ⅩⅠ 暴走の乙女(2)
「──ハアっ! ……なんだ? 街が燃えてるぞ? あの方角は……まさかゲットーか?」
暗い山道を一頭立ての荷馬車で降りながら、一望できる街の夜景にマルクは御者台で呟く……闇の中に一箇所、
家々の灯りにしてはどうにも大きすぎる……それに、微かに夜の風に乗って焦げくさい臭いも流れてくるような気がする。
「もし、その〝狩り〟とかいうのの獲物がダーマ人だったとしたら……
不安げな面持ちのマルクは馬に鞭を入れると、デコボコの坂道に御者台から放り出されそうになりながらも、とにかく先を急ぐ……。
ちなみにこの荷馬車は「
「…ハァッ…! 妙に静かだな……まあ、白死病でみんな家に閉じこもってんのか……」
やがて、城のある丘陵を下りて市街地に入ると、夜の街はやけに静まり返っていた。
「……ようやく人がいたか……いや、ちょっと騒がしすぎない?」
だが、火の上がっている周辺……つまりはゲットーのある場所へ近づくにつれ、だんだんと人の声が耳に入り始める……というか、今度は以上なほど騒がしくなってくるのだ。
それは話し声というより、キャー! とかワー! とか奇声をあげているようにも聞こえる。
「…ハァッ! ……なんだ? うわっ! ちょ、ちょっと危ない! ……な、なんなのいったい!?」
やがて、わらわらと人の姿も見えてくるが……否。大勢の人々が、馬車の進行方向とは真逆にこちらへ駆けて来ているのだ。
誰もが顔面蒼白に、ぶつかりそうになるマルクの馬車を左右に分かれて直前で避けると、気にも留めずにそのまま全速力で走り去ってゆく……まるで、何かから逃げているようである。
「……ずいぶん焦げ臭いな。もうじきか……でも、まさかニャンバルク市民が〝狩り〟の獲物とも思えないけど……」
逃げて来る人々が増えるにつれ、夜気に混ざった焦げ臭さはますます濃密になり、藍色をしていた夜空は
「にしても、いったいみんな何から逃げ…うわぁあっ! ど、どう! どう…!」
なおも馬車を走らせつつ、そんな疑問にマルクが捉われていたその時、信じられないようなものがその瞳に映り、彼は慌てて手綱を引くと馬車を急停止させた。
「ブヒヒヒヒーン…!」
「…うくっ! ……痛っっっ……な、なんだあれは……?」
無理な急停止に馬が暴れ、振り落とされたマルクは地面に叩きつけられるが、痛みも忘れて身体を起こすと、そこにいたものを驚愕の表情で凝視する。
「オオオオオオ…!」
それは、信じられないような巨人だった……ゆうに屋根の高さを超えるほどの大きな人型をしたものが、奇妙な低い唸り声をあげながら、周りの家々を破壊して暴れ回っているのだ。
「アハハハ…! もっとやっちゃいなよ、ゴリアテちゃん。わたし達のゲットーが燃えちゃたのに、あいつらの街だけ無事なんておかしいもんね」
また、よく見ればその右肩には、あの赤ずきんを被った少女が異様なまでに平然と座り、狂気を帯びた表情で高笑いを響かせている。
「……いや、生物じゃないのか? ……そういえばイサークから聞いたことがある。ダーマ人には、そんな土の巨人を造り出すカバラの秘儀があるとかなんとか……確か、その巨人の名は〝ゴーレム〟……」
燃えるゲットーの焔に照らし出された灰色の皮膚を見て、かつて父親から聞いたその伝説のことをマルクは思い出す。
「あの赤ずきんの
「ああ、なんということじゃ……」
目の前に広がる光景とわずかに知り得る情報から、すぐさまそこまでの推理をマルクが展開していると、傍らでそんな老人の譫言のような呟きが聞こえる。
「あなたは……」
そちらを振り向くと、ダーマ人然りとしたカーキ色のローブを纏う一人の老人が、放心状態で暴れ回る巨人の方を呆然と眺めている……マルクは面識なかったが、長老のヤーフェルである。
「あ、あの、ゲットーの方ですか? いったい何があったんです?」
「わしにもようわからん……ニャンバルクのプロフェシア教徒達が、白死病の流行はわしらのせいだと襲撃してきたんじゃ……それで、わしは皆に隠れるよう触れ回っておったんじゃが……気づいたら、あの巨人がマリアンネを乗せて、襲ってきた暴徒どもを蹴散らしておって……」
渡りに船とばかりにマルクが唐突にも尋ねると、老人は巨人達の方を見つめたまま、まるで言い訳でもするかのようにしてそう答える。
「ニャンバルク市民が? 襲ったのは城伯じゃないのか? ……いや、今はそれどころじゃないな。状況はもっと最悪だ。それであの巨人はニャンバルク市民を追い回してるってわけか……」
「あれは、おそらくエリアスが造ったゴーレムじゃろう……かつて、そんな粘土でできた召使いをカバラで造り出した長老がいたと云 う……マリアンネは、それを引っ張り出してあんな恐ろしいことを……」
マルクの独白に、訊いてもいないのにヤーフェルはやはり独り言のようにしてそう続ける。
「え? ゴーレムを知ってるんですか? あなたはいったい?」
「わしはこのゲットーの長老ヤーフェルじゃ。長老とは名ばかりの、暴徒に襲われても皆を守れぬ、ただの役立たずな老いぼれじゃがな……というか、ゴーレムを知ってるおまえさんこそいったい……」
思わぬ〝ゴーレム〟という名にマルクが驚いてまた尋ねると、自責する老人もようやくにしてマルクの方を振り返る。
「僕はただの通りすがりの医者兼錬金術師です。でも、じつはマリアンネ嬢と約束して、ニャンバルク城伯からエリアス氏の蔵書を奪い返してきたんです。ほら、あそこに!」
「城伯から? ……そうか。それはあの子も喜ぶじゃろうて……わしが不甲斐ないばかりに、あの
答えてマルクが荷車の方を指し示すと、ヤーフェルは皺だらけの顔に哀しげな表情を浮かべ、燃え盛る背後のゲットーの方へと視線を向けた。
「犠牲者もそうとうにおるが、あの子のおかげで多くの者が殺されずにすんだ……じゃが、これはやりすぎじゃ……プロフェシア教徒もかなりの数が無惨な
語るヤーフェルの黄ばんだ両の眼は、熱を帯びて焔に光っている。
「一緒にゴーレムを……マリアンネ嬢を止めましょう。もうゲットー内からは暴徒を全員追い出したはず。あの様子だと、もうしばらくは反撃してくることもないでしょう……けど、今の彼女は興奮のあまり、そのことに気づいていないんだと思います」
「……あ、ああそうじゃの。こんな突っ立って見とる場合じゃなかったわい。この老ぼれでも、せめてそれぐらいは務めを果たさんとの」
突然の暴徒の襲撃による同胞達の死と、迎え討つマリアンネによる大量殺戮……度重なる惨劇に呆然自失のヤーフェルだったが、協力を申し出るマルクの言葉にようやく長老としての責務を思い出したようである。
「ちょっと手を貸してくださいますか? 取り返してきたお父さんの本を渡してあげたいんです」
「うむ。父親の遺品を見れば、あの子も落ち着くかもしれん」
マルクの頼みにヤーフェルも頷くと、二人して馬車の方へと向かった。
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