Ⅶ 通りすがりの医者(1)

「──さすが皇帝領自由都市。けっこう賑わってるなあ……」


 さて、エリアスが非業な死を遂げたわずか数日後のこと。ニャンバルクの街を一人の若者が訪れていた。


 黒いフード付きのマントを纏い、肩からはパンパンに膨らんだ肩掛け鞄を下げたその若者は、金髪の三つ編みオサゲ頭に被った魔女帽ウィッチハットの庇を右手でひょいと上げ、美しい碧色の眼で賑わう通りの様子を見回している。


「この様子だと、まだ白死病・・・の魔の手は迫ってないようだけど……まあ、時間の問題だろうね」


 さらに彼は街の隅々までつぶさに観察すると、狭くて暗い裏通りを走るネズミを目敏く見つけ、誰に言うとでもなくぼそりと呟く。


「さて。そんじゃいっちょ商売といきますか……さあさあ、ニャンバルクにお住まいの皆さま! 今、ガルマーナ地方は再び白死病の災禍に覆われようとしております! ですが、この特別に調合した薬さえあれば、もし白死病にかかったとしても一発で全快! 備えあれば憂なしですよー!」


 そして、四辻の端に立つと鞄から丸薬入りの小袋を取り出し、不意に朗々と口上を述べて薬売りを始める。


 白死病──それは、ネズミやノミなどが媒介する細菌によって健康な血液が急激に減少し、全身に酸素を行き渡らせることができなくなるために高確率で死に至る病である。


 血の気が失せることで罹患者の皮膚が蒼白くなることから、世間では〝白死〟の病名で広く呼ばれている。


 その高い致死率に加えて感染率も凄まじく、十数年に一度の間隔で大流行を見せると、各国の人口を半分以下にまで減少させるなど、その度に甚大な被害を世界的な規模で与えていた。


 それがまた今、このニャンバルクを含むガルマーナ地方で猛威を奮い出したのである……。


「白死病? ハハハ…どこに白死病なんか流行ってんだよ?」


「この街にゃ白死病のハの字も見当たらねえよ」


 だが突然、そんな薬売りの商いを始められても、街の人々は笑って相手にしようとはしない。


 彼の言う通り、確かに近隣の街や村においては流行の兆しを見せていたのだが、ここニャンバルクに限ってはまだその兆候すら見られなかったのである。


「それに白死病の特効薬なんて聞いたことねえ。どうせ効きもしねえ偽薬だろう?」


「坊主、偽薬売るんでももうちょっと勉強してからにするんだな」


 その上、童顔の彼を無知な子供だと侮り、詐欺師扱いまでして見下してゆく。


「いや、これでももう僕は成人男性だし、この薬はかの偉大な伝説の医師〝パラート・ケーラ・トープス〟直伝の一夜にしてベローニャンの街を救った妙薬なんだけどねえ……」


 そんな去り行くニャンバルク市民達を見送りながら、眉根を「ハ」の字にして若者は嫌そうにそう呟いた。


「ま、無理強いして薬買わせるのもなんだし、無償で配ってやるまでの義理はないからね。仕方ない。流行ってから慌てても僕は知らないぞ〜っと……でも、懐具合も淋しくなってきたし、そろそろ旅費を稼ぎたいところではあるな……」


 取り付く島もない往来の人々に商売を諦めると、辻に設けられた高札こうさつの方へと若者は歩み寄って行く。


 そこの煉瓦壁には新たに決まったニャンバルク市の法令や尋ね人、求人などの貼り紙がなされており、その中に何かうまい儲け話はないものかと彼は考えたのである。


「さてさて。なんかうまい話はないかなあ……ん? 錬金術師募集。ニャンバルク城伯?」


 端からざっと貼り紙を見渡していった若者は、その中にまだ真新しいそんな求人広告を見つける。


「今のニャンバルク城伯さんは錬金術にご執心なのかな? ま、とりあえず心に留めおいとくことにするか……それより、やっぱ旅費の前に本題を先に片付けなくっちゃな……」


 その珍しい求人広告には少々惹かれるものがあったらしいが、彼は何かを思い出すと、再び往来の中へと戻って行った──。

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