Ⅸ 怒りの土人形(2)

 その頃、屋外では、変わらず暴徒達による蛮行が続いていた。


「──この家は留守か? ……いや、中にまだいやがるな」


 倒れ伏すおとなり夫婦の骸の傍ら、鍵のかかったバルシュミーゲ宅のドアノブをガチャガチャ回していた男が、閉ざした窓の隙間から漏れる、微かな燭台の光に気づいてしまう。


「へへへ…隠れたって無駄だぜ。今すぐ火を着けて炙り出してやる……おおーい! 誰か松明を一本こっちにくれーっ!」


 そして、仲間に松明を要求すると、自身は手にした血塗れの斧を頭上高く振り上げ、硬く閉ざされた玄関のドアを叩き壊そうとしたのであるが……。


「こんな薄い板一枚で助かると思ったら大間違いだぜ! うおりゃ…んぐはぁぁぁーっ…!」


 振り下ろされた斧の刃がドアに触れたその瞬間、何かが爆発したかのように扉は内側から粉微塵に弾け飛び、同時に吹き飛ばされたその男は向かいの家の壁へ勢いよく叩きつけられてしまう。


「……え?」


 何が起きたのかわからず、松明を渡そうとしていたまた別の者が向かいの家の方を見ると、土壁にめり込んでいるその男は顔面も潰れてピクリとも動かない。


「…………な、なんだ?」


「オオオオオオ…」


 その不可解な現象にわけがわからず、変わり果てた男をただただ呆然と見つめていると、なにやら薄気味の悪い唸り声が彼の背後で低く鳴り響く。


 その声が聞こえてくるのは、今しがたドアの吹き飛んだ家の、その薄暗い家屋の中からだ。


「…………ひっ!」


 ゆっくりとそちらを振り返った松明を持つ者は、その闇の中で真っ赤に光る、獣の眼のような二つの点を見つけた。


 とその刹那、今度は巨大な手のようなものが二つ、暗闇の中からニョキリと伸びて来て、ドアの失われた入口の枠をガシリ…と力強く掴む。


「オオオオオオ…」


 続け様、メリメリ…と左右のドア枠を巨大な指で握り潰しながら、あの不気味に響く低い唸り声をまたもや伴って、人の数倍はあろうかという巨人が彼の前に姿を現した。


「ひいぃ……ば、バケモノ……」


 狭い入口を破壊しながら強引に現れ出たその巨人──ゴーレム〝ゴリアテ〟は、妖しく光る赤い眼で腰を抜かした暴徒を見下ろしている。


 明るい光の下で見れば、その陶製に似た巨体の質感をよく覗い知ることができたであろう……だが、暗い夜の闇の中で、それは黒い山のような影にしか見えない。小刻みに震える暴徒の目には、伝説に云われる本物の〝巨人族ギガント〟として映っているに違いない。


 また、その右肩の上には太い首に両腕を回し、赤ずきんを被った少女がなぜかちょこんと座っている……少女自体はなんとも可愛らしい娘であるが、相反する巨人との組み合わせがむしろその不気味さを増大させている。


「う、うわあぁぁぁぁーっ…!」


 悪鬼羅刹が如きその恐ろしい姿に、暴徒は絶叫を発するとともに手にした松明を思わず投げつけてしまう。


 その橙色オレンジの炎はくるりと宙で一回転をし、夜の闇に弧を描きながら巨人の腹に当たったのであったが……それが、いけなかった。


「やっちゃって。ゴリアテちゃん」


「オオオオオオ…!」


 カン…と軽い音を立てて弾かれた松明が転がった後、肩の少女が抑揚なくそう呟くと、巨人は振り上げたその腕を勢いよく暴徒の上へと叩きつける。


「た、助け…ぎゅはぁ…!」


 次の瞬間、巨岩のようなその拳は暴徒を一撃で叩き潰し、そのまま地面にまでめり込んでいた。


「…………」


 自身の指示で人間一人を…否。すでに二人も殺害しているというのに、肩の上のマリアンネは表情一つ変えないでいる。


「やったね、ゴリアテちゃん。さあ、もっともっと悪者を懲らしめてみんなを助けなきゃ!」


 いや、むしろ薄っすらと冷たい微笑みを湛えながら、血塗れの拳を地面から引き抜く自らの土人形に、どこか嬉々とした面持ちで再びそう命じた──。




「──か、神さま! どうかお助けを!」


「ヒャハハハ…! てめえらを救ってくれる神さまなんてい…ぐはぁあっ…!」


 倒れた婦人に棍棒で殴りかかろうとしていた暴徒の一人が、巨大な拳を横から食らって血飛沫を上げながら弾き飛ばされる。


「…!? な、なんだこいつは…んぎゅはっ…!」


 またその傍らで、すでにダーマ人男性を撲殺していた別のニャンバルク市民は、振り返り様、巨人の足に踏みつけられて敢えなくペシャンコに潰されてしまう。


「その調子だよ、ゴリアテちゃん! わたし達ダーマの民を傷つけるやつらなんか、全員っちゃってかまわないよ!」 


 その人間を踏み潰す巨人の肩の上では、赤ずきんの少女が場違いな笑顔を浮かべながら、いたく満足げに従順な下僕を褒め称えている。


「な、なんだ!? きょ、巨人? …んごはっ…!」


「な、なんなんだ? このバケモノは…どはぁっ…!」


 その姿に驚く間もなく、時に叩き潰され、時に蹴り飛ばされて逝く暴徒化した市民達……その後も、カバラの秘術で生み出された土の巨人は、主人である少女の意思を汲んで暴徒達を端から始末していった。


 それは、ゲットー住民の自衛のために造られた本来の目的を果たしているとも言えなくはないが、ここまでの残虐性を造ったエリアスも想像はしていなかったであろう。


 暗い夜の闇の中、真っ赤な焔に照らし出された古いゲットーの街並みを、ズーン……ズーン…と重低音の足音を響かせながら突き進む、赤ずきんの少女を携えた血塗れの土の巨人……。


「きょ、巨人だ! ば、バケモノだぁあぁぁーっ!」


「に、逃げろぉぉぉーっ!」


 その存在に気づいた暴徒達は、襲撃の手を止めてわらわらと逃げ惑い始める……。


「クソっ! よくもやりやがったなあっ!」


 中には昂揚感に踊らされ、蛮勇にもゴーレムの太い脚に斧を振るう者もいるが……。


「…痛っぅぅぅ……か、硬えぇ……ハッ! …んぎゅはっ……」


 粘土とにかわでできているはずのそれは斧の厚い刃でもまったく刃が立たず、痛む腕を抑える勇者は巨人の裏拳を食らって隣家の壁に呆気なくめり込む。


「……む、無理だ……かなうわけねえ……」


「……や、やっぱりバケモンだ……た、助けてくれえぇぇぇーっ!」


 それを見て、その恐ろしさがけして外見ばかりでないことを悟ると、蛮勇を誇る者達も蒼い顔でじりじりと後退り、中にはくるりと踵を返して涙目で走り出す者さえもいる…… ようやくにして、自分達が狩る側から狩られる側に変わったことを、偽善の熱に浮かされていた彼らも認識したのである──。

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