ⅩⅡ 殺し好きの悪魔(2)

「いきなり短剣ダガーで切りつけまくるとは、どんだけ頭のイカれた野郎なのかと期待して来てみれば……なんだ。貴様か、マルク・デ・スファラニア」


 そんな恐ろしい姿を見ても平然と挨拶を口にするマルクに対して、黒犬の方も呆れたように、意外と甲高い声でそう嫌味を返す。


「すまないね。ちょっと急いでるんでいろいろ端折はしょらせてもらったよ」


「急用? そんな急いで殺したいほど憎んでるやつでもいるのか? ……ん? ほう…なかなかいい感じに血の臭いが満ちてるじゃないか……クククク…」


 さらに慣れ慣れしい態度で言葉を交わす術者マルクに、黒犬はそう言うとすくっと後ろ脚で立ち上がり、一瞬にしてコウモリの翼と猟犬の牙を持つ、修道士のような黒いローブを着た男の姿に変身した。


 その蒼白い顔には丸いフレームの鼻メガネをキザにかけ、左手には分厚い本を抱えた学者風のその男──魔導書『ゲーティア』にあるソロモン王が使役していたという72柱の悪魔の内序列25番、屠殺者の総統グラシア・ラボラスである。


「いや、その逆だよ。これ以上の殺戮を止めてもらいたいんだ。今すぐにね」


 だが、その悪魔に対してもなんら怯えることなく、まるで友人とでも語らうかのうにマルクは早々、本題に入ろうとする。


 いや、最早、友人といっても過言ではないのかもしれない……じつはこのマルク、歳のわりには幼い頃より悪魔召喚を数えきれないくらいこなしている、超ベテランの魔術師だったりするのだ。


 故にこの悪魔グラシア・ラボラスも何度か召喚したことがあり、友人とまではいかないものの顔見知りには違いないのである。


「殺戮を止めろだと? おいおい、寝ぼけてんのか? 〝殺し〟は俺の大好物だって、貴様もよく知ってるだろう? 殺しの手伝いならよろこんでしてやるが、誰がそんな愉しいことをわざわざ止めてやるかよ」


 しかし、悪魔は鼻メガネの奥の細い眼で侮蔑するようにマルクを見下ろし、その依頼を取り付く島もなく拒絶する。


 グラシア・ラボラスの悪魔界における称号は〝殺戮の総統〟。常に血に飢え、特に屠殺や殺人を好む残忍な悪魔である。時に召喚者へも殺人をそそのかしたりするので、数ある悪魔の内でもたいへん危険な存在なのだ。


 確かにそんな悪魔が、殺戮を止めるのに協力するわけがない。


「だからさ。だからこそ君を呼んだんだよ」


 ところが、悪魔のその言葉を逆手にとると、マルクはその幼い顔に不敵な笑みを浮かべて言う。


「対価さ。そんな悪趣味、僕は胸糞悪くて反吐が出そうだけどね。僕は君をこの場へ召喚し、君が大好きで堪らない大量殺戮の地獄絵図を見せてやったんだ。願いをかなえてもらう対価としては充分価値のあるものだと思うけどね」


「ああ、確かにここは悪くない。たくさんの愚かな人間達がお互いに殺し殺され、芸術的に憎しみと血の臭いがこの場には満ち満ちている……ククク…ほんと、この感じは堪らないな……」


 マルクの説明に、悪魔はその超常的な能力で周囲の状況を察知すると、鋭い牙の生えた口から涎を垂らし、イってしまっている眼をして恍惚の表情を浮かべている。


「これを対価に、これ以上の殺戮を止めるという僕の望みをかなえてほしい。君には殺人を誘発する力の反面、逆に憎しみを取り除き、人々を和睦させる力もあるはずだからね」


 そんな血と憎悪が渦巻く空間に愉悦する悪魔に向かって、マルクは再び交渉を始める。


 通常、魔導書の儀式によって召喚された悪魔は、術者の望みをかなえる代わりに魂などの対価を求めてくる……神の権威や印章シジルの力で強引に従わせることもできるが、より円滑に願望をかなえるため、マルクはこの悪魔の好物・・を魂に代わる対価として与えたのである。


「いや、それとこれとは話が別だ。貴様が止めたいってのはあの嬢ちゃんとゴーレムのことだろう? あの嬢ちゃんはいい。いい感じに殺戮に酔っていやがる……それに従う土人形の方にもその憎悪が伝播しているな……このままもっともっと殺しに殺しまくって、俺の渇いた心を満たしてもらいたいところだ…クククク……」


 だが、当然のことながら、殺し好きの悪魔はその条件に応じない。さらに涎を口から垂らすとこの状況をより楽しむつもりだ。


「あ、そんな等価交換を無視したことしてもいいのかなあ? もし願いを聞き入れてくれなかったら〝グラシア・ラボラスは対価を払っても願いをかなえてくれない悪魔だ〟ってみんなに吹聴しちゃうからね。そうしたらどうなると思う? もう誰も召喚してくれなくなっちゃうよ? ま、それでもいいってんなら僕は別にかまわないけどね」


 が、マルクもそれしきでは引き下がらない。その言動をカタに取ると、待ってましたとばかりに脅しをかけるのだ。


「なっ!? 貴様、人間の分際で悪魔を脅す気か!?」


「いや、僕は別にいいんだよ? でも、人間界ばかりじゃなく、他の召喚した悪魔達にも〝あいつは悪魔界のルールを公然と無視してる〟ってうっかり言いふらしちゃうかもしれないなあ……きっと、悪魔達からも総スカン食うだろなあ……いや、僕はそれでもぜんぜん困らないからいいんだけどね……」


「貴様ぁ……チッ…だから貴様のような玄人くろうとは嫌いなのだ……ま、殺しの手伝いができなくなるのはイヤだからな。仕方ない。今回はいいもの見せてもらったし、不本意ながらも言う事を聞いてやる」


 さらにたたみかけるように弱味を突いてくる魔術師マルクに、殺し好きの悪魔、殺戮の総統グラシア・ラボラスもついには屈服した。


 魔導書の記載を元にした悪魔召喚魔術は、その呪文や印章シジルの効能、式次第もさることながら、この悪魔との交渉術こそが最も重要な要素だったりするのだ。


「よし! 契約完了だ。じゃ、改めまして…… ソロモン王が72柱の悪魔序列25番、殺戮の総統グラシア・ラボラス! 我は汝に命じる! マリアンネ・バルシュミーゲとそのゴーレム、そして、この場にいるすべての者達から怒りを取り除き、かの者達を和睦せしめよ!」


 悪魔との交渉に成功すると、マルクは改めて声高々に、グラシア・ラボラスへ具体的な願望の内容を伝える。


「ハァ……この殺戮の総統ともあろう者がなんと情けない……ほら、望みをかなえてやったぞ? これでもうお嬢ちゃん達の怒りは消え去ったはずだ」


 すると、グラシアは深い溜息を吐きながら、渋々といった感じで何かを念じるような仕草をし、わずかな間の後に投げやりな態度でマルクにそう告げた。


「ほんとだろうな? ……ちょっと確かめてくる! まだ帰るなよ?」


 だが、特に目に見えて何かが変わったというわけでもないので、この半壊した家屋の中からでは本当に願いがかなえられたのかどうなのかはよくわからない……マルクは悪魔にそう言い残すと、急いで外へと向かった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る