Ⅶ 通りすがりの医者(3)

「――マリアンネちゃーん! ちょっと出てきてー!」


 と、そうしていつものように錬成場ラボラトリウムで過ごしていると、玄関のドアがドン! ドン…!とノックされて、となりのおばさんの声が聞こえてきた。


 これまたいつものように、炊事も買い物もしなくなったマリアンネのことを心配して、おばさんが食事を持って来てくれたのであろう。


「……はい。なんですか……?」


「まあ! また前よりもやつれて。ちゃんと食べてる? あなたが元気でいなきゃ天国のエリアスさんも悲しむわよ?」


 死んだ魚のような眼をしてドアを開けると、やはりそこにはバスケットを下げたおばさんが立っていて、頬の痩せこけた彼女を見て心配そうにお説教をする。


「やあ、こんにちは。君が錬金術師のエリアスさんの娘さんかい?」


 だが、今回はいつもと一つだけ違っていた。玄関の外にはもう一人、見たことのない人物が一緒に立っていたのだ。


 黒いフード付きのマントに金髪オサゲの頭に乗せた魔女帽ウィッチハット……そう。先刻、街の往来で薬売りをしていたあの若者である。


「……どちらさまですか?」


「僕はマルク。こう見えても通りすがりの旅の医者さ。このニャンバルクのダーマ人ゲットーに錬金術師がいると聞いてね。それで尋ねて来たんだけど……話は聞いたよ。お父さんは残念だったね。お悔やみを申し上げるよ……」


 やはり虚ろな瞳で訝しげに見つめ、力無くマリアンネがそう尋ねると、若者は少し悲しげな顔をして、穏やかな声でそんな挨拶を返した。


「それで、亡くなられたお父さんの代わりに君に訊きたいらことがあるんだけど、ちょっといいかな?」


「パパの代わりに? ……ええ。どうぞ中へ……」


 父エリアスの代わり……ほんとに微かな変化ではあったが、精気のない彼女の瞳が、その言葉にわずかながらに反応した。


「ありがとう。それじゃ、お邪魔するよ」


 眼は合わせてくれないながらも掠れた声で促された自称〝旅の医者〟は、遠慮なくその行為に甘えようとする。


「ちょっとあんた、マリアンネちゃんはお父さん亡くなって気鬱なんだからね! 変なこと言って余計傷つけたりするんじゃないよ?」


「わかってますよ。僕はこう見えても医者です。そこんとこは安心してください」


 そんな図々しい若者に、心配性のおばさんが小声で注意を口にするが、彼は胸を張ってそう答えると、マリアンネの後を追ってバルシュミーゲ邸に足を踏み入れた。


「──ハーブティーしかないですけど、よかったら……」


「あ、どうもありがとう……うーん。いい香りだ。やっぱ原料のために植物も集めてるから、錬金術師もハーブに詳しいみたいだね」


 若者を居間に通すと、マリアンネは薄い草色をした飲みものをテーブルの上に置き、湯気とともに湧きあがるその香気に医者は感嘆の声を漏らす。


 そういえば、客など来ないし自分でも飲む気にならないので、お茶を淹れたのもいったいいつぶりであろうか?


「それで、パパに訊きたいことってなんだったんですか?」


 だが、マリアンネはまるでその反応を気にしてはいない様子で、彼の言葉を無視すると早々に本題について尋ねる。


「…ゴクン……ああ、それなんだけどね。ダーマ人で錬金術師ってことは、関連文献としてカバラとか数秘術とか、そんなちょっと魔術めいた本もあったんじゃないかな?」


 すると、旅の医者は一口ハーブティーを飲み込んだ後、そんな予想の斜め上をゆく、どういう意図だかよくわからないことを言い出すのだった。


「いや、じつは僕の育ての親って人も魔術や錬金術について詳しかったんだけどね。その父親と僕はスファラーニャ王国出身なんだ…あ、スファラーニャって知ってる?」


「……え? ええ。名前だけは。南の方の国ですよね? そこにもダーマ人が大勢いたって長老さまが。でも、何年か前に隣国に併合されたって……」


 不意に訊き返され、マリアンネは面食らうも知っている情報を思い出しながらそう答えた。


「そう。その通り……宗教には寛容だったからね。プロフェシア教国であるエルドラニアに武力制圧される前までは、ダーマ教徒もアスラーマ教徒も、みんな自由に暮らすことができてたんだ。ま、そんな環境にいた父さんからいろいろ習ったんで、僕もダーマ人の錬金術師事情は多少なりと知ってるんだよ……で、なんだけどもね」


 マリアンネのその返事にどこか淋しげな表情を見せる旅の医者であったが、そのわりには饒舌に話を続けると、いよいよ彼も前座を終えて本題を切り出す。


「その手の本の中に、魔導書グリモリオ──この辺の言葉だと〝グリムモワル〟が混ざってる可能性を疑って、僕はここへ寄ったんだ」


「……!?」


 魔導書……その今や憎悪の対象でしかない単語の響きに、マリアンネはカッと眼を見開くと、みるみる膨れ上がってゆく怒りに我を忘れて激昂した。

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