Ⅵ 父の帰還(4)

 運命の悪戯か? あるいは残酷なる神の思し召しなのか? マリアンネがニャンバルク城にたどり着いたのは、まさにその直後のことだった……。


「……ん? なんだ性懲りも無くまた来たのか!?」


「ほんとしつこいなあ、おまえも」


「お願いします! パパに会わせてください! それか、城伯さまに取り次いでください!」


 最早、顔馴染みともいうべき門番二人に気づかれると、今日もマリアンネは必死に頼み込む。


「なに? 父親だじゃなく城伯さまにだと? 父親もだが、それこそ無理に決まってるだろ。おまえごときにお会いくださるはずがなかろう?」


「それじゃあ、この前話した執事のなんとかさんでもいいです! けして城伯さまにとっても悪い話ではありませんから!」


 当然のことながら拒否する門番に、なおもマリアンネは食い下がる。


「執事のなんとかさん? シュトライガーさまのことか?」


「いや、じゃあ…って、執事さまにだっておいそれとおまえのようなダーマ人が…」


 城伯から執事にランクを下げてはみても、やはり無理な相談だと門番が顔をしかめたその時。


「……ん? おまえはエリアスの……」


 ちょうど外出しようとしていたシュトライガー執事が、城門の所まで出て来たのだった。


「はっ! 執事さん! お願いします! パパに…パパに会わせてください! 城伯さまのお望みは知っています! 賢者の石エリクシアの錬成法をお教えするよう、わたしがパパを説得してみますから!」


 執事の姿を視界の隅に捉えると、今度は彼の方へ向かってマリアンネは乞い願う。


「……ほおう……それはまた殊勝な心掛けだな……ちなみに訊くが、おまえも賢者の石エリクシア製造の秘密を知っているのか?」


 すると、シュトライガーは狡猾に口元を歪め、首を縦に振る代わりにそんな質問をマリアンネに投げかけた。


「いえ。詳しいことは……でも、必ずパパを説得して、賢者の石エリクシアの錬成法を話させます!」


「……やはり、娘ではわからんか……よし。待っていろ。今、父親を連れて来てやる」


 その問いかけにマリアンネが首を横に振ると、シュトライガーは残念そうに何か呟くも、どういうつもりか思いもよらないことを口にしてくれる。


「はぁ……あ、ありがとうございます!」


 待ちに待っていたその言葉に彼女はパッと顔色を明るくし、再び城の中へと戻ってゆくシュトライガーの後姿を期待を込めた瞳で見送った。


 ところが、ようやく再会できる父親に胸を躍らせ、今か今かと待っていたマリアンネの眼の前に現れたものは……。


「──なに? ……どういうこと……?」


 衛兵に引かれた荷車の上に載る、こものかかった一体のむくろだった。


「残念だが一足遅かったな。エリアスは取り調べの最中に体調を崩し、そのまま息を引き取ってしまった。罪人死亡となれば、これ以上の詮議は無用。遺体はもう連れ帰っても良いぞ? ちなみにその荷車もエリアスの持ち物ゆえ返すには及ばん」


「……そ、そんな……う、嘘だよね……そうだよ……パパが死ぬわけないもんね……」


 シュトライガーの言葉も耳には入っていない様子で、マリアンネはフラフラと荷車へ歩み寄り、恐る恐るゆっくりと、骸の上にかかった菰をめくってみる。


「……パパ……パパぁあああーっ! いやぁああああーっ!」


 しかし、儚い彼女のあらがいも虚しく、その震える水色の瞳に映ったものは、全身に無数の傷を刻まれ、痩せこけて、眼からは生気を失った父親の冷たい身体だった。


「……やだよ……ねえ、嘘だよね? そうやってわたしをびっくりさせようとしてるんでしょ? もうバレバレなんだからやめてよパパ……ねえ、パパ……パパったらあぁぁっ…!」


 無惨な姿となった父親にすがりつき、大粒の涙を流しながら揺り起こそうとするマリアンネではあるが、その虹彩を喪失した両の眼は半開きのまま動こうとしない。


「ああ、勘違いするなよ? これはあくまで魔導書の違法使用についての取り調べ中に起こってしまった悲劇だ。我々も法と秩序を守るためのやむを得ぬ措置だった。そなたも、他ならぬ戒律を重んじるダーマ教徒ならばわかるであろう?」


「…パパぁ! 起きてよパパぁぁあっ…!」


 さらに追い討ちをかけるかのように、そんなマリアンネに対して言い訳めいた台詞を吐くシュトライガーであるが、やはり我を失った彼女の耳にはまったく入っていない様子である。


「聞こえてはおらぬか……私は所用で出てくる。後は任せた。早々に引き取らせよ」


「は、はあ……」


 何か汚いものでも見るかのようにマリアンネ親子を一瞥した後、シュトライガーは門番にそう言いつけると、早々、街の方へと坂道を下って行ってしまう。


「……パパぁぁ……ねえ、起きてよ…グスン……どうして起きてくれないの……」


「なあ、気持ちはわかるけどよお……もうそろそろ楽にしてやったらどうだ?」


「ああ、そうだぜ。やっと楽になれたんだ」


 執事が去った後も、いまだ亡骸にしがみつくマリアンネを見かねて、いつもは容赦のない門番達も今日は同情気味に声をかける。


「親父さんも家に帰りたがってるぜ? ほら、親父さん連れて早く帰ってやんな」


「家に帰ってねんごろに弔ってやれよ」


「……グスン……うくっ……グスン……」


 それは人としての自然な反応による何気ない気遣いではあったが、残酷な現実を受け入れようとしない彼女の心を意外にも動かす力をそれは持っていた。


「……グスン……パパ、ようやく帰れるね……さあ、帰ろう……わたし達のお家に……」


 ゆっくりとエリアスの亡骸から離れたマリアンネは、弱々しくも荷車の持ち手を掴み、俯き加減にとぼとぼと城門の前から歩き出す。


「おお、気をつけて帰れよぉ〜!」


「俺達が言うのもなんだけどよ、気をしっかり持てよ〜!」


 そうして坂道を下ってゆく痛ましい父子の後姿に、門番の二人はどうしても声をかけずにはいられなかった──。

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