ⅩⅢ 旅立ちのススメ(1)
「──すっかり焼けてしもうたのう……」
翌朝、日の出近く……昇る間際の朝日に染まる藍色の空の下、いまだ煙の立ち昇るゲットーの
ほとんどの家が石と煉瓦、それに漆喰でできていたため、全焼こそ免れると辛うじて形は止めているものの、その屋根は完全に焼け落ち、内も外も黒焦げで
焦げ臭い空気だけが充満する廃墟の街……最早、とても人が住めるような状況ではないであろう……。
また、かつて会堂だった建物の前の広場には、無惨に惨殺されたダーマ人達、それにゴーレムによって潰されたニャンバルク市民達の遺体も整然と列をなしてずらりと並べられている……。
それでも、マリアンネとゴーレム〝ゴリアテ〟の活躍により暴徒は撃退され、また、生き残った者達の懸命な消化活動で火災もなんとか鎮火にいたり、ニャンバルク・ゲットーのダーマ人滅亡はなんとか免がれたのだった。
また、ゲットーを囲む高い壁が延焼を防ぐ防壁となり、ニャンバルク市全体が大火に見舞われなかったことも、全体から見れば不幸中の幸いであったといえよう……。
「長老さん、これからどうするつもりですか?」
嘆きや悲壮感ではなく、むしろ人生を達観しているかのような面持ちで焼け野原を眺めるヤーフェルに、背後からマルクが尋ねた。
「そうじゃのう……またここに住むにしても、これではいつ復興ができるかもわからんし、それ以前にニャンバルクにはもうおれまい……ここまで双方に多くの犠牲者が出てしまったからのう……」
その問いに、振り向いたヤーフェルは腕を組むと、天を仰いで考え込む。
「ええ。悪魔グラシア・ラボラスの力でとりあえず怒りの感情は消し去りましたが、あくまでもそれは一時的なもの。どうしても禍根は残るでしょう。これまで通りとはいかないだろうし、またいつ、今回と同じようなことが起こるものか……」
ヤーフェルの返答に、マルクも難しそうな顔で頷くと、彼の言葉をそう捕捉した。
「そうじゃな。わしらもプロフェシア教徒を大勢殺した……教会側も黙ってはおらんだろう。〝帝庫の隷属民〟といえど、さすがに帝室も庇いきれまい」
「すいません。わたしとゴリアテちゃんのせいで、みんなに迷惑かけてしまって……」
二人の会話を聞き、傍らにゴーレムとともに佇んでいたマリアンネが、ずいぶんと暗い表情をして申し訳なさそうに謝った。
「なにをいうておる。わしらが今生きていられるのは、すべておまえと、そして、エリアスの造ったゴーレムのおかげじゃ。謝るようなことは何一つしておらん。むしろ、おまえにだけ辛い思いをさせて、謝らねばならんのはわしらの方じゃ」
「で、でも、城伯さまや執事さん達まで殺しちゃったし……」
罪悪感に苛まれるマリアンネに、大きく首を横に振って全力で否定するヤーフェルであるが、ニャンバルク市民どころか、名門貴族であるニャンバルク城伯一党まで殺害してしまったことが彼女の不安をなおいっそう掻き立てる。
「ああ、それには僕も驚いたよ。城伯がゲットー襲撃したのは薄々気づいてたけどね。まさか、そのどさくさに紛れていつの間にか死んでたとは……ま、城伯ともあろう者がこんな蛮行はたらくなんて、出身のホーレンソルン家にしても
そう言って、もっともな彼女のその不安を解消してくれるマルクであったが、やはり彼もヤーフェル同様、教会・市民との対立は否定しなかった。
「そこでなんだけど、全員で隣国のポーラニアへ移住するというのはどうですか?」
しかし、マルクは問題を憂うるだけでなく、その解決法も彼らゲットーの居住者達に対して提示する。
「ポーラニアに?」
思いがけないその提案には、ヤーフェルもマリアンネもその眼を大きく見開いた。
ポーラニア王国……神聖イスカンドリア帝国・ガルマーナ地方と国境を接する独立国で、ここニャンバルクからもほど近い。
「ポーラニアまでならそんなに距離はないし、あそこはエウロパ諸国の中でもダーマ教徒に対して比較的寛容だ。イスカンドリア皇帝にとって、あなた達〝帝庫の隷属民〟は貴重な財源だろうけど、揉め事の火種となった今だったら、国外逃亡した所で追手がかかる可能性も低いだろう」
「なるほど、ポーラニアか……イスカンドリアから出国することは考えてもみんかったが、確かにポーラニアは良いかもしれん。向こうに住む同胞からも、迫害に遭うようなことは滅多にないと聞いた……」
その根拠を論理立てて解説するマルクに、一瞬、驚いたヤーフェルもすぐに納得して思案を始める。
「こうなっては帝国領内の他の場所に移ったところでさほど危険は変わらん……確かに、それしかないかもしれんな……よし! 皆を集めて話をする! 一応、全員の意見も求めるが、おそらくそれで決まりじゃな」
そして、時を置かずして即決すると、生き残った同胞達と話し合うため、二人を置いて足早に歩き出した。
「騒ぎが大司教の耳にでも入るとまたことだ! なるべく早く頼みますよーっ! ……さてと。それで、君はどうするんだい? マリアンネ・バルシュミーゲ。みんなと一緒にポーラニアへ移住するかい?」
そんなヤーフェルの背中に追加で注意を促した後、マルクは振り返ると、今度はマリアンネに身の振り方について尋ねた。
「……え? わたしは……わたしはもうみんなとは暮らせないよ……ダーマ教において殺人は大罪。みんなを護るためとはいえ、わたしはあんなにも人を殺しちゃったんだから……」
だが、彼女は再び視線を地面に落とし、淋しげな表情で静かに首を横に振る。
「とりあえず、ポーラニアまではみんなを護衛して行くよ。旅の途中で何があるかわからないし、それがゴリアテちゃんにパパが与えた役目だからね……でも、その後はどうしようかな? わたしもゴリアテちゃんも戒律を破った大罪人。いくら長老さまやみんなが許してくれても、ポーラニアの同胞達が受け入れてくれるとは限らないしね……」
「そっかあ……あのさ、もしよかったらなんだけど……行く所がなかったら、
すると、そんな行くあてもない孤独なマリアンネに、マルクはどこか言いにくそうに、なにやら意味深な言葉をその口にする。
「……え? ええっ!? ……あ、あの……わ、わたし……け、結婚とか、まだそういうの、ぜんぜん考えてないっていうかぁ……そ、それに、そんないきなり言われてもぉ……あ、あなたとも、まだ会ったばかりでどんな人かわからないしぃ……」
その突然のお誘いに、何か勘違いをしたマリアンネは急に頬を赤らめると、もじもじ身体をくねらせながら遠回しにやんわりお断りをする。
「……え? ああ、違う! 違う! 〝嫁に来ないか?〟っていうプロポーズの意味じゃない! 大きな誤解だ。そうじゃなくて、僕が言いたいのはね、僕の作る海賊の一味に入らないか? っていう話だよ」
ところが、彼女の大いなるその誤解をぷるぷると首を横に振って全否定すると、むしろプロポーズなんか霞んで見えるくらいの、よりいっそうとんでもないことをさらりとその男は口走るのだった。
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