第3話


 言葉もない程に感動していた。

 見える、という事に、前世と合わせてもかつてない程に感動していた。


 虫を吸収した事で得た情報から、魔力で構築した疑似的な虫の目と脳は、確かに世界の輪郭を映してくれていた。


 声が、涙が流せるなら、きっと俺は嗚咽を漏らし号泣していた事だろう。うおーん。


 が、その感動は冷や水をかけられたように引いていった。


「(振動……虫とは違う。大きい)」


 魔力で作られた疑似脳は、虫サイズのものであってもかなり容量を食う。

 不測の事態に備えて解除すべきか維持すべきか……俺は維持を選ぶ事にした。情報、大事。


 振動が伝わってくる方角に目を向ける。


 水面越しにぼやけて見える通路、その曲がり角にゆらめく光。ランプのようなもの、そしてそれを掴んでいる人のものと思わしき手が見えた。

 虫の目の視力は高くないようで、遠くは非常に見づらい。


「(マジか……どうする?)」


 周囲を見渡すように頭と思われる部位を左右に振りながら、人間らしい生き物が姿を現した。


「(まだ距離がある……考えろ)」


 現状取れる選択肢は少ない。

 戦うのは論外。勝ち筋が見えない。自由に動かせる魔力を全て筋肉に変えても無理だろう。


 なら、逃げるか?

 下手に動く方がばれるかもしれない。でもばれないかもしれない。賭けとしては分が悪いだろう。


 では隠れてやり過ごすか?

 だが水路の底に溜まっているゴミは少ない。水流があるせいだろう。端の方には少し溜まっているようだが、体を隠すには心もとない。


 光に照らされる壁から黒い点……たぶん虫が逃げるように散って、何匹かが影になってる場所に滑り込む。そして見分けがつかなくなった。


 それを見て、ふと閃いた。


「(そうだ、擬態だ!)」


 急いで魔力にイメージを付与する。

 周囲の色と同じような色に体表が変化するよう構築していく。

 ぶっつけ本番だし、自分の……虫の目では、対人間の擬態として上手く機能しているか分からない。

 分からないが、これ以外の良い手も思いつかない。祈るしかない。


 近づいてくる。

 人影は三人。

 先頭に立つ人物に焦点を合わせてみようとするも、ランプの放つ光と、入れ物の屋根が作る影で良く見えない。

 何か分かる事はないかと観察していると、顔とランプをこちらに向けられる。


 慌てて目を逸らす。


 何かを喋っているような振動が上から伝わってくる。


「(……バレたか?)」


 心臓があったら破裂しそうなくらいの緊張感。

 息を殺して、上に居る人間が立ち去る事を祈る。




 振動が、中々止まない。




 動けないまま時間が過ぎる。


 十秒。


 二十秒。


 三十秒と経ち、振動は徐々に弱く、間隔が空いて伝わってくるようになった。


 どうやら、離れて行ってくれたようだ。


「(……助かった……?)」


 気が抜けそうになるが、振動が届かなくなるまでは不動で居よう。視線も向けないままにしておく。

 心の中でそう誓って、しばしこの場で佇む事にした。






 振動を感じなくなった。


「(ふぅ……何とかやり過ごせた……)」


 けれど何度も通じる手とは限らない。

 この先生きのこるには、敵に遭遇した時に使える手札を用意しなければ。


「(少し前進したと思ったけど、まだまだ先は長いな)」


 用意すべき手札の優先順位を決めよう。


「(まず第一に逃げる手段が欲しい。次に隠密を今より高い完成度にして。戦闘力は最後でいい)」


 逃げ回ってりゃ死にはしない。認知されなきゃ居ないのと同じだ。証拠を残さなければ勝手な勘違いも期待できる。


 現状の仮想敵である人類は、一度でも被害を与え、それが認識されるとひたすら狙われる可能性が高い。


 人類は数の暴力も恐ろしいが、それ以上に危機的状況において発揮される狡猾さと、あらゆる外道を許容する凶悪さが怖い。いくら強くなっても相手にしたくない。


 人類との生存競争なぞ、するだけ損だ。


「(とりあえず生きのこって……生きて、何をしよう? あの神様っぽいのに、特に何かやってほしいとも言われてないんだよなぁ)」


 俺も特にやりたい事があるわけではないが、折角転生したので何かしら目標を持つのは良いかもしれない。


「(よくあるのはスローライフとか? 他だと無双系……ちょっと俺のキャラじゃないな、たぶん。ざまぁ系はー……誰にざまぁしろってなるな)」


 うんうんと、心の中で唸っても答えは出ない。

 前世では何となく生きてただけだし、未練もこれといってないし、面倒は嫌いだし、目立つのも嫌だし、仕事したくないし……。


「(そうだ、ヒモニートになりたい。なろう)」


 我ながら最低の目標に行き付いた。


「(擬態や体の変形を駆使すれば美少女や美少年にもなれるはず……そしたらチョロそうな陰キャとか社畜を甘やかして全肯定してやって、依存させて財布にしよう)」


 そして具体的なプランが出来上がってきた。まあ対価として身体を多少は好きにさせてやっても良いだろう。スライムだし心配事もなかろう。

 気をつけるべきは陰キャとメンヘラとヤンデレはそれぞれ別物で、後ろ二つには極力触れないようにすべきって事だ。


「(年齢は……スライムって寿命あるのかな? たぶんなさそう。どう誤魔化すかな……異世界だし長命種とか、大人でも子供体形の種族とか居るかもな)」


 ずっと姿が変わらないと違和感を覚えられるかもしれないけど、異世界だし何か良い感じの何かがあるかもしれない。


 なんにせよ情報が必要だ。この世界に対して俺はあまりにも無知すぎる。

 なので情報を集められるようにするための、隠密行動をするための、移動手段を確保するために、もっと色々吸収して手札を増やさないといけない。


「(とりあえず地道に虫取って、あわよくば動物も捕獲したいな。下水道なら鼠とか居るかもしれない)」


 暫定的ながらも目標が出来たことだし、頑張りますか。





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