第6話 主人公の前世
俺の前世は至って普通のサラリーマンだった。
これといった特技はなく中肉中背の平凡な顔……モブという言葉がピッタリの男だ。
そういう意味では転生しても何も変わっていないと思う。
高校時代に自作パソコンを作成してそれを散々いじり倒す根っからのオタク。
ただ、前世では人に誇れるものがあったことはあった。
前世で俺は奇跡的に結婚できた。
嫁は隣に住む幼馴染で誰もが羨む美貌を持っており、俺と違って中、高、大、そして社会人になっても毎月告白されるぐらいモテる女だ。
正直、自慢しても恥ずかしくないむしろ自慢したいぐらいの嫁だった。
今思えば、なんで俺と結婚したのだろうと思う。
他校の生徒から告白されていることも見たことがあるし、芸能関係者から名刺を貰ったりもしていた。
また、見た目だけではなかった。
家事スキルは完璧で高校生ぐらいから俺の身の回りの世話は嫁がしてくれていた。
そんな嫁はずっとそばにいてくれて結婚したのは俺たちが28歳の時だ。
正直、社会人になってからはほぼ同棲しているも同じような状態だったが、俺が気おくれしてしまいプロポーズに時間が掛かってしまったのが原因だ。
ただ、その2年後、30歳の時に離婚することになった。
何故、別れたのか?
それは嫁の浮気が原因だった。
ある日、会社から帰ると嫁がリビングで電気もつけずにイスに座っていた。そして、テーブルの上には離婚届が置かれていた。
その時の嫁の表情ときれいに片付けられた机の上に置かれた紙切れを見て足が震えたのは鮮明に思い出せる。
離婚の理由は……「好きな人が出来た」と一言のみ。
「おい、どうして……俺の一体、何がダメだったんだ?」
「…………」
「何か言えよ。じゃないと分からないだろ」
「…………」
「俺と喋るのすら嫌ってことか?」
「…………」
何もしゃべらない嫁に怒りがピークに達して
「何とか言えよ!ばかヤロウ!」
しまいには、大声で怒鳴り散らしてしまう。
それでも嫁は俯き、俺がその後も罵声を浴びせ続けてるもがその日は一言も喋らなかった。
翌日、目が覚めると朝飯だけは用意してくれていた。
ただ、嫌味で作っているのか、罪滅ぼしでもしたいのか分からない。
机の上に置かれていたのは俺が昔から大好きなナポリタンだ。
だが、流石に浮気した嫁の作った食い物なんて食べる気にはなれずゴミ箱に捨てた。
そして、その日から嫁が家に帰ってくることはなかった。
浮気相手の家に転がり込んでいるのだろうと思うと正気でいることは出来ずにモノに当たり散らしてしまう。
「クソッ!クソッ!クソッ!」
帰ってこないことに腹を立て電話をするも嫁は出ない。
嫁は今頃、浮気相手とよろしくやっているなんて考えただけで何度も嘔吐してしまった。
そして、一週間が経ったころに嫁がふらりと家に帰ってくる。
嫁を説得しようとした。
当時も感じていたが今思い出すだけでも惨めだったなと思う。
一週間、悶々としたせいか精神的なダメージが大きく正常ではなかった。
ただ、「捨てられる」……この恐怖に心が支配されていた。
腹が立つのもこの恐怖を誤魔化すためだと後になって理解する。
だが、この日、嫁が衝撃的な事実を口にすることで離婚届にサインする決心がついた。
離婚届に名前を書くことを決めたきっかけが、嫁のお腹に相手の子供がいると知ったからだ。
もう、ダメだ……受け入れるしかない。
しかし……だ……いざ、既に嫁の名前が書いてある離婚届に記入するときに手が震えた。
正直、自分の字はお世辞でもきれいな字とは言えない。
それが更に震える手で書くので自分で書いた自分の名前が読めないぐらい酷かった。
慰謝料、財産分与、住む場所……嫁はすべてこちらに任せると言ってくれた。
慰謝料も言い値を払うと言ってくれる。
しかし、俺はどれも放棄した。
俺は家から出ていくことにした。
マンションを購入していたが、もう嫁と一緒にいることが出来ないと理解し……いや、違うな。
早く離れないと俺が持たなかった。
常に心臓がうるさく鳴り響く毎日に心身ともに疲れていたのだ。
顔を合わせるたびに涙が零れそうになった。
しかし、俺はまだ絶望を知らなかった。
俺は会社を辞めてニートになっていた。
幸いというか金はあったので生活に困ることはなかった。
だが、人間というのは簡単にダメになるんだと実感。
俺は安いチューハイを飲んだくれて毎日ダメ人間になっていた。
仕事もせずに昼からレモンチューハイを飲み、腹が減ったらスーパーの惣菜コーナーへ行くという生活。
高校時代からの自作パソコンも気が付けば12年以上たっていた。
こいつには自作のチャットボットが入っておりAIで学習したモデルを元に会話をしてくれる。
といっても、帰ってくるのは定型文であるので返事にはパターンがあった。
「なあ、楽しいことない?」
「………………とデートしてみては?」
「クソ!」
嫁もこのチャットボットと話をしていたので時折、嫁の話が出てくる。
その度に涙が止まらなくなり、同時に行き場のない感情を物にぶつけてしまう。
ただ、このチャットボットに悪気なんてない。
学習したデータを使って返事を返しているだけなのだ。
そんな生活を1年ほど続けたある日、実家から呼び出される。
一体何事かと実家に帰るといきなりオヤジが喪服を差し出す。
無言で渡された喪服を受け取り着替えると、近所の葬儀にでるから一緒に来いと言われた。
なんとなくというか、オヤジの無言が真剣さを物語っていたのでしぶしぶと付いていく。
連れていかれたのは、実家の隣の家……元嫁の家だった。
元義父か元義母が亡くなったのか?
