Ⅷ 妄信の暴徒(4)

 その日の夜半のこと……。


「──うわっ! な、なんだ!?」


 ゲットーに住むダーマ人達は、ドォォォーン…! という突然の轟音にその眠りを醒まされた。


「こんな夜中にいったいなんの騒ぎだ……なっ…!?」


 ただならぬその音に、各家々からは住人達が様子見に出て来るが、ゲットーの入口すぐ近くに住んでいた家族の父親が、まず最初にその異変に気づく……。


 なんと、夜間は閉ざしている入口の門扉は叩き割られて地面に転がり、ぽっかりと口を開けた暗闇の向こう側には、松明を持った大勢の人々の影が炎に照らされて不気味に蠢いていたのだ。


 いや、手にしているのは松明ばかりではない。斧やら棍棒やら剣やら、果てはハルバート(※槍・斧・槌が一体となった武器)なんかを持った者達までいる。無惨な姿となった入口の門扉も、きっとそれらの武器で破壊されたに違いない。


 その群衆を構成する人々には男ばかりでなく女もおり、年齢も若者から老人まで様々だ。身形みなりもまちまちだが総じて平民階級のようであり、ニャンバルクの市民と考えるのが一番あり得る可能性だろう。


「皆、道を開けよ! 王のお通りであるぞ!」


 暗闇を媒介し、その異様に殺気立った気配がひしひしと伝わってくる群衆を掻き分けて、唯一馬に乗っている人物が手綱を引かれて前列に姿を現す。


 昨今主流のモリオンやキャバセットのような帽子型をしているものとは違い、台形のバケツみたいな兜をすっぽりと頭から被り、鎖帷子を着込んだその身体には、黄色と黒の縦縞に染められた陣羽織サーコートを纏っている……まるで、遠い昔に聖地遠征を果たしたという〝神の眼差し軍〟を思わす騎士の装いである。


 また、馬の手綱を引く従者は漆黒のマントを羽織り、フードを目深に被っていてやはり顔は見えない。


「余は正義の使者、護教の騎士・屠殺シュラフテン王である! 神の教えを滅さんと死の病を撒き散らす邪教徒ダーマ人どもめ! 神に代わりて余が正義の鉄槌を喰らわせてくれようぞ!」


 前列へ躍り出たその騎乗の人物は、腰の鞘から〝ファルシオン〟と呼ばれる巨大な包丁のような片刃の剣を引き抜くと、それを天に掲げて朗々と口上を述べる。


「な、何言ってんだ!? なんで俺達がそんなことするんだよ?」


「そうよ! どうして白死病がわたし達のせいになるわけ?」


 最初の男性に続き、次々に顔を出した住民達もその異様な事態に驚きつつ、騎士の明らかな言いがかりに対して反論する。


「黙れ! 貴様らだけが病魔に犯されていないのが何よりの証拠! 神に懺悔せよとは言わん。ただ黙して天の裁きを受けるが良い! おい、突撃準備だ」


 だが、馬を引く従者がよく通る声でそう一喝すると、数少ない他の甲冑を着た者達六名ほども彼らの背後から前方へとわらわら現れる。


 こちらの兜は当世風のモリオンであるが、顔には黒い布で覆面をしており、ハルバートを持っているのは彼らだ。この者達だけは、どうやら素人の市民というわけではないようである。


「行くぞ、皆の者! 我に続けえぇぇーっ!」


「おおおおおおぉーっ…!」


 続けざま、騎士がファルシオンを振りかぶり、高らかに号令を発すると、暴徒と化した群衆達による大虐殺が始まった……。


「くたばれ! 邪教徒どもめっ!」


「や、やめろ…うぎゃあああぁーっ…!」


 駆け出す騎士の振り下ろしたファルシオンが、静止するダーマ人男性の頭を容赦なく叩き割る。


「キャアぁぁぁーっ…! た、助けて…うぐっ…!」


 傍らで噴き上がる真っ赤な鮮血を目の当たりにし、悲鳴をあげてとなりにいた婦人も逃げようとするが、その背中に今度は覆面兵士の持つハルバートの矛先が無慈悲にも勢いよく突き立てられる。


