ⅩⅡ 殺し好きの悪魔(1)

「──ごめんくださ〜い! 誰もいないですか〜? ちょっとお家借りますよ〜? …てか、屋根落ちてこないだろうな?」


 一方の壁が崩れ、屋根が斜めに傾いた家に隙間から滑り込んだマルクは、場違いな声で一応、持ち主に断りを入れる。


 と言っても、倒壊寸前の家屋に住人の姿はすでになく、当然、内部は足下もおぼつかないほどの真っ暗である。


「とりあえず広さ的にはなんとかいけそうだな……」


 そんな暗闇に侵入したマルクは鞄から蝋燭を取り出し、火口ほぐちと火打石で素早くそれに火を点ける……すると、仄かな明かりに照らし出された室内は、半分押し潰された天井で断面が三角形にはなっているものの、平面的にはまだ充分な広さがあった。


「床も生きててよかったよ……」


 次に彼は一枚の畳まれた布も鞄から取り出し、慣れた手つきで無事残っている床へとそれを広げる。


 蝋燭の淡い光に照らし出されたその表には、とぐろを巻く蛇の同心円と五芒星ペンタグラム六芒星ヘキサグラムを組み合わせた複雑な図形が、赤や黄、青、緑の色で描き出されている……魔導書『ゲーティア』に記載される〝ソロモン王の魔法円〟と呼ばるものだ。


 こうした緊急時にも使えるよう、彼はこの布に描いた携帯用のものを、常に鞄に入れて持ち歩いているのである。


「香炉と聖別もよし……と。さあ、急げえ……早くしないと、どんだけ被害が広がるかわからないぞお……」


 さらに香炉を置いて蝋燭から火を移し、小瓶に入った聖水を魔法円の上に振り撒いて祓い清めると、続けて黄金の五芒星ペンタグラム円盤と仔羊革の六芒星ヘキサグラム円盤を、それぞれマントの左胸とその下のシュミーズ(※シャツ)の右裾に装着した。


「でもって、今回は25番、25番……よし! んじゃあ始めるか」


 そして、最後になにやらたくさんの金属円盤を紐で括ったものも鞄から出し、その中から一枚を忙しなく探し出すと、床に敷かれた魔法円の真ん中に立って、いよいよ悪魔召喚の儀式を始めた。


「体裁なんかにかまってられないな。初っぱなから〝短剣ダガー〟と〝極めて強力な召喚呪〟でいかせてもらうよ……」


 彼は独りそう呟くと、腰に下げたカットラス(※船乗りや海賊が好むサーベル)の柄を握ってさっと引き抜く……が、それは一般的なカットラスとは異なり、その刀身はなぜかナイフほどの短さしかない。


 じつはこれ、カットラスのような護拳ナックルガードの付いた柄をしてはいるが、実際には短剣ダガーと呼ばれる儀式用の魔術武器なのだ。


「スー……霊よ、我は汝に強く命じ、絶え間なく強制する! アドナイ、ツァバオト、エロイム……様々な神の名によって! 霊よ、現れよ! 汝、ソロモン王が72柱の悪魔序列25番、屠殺者の総統にして導師! グラシア・ラボラス!」


 先程選び出した金属円盤──特定の悪魔の印章シジルが記されたペンタクルを左手に掲げ、右手のカットラス風短剣ダガーで前方の闇を斬りつけながら、朗々とした声でマルクは悪魔召喚の呪文〝極めて強力な召喚しゅ〟を唱える。


「出現せよ! 炎の被造物たちよ! さもなくば、汝ら永遠とわに呪われ、罵れ、責め苛まれなん! 現れよ! ソロモン王が72柱の悪魔序列25番、屠殺者の総統グラシア・ラボラス!」


 さらに〝炎の召喚呪〟と呼ばれるもう一段階強力な呪文も加えて唱えながら、短剣ダガーで暗闇を斬りつけ続けること数回。やがて、魔法円の前方にある深緑の円を内包する三角形からはドス黒い血のような液体が溢れ出し始める……そして、その不気味な赤黒い液体が凝固して形を変えると、グリフォンの翼を持った黒い犬が、両の眼を爛々と赤く輝かせて姿を現した。


「……お! ようやく現れたね。やあ、グラシア・ラボラス」

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