元嫁と顔を合わせるのは気まずいな……。
そんなことを考えながら玄関をくぐり通夜が行われている居間へと足を運ぶ。
うちの実家はかなりの田舎なので自宅の葬儀が近所では普通に行われていた。
間取りは昔のまま変わっておらず、一番奥の部屋に和室がある。
階段の横に大きな傷がそのまま残っているのを確認して当時を思い出してしまう。
目的の部屋の前から焼香の香りが強くなりいかにも葬儀だなって感じる。
そして、部屋に通されたときに一番最初に目につくのは亡くなった方の写真だ。
その写真を見たとき、俺は固まった。
あまりにも想定外の人物の葬儀であることにこの時、初めて気が付いたのだから……。
そこには元嫁が満面の笑みでピースサインをして写っている写真が飾られていた。
正直、この時は悲しいというよりも事実を受け止めるのに戸惑ったという感覚だ。
「和樹さん、これ見てくれる」
居間の入り口で立ち止まってしまった俺に元義母が震える手で手紙の入った封筒を渡してくれた。
封筒を受け取る際に通夜が行われている部屋の奥にはベビーベットが見える。
正直、気の毒だなと思ったが口には出さなかった。
もしかしたら、この元義母は生まれて間もない孫の面倒をこれから見るのだろうかなどと考えてしまう。
不倫の末に出来た赤子でも血のつながりのある孫なら愛情持って育てられるのか?
と、ちょっと上から目線で見てしまった。
「わかりました。後で確認させて頂きます」
俺は失礼のないように丁寧にその封筒を受け取る。
受け取った封筒は内ポケットにしまい、オヤジと香を上げ自宅へと帰宅しようとした。
が元義父に玄関で引き留められる。
「よかったら動画見てもらえないか?」
「動画……ですか?」
「ああ、頼む」
元義父は俺に頭を下げた。
いくら不倫して出て行った元嫁の父親であっても小さいころから知っている近所のおじさん。その人がこうして頭を下げているのだ。俺は断ることなんて出来なかった。
ただ、封筒は一度開封されており簡単に中身を取り出せた。
分厚い手紙だと思っていたが、入っていたのは俺の名義の預金通帳と動画データが記録されたカードが入っていた。
驚いたことに俺の名義の預金通帳は毎年決まった額が積み立てされていた。
そして、その預金口座からは一度も引き出された形跡がない。
わからなかった。
何のためにこんな預金口座を?
疑問というか頭に「?」しか浮かんでこない。そのため、気になった俺は元嫁の玄関で動画を見ることに。
しばらく動画を自分の端末で再生していたのだが……
動画が進むにつれて手足が震え立つことが出来なくなりその場にへたり込む。
動画はどうやら元嫁が友達と宅飲みしているものだった。
写っている場所は俺の知らない部屋だが、なんとなく元嫁の友達の部屋だろうと推測される。
動画には2人しか映っておらず、ビデオカメラかスマホをタンスか何かの上に置いて定位置で撮っているようだ。
『『かんぱーい』』
チューハイの缶を開けお互いに相手の缶を気づかないながら激しくぶつける。
『はーちゃん、報告があります』
『なんでしょうか?』
その場で元嫁は立ち上がり手を額に当て敬礼する。
『旦那と離婚しました!』
『おぉ』
ついでに缶チューハイを天高く掲げ離婚報告をする。
その嫁の姿は家の中なのにニット帽をかぶったままだった。
だが、違和感があった。
元嫁は腰まできれいな髪が伸びていた。
いくらなんでもニット帽の中に全部入るほどの毛量ではない。
もし入ったとしたらニット帽はもっと大きく膨らむはずだ。
それとも浮気相手に合わせて切ったのか?