「俺達も行くぞ! ダーマ人を皆殺しにしろーっ!」


「邪悪なダーマ人どもに神の裁きを!」


 騎士と覆面兵の蛮行に触発され、集まった市民達も我先にとゲットーの住民達を襲い出す。


「ま、待ってくれ…うぎゃあっ!」


「ひ、ひぃぃ…か、神さま助け…ぐはぁっ…!」


 男も女も、血走った眼をした市民達は手にした斧や棍棒で、やはり男女の差別なくダーマ人達を躊躇なく殴り殺してゆく……。


「うわあぁぁぁーん…パパぁ〜っ! ママぁ〜っ…!」


「うるせえっ! この悪魔のガキめが!」


 その恐ろしき野蛮な行いは、たとえ相手が幼な子であろうと変わることがない。


「うわぁあああーん…ごふっ…!」


 両親の亡骸のたもとで泣いていた男の子が、思いっきり棍棒で頭を殴り飛ばされると、近くの家の壁にぶつかってピクリとも動かなくなる……。


「燃やせ! 燃やせ! こんなゲットーなんかあるからいけないんだ!」


「そうだ! ダーマ人がいなければ白死病なんか流行らなかったんだ!」


 また、松明たいまつを持っていた者達はそれをゲットー内の家々に投げ込み、わずかな時間差をおいて窓からはモクモクと黒い煙が立ち上り始める。


「うわぁああぁっ! い、家があぁっ…!」


「よーし! 害虫が炙り出されたぞ! 一匹残らず叩き潰せえ!」


 そして、勢いよくドアが開き、橙色オレンジに染まる屋内から逃げ出して来た顔面蒼白の家人達に、今度は市民や覆面兵達がやはり容赦なく暴行を加える……。


 暴徒と化した市民達の眼に、最早、ダーマ人は人間・・として映っていないのである。


「ガハハハハ…! いいぞ! その調子だ! 疫病を撒き散らすダーマ人どもなど根絶やしだ!」


 自身も大鉈を嬉々として振るいながら、そんな理性の喪失した市民達を馬上の騎士がなおいっそう焚きつける。


 この〝屠殺シュラフテン王〟を名乗る騎士が何者なのかといえば、もう思い当たる人物は一人しかいないであろう……そう。先祖伝来の古風な甲冑で変装した、ニャンバルク城伯ジョハン三世でる。


「こやつらは災厄の根源! 一人も逃すでないぞ! 家もすべて焼き払え! このニャンバルクの地から…否! この地上からダーマ人を一人残らず葬り去るのだ!」


 その変装した城伯の傍で、さらに過激な言葉で先導する黒マントの従者は、もちろん彼の執事シュトライガーである。


 覆面の兵士達も当然、選抜されて同行したニャンバルク城の衛兵達だ。


 秘密保持のため、こっそり小人数で城を出た城伯と執事達であったが、その道すがら、そうして市民達を煽りながら街の通りを進み、やがては大群勢となってこのゲットーへと押し寄せたのである。


 もともとがダーマ人に対して強い差別意識を持っている上に、自分達を苦しめる白死病の原因が彼らだと吹き込まれた市民達は、いとも簡単に正常な判断能力を奪われてしまったのだった。


「そうだ! ダーマ人を殺せ! ダーマ人に神の裁きをっ!」


「悪魔崇拝者達から俺達の街を救うんだ!」


 疫病に対するやり場のない怒りを異教徒へと向けた市民達は、まるで熱に浮かされたかのように残忍な殺戮をなおも続けてゆく……。


 これが、後の世に〝ニャンバルクの大量虐殺ホロコースト〟と呼ばれるようになる、あの有名な事件の発端である。

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