ⅩⅠ 暴走の乙女(1)
さて、その頃、ニャンバルク城の一室では……。
「──うーん…残念ながら、ほんとに魔導書の
錬金術師として城伯に雇われた自称〝旅の医者〟マルクが、たくさんの蝋燭で明るくした部屋の真ん中で、エリアスの残した蔵書を読み漁っていた。
「それでも『形象寓意図の書』に『哲学者の薔薇園』、『ルルスの聖典』、カバラの方は『
机の上に山積みされた分厚い本の数々を眺めながら、マルクは関心したように独り呟く。
「でも彼のメモを見る限り、やっぱり
続けてエリアスの日記を手に取ってパラパラ捲ると、同じく研究資料として城伯に渡された、あの表面だけが黄金化したグラスに視線を落とす。
「きっとエリアス氏はこの鍍金法を、
そして、日記を置くと今度はグラスを拾い上げ、内部の青銅が見える断面をじっと見つめながら、どこか淋しげな表情をして独りごちた。
「……さてと。魔導書はなかったけど、あの赤ずきんの
だが、すぐにいつもの飄々とした笑顔を取り戻すと、本の山の中から幾つかを抜き出して大きな頭陀袋に詰め始める。
「さすがにこれだけあると重いな……徒歩は無理だ。仕方ない。馬車でも奪うかな……」
城伯が押収したエリアスの蔵書には、錬金術やカバラ関連以外にも辞書やら辞典やら地誌類、果ては旅行記や小説のようなものまで含まれていたが、それらを置いて行くにしてもけっこうな量である。
「これでよしっ…と。しかし、鞄もあるし、非力な僕一人じゃ外まで運ぶのも一苦労だ。誰か捕まえ手伝ってもらうか……うんしょっ…と…」
すっかり膨らんだ頭陀袋の口を縄で絞め、マントと帽子、それに自身の肩掛け鞄も身につけたマルクは、重たい頭陀袋を引き摺りながら借り受けていた部屋を後にする。
「……うんしょ……うんしょ……まあ、悪魔の力に頼るまでもないな。なんて言い訳して騙そう? ……そういえば今回、お城から物盗み出すってのに鍵開ける
薄暗い廊下を重たそうに頭陀袋を引っ張りながら、「おまえが言うな」というような余計なお節介をマルクは焼く。
「とはいえ、城伯やあの執事には見つからないよう気をつけないとな……てか、なんかぜんぜん人の気配しなくないか? 夜警の兵も見当たらないし……」
そうしてブツブツ呟きながら廊下を勝手口の方へ向かっていたマルクは、いつになく城内が静まり返っていることに気づく。
「ま、その方が逃げるにゃ好都合なんだけど、人足が捕まらないのは痛いな……ん? こんなとこに集まってたのか……」
だが、さらにしばらく進んで厨房が近づいてくると、今度は一転、ガヤガヤと騒がしい大勢の人の声が聞こえてきた。
「なんだ? 今夜はなにかのお祝いか?」
そのままそちらへと進み、廊下に灯りの漏れているその部屋の中をひょっこり覗くと、案の定、十数名の衛兵達が鎧も脱ぎ捨て、ビールをかっ食らいながら楽しげに大騒ぎをしている。
また、その輪の中には男女の仕様人達も混ざっており、お抱えの料理人などはジョッキを片手に傾けながら、竈に火を入れて酒の肴を調理している。
「ちょっと失礼するよ。みんな、ずいぶんとご機嫌だね。今夜はなんの宴会だい?」
荷物運びの手を借りるため、マルクは厨房に顔を突っ込むと入口近くにいた者に声をかけた。
「……んん? ああ、なんだ、錬金術師の先生か。どうだ?
すると、気づいて振り返った赤ら顔の衛兵の一人が、焦げ目のついたソーセージをフォークで突き刺して見せびらかしながら、木のジョッキに入ったビールを頭上に掲げてそう答える。
「あ、いや、まだ僕は仕事残ってるから……てか、君らこそ、夜警にも立たずにそんなお酒呑んでていいの? 城伯さまや執事さんに怒られるよ?」
「なあに、かまわねえさ。城伯さまもシュトライガーさまも今夜は留守だからな。俺達衛兵隊の隊長もついてっちまった。誰も見咎めるやつなんかいやしねえよ」
「そうそう。ここんとこ白死病のせいで、外にも出れずに鬱憤溜まってんだ。兄ちゃんもそんな仕事ばっかしてないで、たまにはハメ外したらどうだ?」
苦笑いを浮かべて丁重にお断りをし、素朴に思ったことを訊き返すマルクであるが、酔っ払った衛兵達は手をひらひらと振ってそんな言葉を返す。
「え、城伯さま達出かけてんの? こんな夜中にいったいどこへ?」
意外なその情報に、マルクは若干、驚いた顔をすると、さらに重ねて酔っ払い達に尋ねる。
「さあな。よくわからねえが〝狩り〟だとか言ってたぞ? 夜に狩りなんて獲物はなんなんだろうな?」
「それに城伯さまは蔵から古い鎧兜出して着込んでたぜ? 隊長や腕っぷしの強えやつらも連れてったし、狩りとか言って、じつは余興に〝戦ごっこ〟でもする気かもな。ゲヘヘヘ…」
どうやら彼らも詳しくは知らないらしく、小首を傾げながら答える
「狩り? ……戦ごっこ……なんか嫌な予感がするな……これは急いだ方がいいかも……悪いんだけど、ちょっと誰か手伝ってくれないかな? 僕も外に用事があるんだ」
そして、何やら胸騒ぎを覚えたマルクは、真剣な表情で酔っ払い達の赤ら顔を見回した──。
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