を持つ、一部の者にだけ伝わっている情報がある。


 世界の敵。

 在るべからざるもの。

 外なるもの。


 その呼称は様々だが、共通するのはそれが常識では測れない程の脅威であるということ。

 一部では邪教徒とも秘密裏に協力すべきとも言われており、どれ程の厄災であるかが否応にも分かるというものだ。


「(今回の件が、どこかで響かなければ良いのだが……いや、最悪の事態を想定して動くべきか)」


 そんな事はあり得ない、と笑うのは簡単だ。

 しかし、ここのギルド長は安易な道を軽々しく選ぶほどの夢想家ではなかった。




 後日、二つの傭兵団からの報告が上がってくる。

 いつもの部下がギルド長の執務室に来ていた。


「報告を聞こう」


「はい、まず戦闘になった場所の近くには隠し扉があったようで、奥には祭壇と生活スペース、それと混沌神の神像が安置されていたそうです」


 ギルド長は頷き、続きをうながす。


「それと隠されたその部屋の扉なのですが、非正規の手段で無理矢理こじ開けられた痕跡があり、隠れていた邪教徒が急いで脱出したか、何者かが何かを持ち出したのではないかと」


「その何者かを判別できそうなものは?」


「そういった痕跡は発見できなかったようです。練火団と邪教徒が戦闘した時間より後のタイミングで何者かがその部屋を利用した事は、ほぼ確実だそうです」


 邪教徒の中にも神々の声を聞く者達が居るという。

 そういった希少な能力を持つ者が隠されていたのだろうか。


 あるいは、隠れた部屋に何かしらの目的を持つ存在が居たか。


 消えた武具や死体。

 邪教徒とは別の隠れた存在が居たとして、もし邪教徒と傭兵の争いが誘導されたものであったとしたら?


 最初に報告をした傭兵は、攻撃をしたにも関わらず反撃をされなかった。

 ただ距離を取られただけのようにも思えるが、それによって人類がどう動くか分かっていたのだとしたら?


 最初の報告にあった『怪物』と、邪教徒が使役していた『怪物』が同じとは限らない。使役されていた怪物は術者を倒すと無数の肉片になったと報告があった。

 何もかもを消したのは怪物は、使役された怪物ではない事は確実だ。


 そんな思考がギルド長の頭に浮かんでくる。


「(もう一つの姿の見えない『怪物』には、明らかな知性がある)」


 確証はないが、確信があった。


 彼の背筋に冷たいものが走る。

 更に嫌な妄想が浮かんできたのだ。


「(死体が無くなっただけではない。怪物は飛び散った血までもを飲み干した。理由があるとすれば、やはり死体や血を喰らい飲み干す事で力を得るからではないだろうか? であれば戦闘のプロである練火団や、邪悪な秘術を扱う邪教徒の力が怪物に奪われた事になる。もし、隠し部屋に邪教の使徒や聖女が居たら、その力までもが……)」


 使徒、あるいは聖女とは、神々の恩寵を受けた者達に与えられる称号であり、類稀な力を持つ奇跡の体現者である。


 この嫌な想像が合っていたとしたら、事態は既に深刻化している。

 一度浮かんだ嫌な予想は、脳裏にこびり付いて離れない。


 最悪の事を考えれば自分の手に負えないと考えるギルド長。

 保険をかけておくべきと判断し、根回しなどの算段を頭の中で急ぎ立てる。


「ギルド長? あまり顔色が優れないようですが……」


「ん、ああ、すまん。考え込んでしまっていたようだ」


 一瞬でいつも通りの表情に戻り、平静を装うギルド長。


「ご自愛ください。先日から遅くまで仕事をなさっているようですが」


「この問題はどうにか解決しておきたくてな……どうにも嫌な予感がするんだ」


「嫌な予感ですか。ギルド長の予感は良く当たりますからね」


「今回ばかりは当たって欲しくないんだがな」


 彼は苦笑し、報告を終えた部下を退室させる。


「本当に杞憂であれば良いんだが……」




 この報告の後しばらくの間、下水の調査が定期的に行われるが、ギルド長が望む成果が上がる事は無かった。


 後日、一時期減少していた下水のスライムや、魔獣化した虫や鼠などが、例年通りの数値に戻った事を知ったギルド長は『怪物』が去った事を悟ったが、何も分からない内に逃げられたという事実に一抹の不安が残り続けるのであった。




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