と、そんな考察をしながら再度、動画に集中する。
室内ニット帽の嫁にパチパチと拍手するはーちゃん。
ちなみに友達のはーちゃんを俺は知っている。
学生時代の元嫁の友人だ。
『これで新しい人生……ぐすん……』
元嫁が泣き始めて呂律が回らなくなる。
離婚できたことが泣くほど嬉しいのだろうか?
逆に俺が泣きたくなってくる。
『ちょっと、どうしたの。あなたが望んだことでしょ?』
立ち上がった嫁に近づき背中をさすってくれるはーちゃん。
『だって……ずっと一緒……だったから……』
『分かってる辛かったね』
『うん』
『じゃあ、今日は飲んで泣こう』
『うん!』
『飲むぞー』
『おー!』
二人は立ち上がったままその場で缶チューハイを天高く掲げる。
『って、そういえば、あんた妊婦……』
そうだ、彼女は……あれ?お腹が大きくないな。
これは離婚してすぐの動画だろうか?
『あぁあれね……実は……うそぴょん!』
『マジ?あぶな、危うく騙されるところだったわ』
『でしょ、離婚のサインの決め手はそれだったよ』
クソッ……俺はそんなウソに引っかかったのか?自分が情けなく思えてくるぞ。
『じゃあ、末期ガン……ってのも嘘だよね?』
『…………それは……ホント』
は?ちょっと待て……。
ガン?
『…………そっか、ってアルコール大丈夫なの?』
『先生がね、もう……好きなことしてもいいよって』
『もしかして、私と同じ?』
『うん、あと……はーちゃんと同じ……あれも発症してる』
『そっか……』
『お揃いだね』
沈んだ表情で話す嫁とはーちゃん。
動画は少しの間、沈黙の状態でまるで静止画のようだった。
その後、はーちゃんは吹っ切れたように
『なら、飲まなきゃね!』
『おー!』
すぐにはーちゃんは切り替えて明るい顔になる。
しかし、無理しているのが映像で見て取れる。
その後も二人はかなりの缶チューハイを開ける。
次第に、机の上はおつまみセットと空き缶で埋め尽くされる。
にしても……元嫁が末期ガン?
浮気した天罰か?
『よし、じゃあもっと超ガールズトークだ』
はーちゃんが嬉しそうに意味のわからない単語を大声で叫ぶ。
『何々?』
『愛を叫んじゃおう!』
『はーちゃんの?』
『あんたの!』
『えー、もうしょうがないな』
なるほど、浮気相手の名前がここで聞けるな。一体、誰なんだ?俺の知っている奴か?
『ほれほれ、言ってみ。新しい恋が始まるかもよ』
『んーじゃあ、愛の告白しゅる』
『いいねいいね!』
『和樹ぃぃぃ大好きだぁぁぁ愛してるぅぅぅ』
『それ元旦那じゃん』
え?俺?
