Ⅸ 怒りの土人形(1)
「──ねえ、ゴリアテちゃん。あの医者だっていってた子、ほんとにパパの本を取り返して来てくれるのかなあ……」
その夜、
「あの城伯から取り返すなんて、やっぱりそんなの無理だよね……でも、あの子の話聞いてると、なんだかほんとにできそうな気もしてくるんだあ……」
燭台の灯だけが照らす薄暗い部屋の中、物言わぬ土でできた大きな人形に、今日も人と会話するようにして彼女は虚な眼で語り続ける。
だが、その時だった……。
「──キャアァァァーっ…! やめてぇぇぇーっ…!」
悲鳴のような声が、不意に屋外から聞こえてきたのだった。
それにガンガン…と物を壊すような喧騒も遠くで響いている。
「……? なんだろう……?」
気になったマリアンネは立ち上がると、玄関の方へと向かった。
「──ウギャアァァァーっ…!」
「死ねえーっ! 邪教徒め!」
それに、なんだか焦げくさいような臭いも玄関に近づくにつれて彼女の鼻腔をかすめ始める。
「もしかして火事? …………っ!?」
怪訝に思いつつ、眉根を
なぜならば、そこには真っ赤に燃え上がるゲットーの街並みと、咽せ返るような血と煙の臭いが広がっていたからだ。
「待て! この悪魔の民め!」
「た、助けてくれ……うぐあっ…!」
また、通りの先に眼を向ければ同胞達が逃げ惑い、追いかける群衆が容赦なく凶器をその上に振るっている……まさに地獄絵図。阿鼻叫喚の景色である。
「…………」
「マリアンネ! よかった! 無事じゃったか!」
非日常的すぎて現実味がなく、まるで悪夢でも見ているかのようなその光景を彼女が呆然と眺めていると、傍らから駆け寄って来た長老ヤーフェルが、叫ぶようにしてそう声をかけた。
「長老さま? これはいったい……」
「街の者達じゃ! 白死病は我らダーマの民がばら撒いたと言いがかりをつけて、このゲットーを襲撃してきたのじゃ!」
怪訝な顔で尋ねるマリアンネに、血走った眼をしたヤーフェルは口早に短く状況を伝える。
「白死病が、わたし達のせい? ……どういうことですか?」
「我らだけ無事なのを見て、そんな根も葉もない流言が広まったようじゃ。どうやら怪しげな騎士が扇動しているみたいじゃがの……とにかくこのゲットーでは逃げ場がない。家の奥に隠れてドアは厳重に閉ざしておくんじゃ! よいな!?」
いまだよく理解ができず、もう一度問い質すマリアンネに対して、ヤーフェルはそう説明を加えると、そんな指示を告げるのも早いか急いで走り去ってしまう。
「皆! 外へ逃げずに家に隠れるんじゃー! ドアは家具を置いて硬く閉ざせえーっ!」
そのままヤーフェルは老体に鞭打ち、同じことを繰り返し叫びながら、各通りを廻って走り去って行く……長老としての任を全うすべく、そうして少しでも同胞達を救おうとしているのだろう。
確かに四方を壁に囲まれたゲットーでは、
「おい! こっちはまだ手つかずだぞぉーっ! しらみ潰しにダーマ人は殺せぇーっ!」
と、走り去るヤーフェルを見送っている内にも、表通りにいた暴徒の一人がマリアンネの家のある裏路地に気づき、今度は攻撃目標をこちらへと変えてくる。
「……ハッ! か、隠れなきゃ!」
その声に、ようやく彼女の中でもこの非日常的な状況が、実際、目の前で起きている事実なのだという現実味を持ち始めた。
慌てて家の中へ戻ると玄関のドアを閉め、鍵と
「……ひぃ…! そ、そこをどいておくれよ! あたし達はここを去るからさ! 後は焼くなりなんなりすればいいわ!」
とそんな時、閉ざしたドアの向こう側から、そんなとなりのおばさんの声が聞こえてきた。
長老の指示には従わず、なんとかゲットーを脱出しようと家から出たところ、やって来た暴徒と鉢合わせしてしまったのだろう。
「そうか。んじゃあ、お望み通り、てめえらの死体ごと燃やしてやらあ!」
「キャアアアーッ…んぐっ…!」
だが、次の瞬間。おばさんの説得も虚しく暴徒の怒号に続き、彼女の断末魔の叫び声がドアの外で虚しく木霊する。
「な、なんてことを! うぐあぁぁぁーっ…!」
さらに一緒にいたのであろう彼女の夫の絶叫も、喧騒に溢れる屋外からドアの木板越しに聞こえてくる。
さっきこちらへ向かってきていた暴徒は手に斧を持ってるようだった……あれで殴られたのだとしたら、二人の無事はもう望めないだろう……。
「…おばさん……おじさん……」
みるみる顔面蒼白になってゆくマリアンネは、へなへなとその場へ座り込んだ。
今日も話をしたばかりのよく知る隣人が、一瞬にして命を奪われてしまった……父親に続き、またしても親しい者を失ってしまったのだ……。
……いや、彼女達ばかりじゃないだろう。あの有様だと、どれほどの友人や知人が同じように無惨な死を強いられていることか……。
自分達は何もしていないのに、なぜこんな目に遭わなくてはならないんだろう? ……父エリアスだってそうだった……何も悪いことをしていないのに、ダーマ人だからという理由だけで、いつもこんな酷い目に……。
「くっ………」
玄関のドアの前で地べたにへたり込むマリアンネであるが、彼女は奥歯を噛みしめると、床に突いた手をぎゅっと強く握りしめる。
自分や父親、そして同胞達が受けてきたあまりの仕打ちを思うと、暴徒に対する恐怖心や知人を失った悲しみよりも、むしろ強い怒りの感情が彼女の心を満たしてゆく……。
「……神さまは、どうしてわたし達を助けてくれないの? どうしてあいつらに天罰を与えてくださらないの? みんな、こんなに苦しんでるっていうのに……」
さらに本来、考えることさえ許されない、自分達の神に対しての疑念すらも思わずその口にしてしまう。
「……神さまがしてくれないんなら……わたしが……わたし達がみんなを救ってみせる……あいつらに、この非道の報いを受けさせてやる……」
そして、ブツブツなにかを呟きながらゆらりと亡霊のように立ち上がると、カッ…と眼を見開いて、不意に部屋の奥へと走り出した。
向かった先は
それはあの「
「起きて、ゴリアテちゃん。わたし達でみんなを助けるよ……」
次いで壁際に
すると、粘土と
ギシギシと小刻みに震えながら、
「オオオオオオ…!」
やがて、すっかり立ち上がったダーマの土人形は奇妙な声を発すると、天井スレスレにまで届くその威容を、主人であるマリアンネの前に堂々と顕現する。
「さあ、ゴリアテちゃん。もう遠慮はいらないよ? わたし達ダーマの民を傷つけるやつらなんか全員残らず叩きのめしちゃって?」
その従順にして強大な力を秘めた暴力装置を見上げ、殺意を帯びた眼差しのマリアンネは無邪気にそんな命令を下した──。
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