ⅩⅡ 殺し好きの悪魔(4)

「どこだ、どこだあ? ……あった! よし!」


 頭陀袋に取り付くや急いでその口を開き、たくさんの本が詰まったその中からマルクは何かをゴソゴソと探して取り出す。


「もうよすんだ! マリアンネ・バルシュミーゲ! これ以上の殺戮は誰も望んでない! 殺された同胞達も、もちろん君のお父さんもね!」


 そして、歩き出したゴーレムの前へ突然飛び出すと、もう一度マリアンネをそう言って静止する。


「止まって、ゴリアテちゃん」


「オオオオオオ…」


 すると、今度は無視して踏み潰そうとはせず、少なくとも怒りに我を忘れているわけではないのか、彼女はゴーレムに命じてその歩みを止めた。


「そこをどいて! どかないとほんとに踏み潰すよ! 望んでないなんて嘘! きっとパパもみんなも復讐を望んでるよ! ゴリアテちゃんはゲットーのためにパパが造ったんだもん。わたしとゴリアテちゃんは、パパの意思を継いでニャンバルクの街を消し去らないといけないんだよ!」


 だが、やはりマルクの言葉に耳を傾けることはなく、強い意志を込めた口調でゴーレムの上からそう言い放つ……しかし、そう口にする彼女の顔はそれまでの冷徹な怒りを湛えたものではなく、なにか苦痛に堪えているかのような、なんとも淋しげで悲壮感に満ちたものだった。


「そんなことはない! 君のお父さんは…エリアスさんは復讐のためにそのゴーレムを造ったわけじゃない! 君達の幸せのためにそれを造ったんだ! この、〝賢者の石エリクシール〟による黄金変成と同じだよ! ほら、よく見るんだ!」


 そんな彼女にマルクは重ねて反論すると、さっき頭陀袋から取り出したものを見せつけるようにして前に掲げ、さらにそれをマリアンネに向かって放り投げる。


「わっ…! ……これは……」


 慌ててそれをマリアンネが受け止めて見ると、それは脚部分からポキリと折れた、黄金に輝く杯の一部だった。ただし、折れた脚の断面から覗くその中身は、黄金ではなく青銅の色をしている。


「それは、お父さんが〝賢者の石エリクシール〟と信じたもので黄金変成した杯だ。残念ながら、それは本当の黄金変成じゃなく、物質の表面にだけ黄金を纏わす鍍金法の一種だったんだけどね……でも、エリアス氏が〝賢者の石エリクシール〟の錬成に心血を注いでいたのも、すべては娘である君と、それにゲットーに住む仲間達のためだったんじゃないのかい?」


「わたし達の……ため……」


 じっと、黄金色の杯を見つめるマリアンネの顔が、自らの信念を揺るがす戸惑いと躊躇いによってわずかに歪む。


「ゴーレムも同じだよ。それは君達の幸せを護るために造られた……結果的に多くの犠牲を出してはしまったが、君はエリアス氏がゴーレムに込めた意思通りに、立派にゲットーのみんなを暴徒の手から護ったんだ。だから、もういい。もうやめてもいいんだよ!」


「パパの意思……みんなを……護った……」


 さらにたたみかけるようにして語るマルクの演説に、マリアンネは強く杯を握りしめると、苦悶に表情を強張らせながら、わなわなとその身体を震えさせる。


「……それでも、やっぱり街を叩き潰さなきゃ……でないと、またみんなが襲われちゃうかもしれない……そこをどいて! もうわたしの邪魔はしないで! でないとあなただって容赦しないんだから!」


 しかし、それでも彼女の心は頑なだった。ゲットーを護るというエリアスがゴーレムに託した使命感が、なおもマリアンネを突き動かしているのである。


「いや、どかない! お父さんの蔵書を取り返して来たのも何かの縁だ。君にはもうこれ以上、無駄に命を奪ってほしくはないんだよ! エリアスさんだってそう思ってるはずだ!」


「くっ……どうしても邪魔するっていうんなら……ゴリアテちゃん、かまわないから払い除けて!」


 対してなおも食い下がるマルクであるが、彼女は苦しげに奥歯を噛みしめると、ゴーレムにその排除を冷酷に命じる。


「オオオオオオ…!」


 その命令に応え、従順な土の巨人はマルク目がけて巨大な拳を勢いよく振り下ろす。


「……っ!」


「…………!?」


 だが、その拳は直立不動のマルクの目と鼻の先で、なぜかピタリとその動きを止めた……ただ、剛腕の作る強烈な風圧が、彼の帽子とマントを大きく風に翻えさせる。


「ゴリアテちゃん……どうして……」


 自らの意思に反して動きを止めたゴーレムに、マリアンネは眼を見開いて驚きを露わにする。


 と、その時。


〝もういいんだよ、マリアンネ〟


 と言う、そんな亡き父の穏やかな声が、彼女の耳に聞こえたような気がした。


「……パパ……パパぁぁぁ〜っ…!」


 幻の声に、彼女の水色の瞳からは大粒の涙が溢れ始める……そして、黄金の杯を胸に押し当てると、嗚咽しながらゴーレムの肩の上で泣き崩れた。


「オオオオオオ…」


 そんな彼女の小さな身体を、土の巨人はそっと優しく、その大きな手のひらで包んでやる……誰も命じていないのに、まるで自らの意思でそうしているかのように。


「…ううぅ…パパぁぁぁ〜っ…!」


 その身体を包み込む温かな感触に、なんだか父エリアスに肩を抱かれているような気がして、さらにマリアンネは涙を流すと、人目も憚るさらずに大きな声で泣いた……。


 こうして、今度こそ本当に、少女とゴーレムの暴走はようやくにして止まったのだった。


「ふぅ……どうやら止めることができたようじゃの……」


 それを見て、傍に立っていたヤーフェルも安堵の溜息を吐きながら、マルク達のもとへと近づいてくる。


「それにしてもおまえさん、見かけによらず、ずいぶんと肝が据わっておるようじゃの。あの巨大な拳で殴られそうになっても、逃げるどころか微動だにせんかったのだからの」


 そして、ゴーレムを前にしても怯むことなく、身体を張ってその暴走を止めたマルクの肩を、いたく感心したようにポン! と叩いたのであったが。


「うわ…!」


 軽く叩いただけだというのに、彼はおもしろいくらいいとも簡単に、コテン…とその場で尻餅を搗いてしまう。


「……い、いやあ、ただ恐怖で身体が動かなかっただけっていうか……マジ、死んだと思ったぁ……」


 地面にへたり込んだその若者は、顔面蒼白にヤーフェルの方を見上げると、ぷるぷると小刻みに震える眼をしてそう答えた。

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