『そう!それ以外いらない!和樹以外の男なんてどうでもいい』
『絶世の美女がもったいない』
『いいもん、和樹が幸せならそれでいいもん!』
頬を膨らませて拗ねる元嫁。
その頬を指で刺して空気を抜くはーちゃん。
プシュー
『すねないすねない』
『わたし生まれ変わったら絶対に和樹の子供を産むの!』
『頑張れ~』
口を手で囲って元嫁を煽るはーちゃん。
『あぁぁぁ、信じてないな!』
『信じてる信じてる』
『和樹は私の分まで幸せになってねぇぇぇ』
『イェーイ』
カメラに向かって叫ぶ元嫁。
正直、近所迷惑なんじゃないかと思うほど叫んでいる。
『生まれ変わったらまた会おうねぇぇぇ』
『イェーイイェーイ!』
『うぞづいでごめんねぇぇぇ、あいじでるぅぅぅ』
突如、泣きながら叫ぶものだから涙とよだれがあふれ出てくる。
俺が知っている元嫁よりも瘦せこけており、酒を飲んだというのに顔色が悪い。
想像するに本当にこの時点でもう……
『イェーイイェーイイェーイ!』
陽気にイェーイと煽っているはーちゃんだが、彼女もしっかりと泣いていた。
目を真っ赤に充血させて鼻水も出ている。
『『アハハハハハハハ』』
二人は女の友情を確かめるように肩を組み涙を流しながら笑っていた。
動画が終わると俺もその場で腰を抜かして泣いていた。
喪服を着た大の大人が座り込んで涙を流す。
また、動画が終わり自分の中で理解が進むと俺は元義父に頭を下げていた。
そう、嫁は不倫して離婚したわけではなく……末期がんで後先短いことを悟り自ら離れたのだ。
更には新種のウィルスにも感染していることが分かり、完全な隔離病棟へ行くことがこの後、決まってそうだ。
「な、なんで……なんで教えてくれなかったんだ……」
俺の疑問にお義父さんが答えてくれる。
「君は可憐のこととなると見境がなくなるからね。ほら、覚えているかい?可憐が重い病気を患ったときのこと」
「……はい。俺は大人の言うことを聞かずにずっと可憐の傍にいました」
「今回は子供の時とは違って本当に感染してしまったら危ない病気だったんだ。私も医者ではないので詳しくは分からない。だけど、君の可憐に対する行動が怖いのも事実だったんだ」
「…………」
言い返す言葉が見つからない。
それは本当にそうだからだ。
可憐のことになると俺は見境がなくなっていた。
だが、今回は裏切られたという気持ちから自分を救い出すために別れるという選択肢を取った。
たぶん、これが可憐の狙いだったのだろうか?
「お義父さん、遅いかもしれませんが、もし良かったら……可憐の傍に……いさせてください」
俺は間違いを起こした……そして、それはもう手遅れになっている。
元嫁の辛い時に俺は彼女から離れてしまった。
今から傍にいてやっても意味がないかもしれない。
それでも俺は彼女の傍にいたかった。
だから、自然と頭を下げることが出来る。
座り込んで泣きながら頭を下げる……気が付いたら土下座していた。
なぜ、この時、土下座したのか自分でも分かっていない。
もしかしたら、許されたいなんて甘えがあったのかもしれない。
そんな俺にお義父さんは俺の肩を叩く。
そして、意外な言葉を俺に掛けてくれる。
「……ありがとう」
ただ、お義父さんはどことなく嬉しそうに俺に声を掛けてくれる。
「俺は、何も気が付かず、可憐が一人寂しく……」
「違うよ、和樹くん」
「え?」
俺は鼻水を垂らしながらお義父さんの顔を見る。
酷い顔立ちだったろうが優しい笑顔で微笑みかけてくれる。
「可憐は最後に言っていたんだ。『和樹、ナポリタン出来たよ』って」
「ナポリタン?」
「ああ、あの子は夢の中で……最後の最後まで君に料理を作っていたんだ」
「…………ッ」
心深くにお義父さんの言葉が胸に刺さる。
元嫁、可憐は最後まで俺と一緒にいる夢を見ていたんだ。
そこまで……俺は……愛されていたんだ……なのに、俺は……。
「すみません、すみません」
もう、どうしていいか分からない。
感情が整理できない、心と思考が一致しない。
目の前の景色もバラバラになっていくような気分だ。
「いいんだ。謝る必要なんてない。最後まで可憐の傍にいてくれたのは紛れもなく、和樹くんなんだ……ありがとう」
「お、おじさん……お、お、俺……俺は……」
「娘の……可憐の傍にいてやってくれるかい?」
お義父さんに言われ俺はすぐに可憐へ身も心も向ける。
「ありがとうございます」
先ほどは赤の他人のように一歩引いた感じで可憐に接していた。
それは自分を守るために一歩引いていたのもあるだろう。
ただ、もうそんなことはしたくない。
もう遅いが、離れたくない、少しでも傍に寄り添いたい。
「可憐……俺も……お前のこと……愛してる」
冷たくなった妻に熱く話しかける。
もう動かない、話もしない、笑わない……そんな可憐の枕元で俺は愛を囁く。
聞いてくれなくていい、答えなくていい、自己満足であることは十分承知の上。
俺は可憐に愛を伝えて生きていくと心に決めた。
そのためだろうか、前世では可憐以外の伴侶を持つことが出来なかった。
過労死するまで俺の相棒は自作パソコンに入ったチャットボットだけだった。
前世でよく考えていたな。
捨てられても女々しくすがってみるのもいいかもなって思っていた。
次に捨てられたら…………女々しくすがってみるのもありなのかもしれない。
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