Ⅵ 父の帰還(1)
その日の夕刻……。
「──ふぅ……嫌なこともいろいろあったけど、なんとかこれだけ稼げたよ」
銅貨の入った皮袋の財布をチャリンチャリン鳴らしながら、
軽くなった薬箱を背に、家路につくマリアンネは心地良い疲労感を全身に感じている。
今日は大変な一日であったはずなのに、夕日を浴びて赤く染まる彼女の顔には、どこか満足げな微笑みが浮かんでいた。
「一日離れてただけなのに、なんか、すごく懐かしく感じられるな……」
しかし、ようやく住み慣れたゲットーへとたどり着き、愛着ある入り口の門を潜り抜けたその時。
「ああ、マリアンネ! 大変だ! 大変なことになったぞ!」
彼女の姿を目にした顔見知りが、慌てた様子で駆けつけて来た。
「ど、どうしたの? 大変なことって?」
「え、エリアスが、違法に魔導書で悪魔の力を使ったって! そんで今、無許可で所持してる魔導書を押収しに家捜しも入ってる!」
突然のことに驚いて尋ねると、さらに驚くべきことを彼は告げてくる。
「ええっ!? そんな……だってパパは今、ニャンバル城に……くっ…!」
何がなんだかわけがわからず、疑問を言い終わらぬ内にも彼女の足は家へ向けて走り出す。
「……ハァ……ハァ…… な!? なに、これ……?」」
狭い路地を駆け抜け、家の前へマリアンネが飛び出ると、そこには人集りができており、さらにその中心には荷馬車が一台停まっていた。
「おお、マリアンネ! 戻ったか!」
「長老さま! どういうことですか!? だってパパはニャンバルク城で
その人混みの中にはヤーフェルもおり、お互いに気がつくと歩み寄って口を開く。
「見ろ。エリアスが魔導書を使ったと、あらぬ罪を言い立てておるのはその城伯達じゃ」
疑問に答えたヤーフェルの視線を追い、マリアンネも再び家の方を覗ってみると、中から出て来た衛兵達の肩袖には、ニャンバルク城伯を表す〝白黒のチェック地に王冠を被ったドラゴン〟の紋章ワッペンが貼られている。
「これで錬金術…じゃなかった、魔導書と思われる書籍は全部か!?」
「我々ではよくわからないので本はすべて押収しました! 今持って来た分で全部です!」
その衛兵達が、なにやら抱きかかえていた本の束を荷馬車の上に積み込んでいる……よく見れば、それはすべてエリアスの持っていた、錬金術やその他周辺学問に関する書籍類だ。
「錬金術に使うと思しき道具類はどういたしましょう? あと、なんだか巨大な土人形もありましたが……」
「土人形? なんだそれは? まあいい、放っておけ。とにかく我らの言われているのは錬金術…じゃなかった魔導書関連の本のみだ。積み込みが終わったら退きあげるぞ!」
衛兵達の隊長と思われる人物は、またもうっかり口を滑らしつつ部下の質問にそう答えると、すでに家捜しを完遂してバルシュミーゲ宅を後にしようとしている。
「やめてえ! それはパパの本だよ! どこ持ってく気ぃ!?」
「あ! これ、待ちなさい!」
押し込み強盗が如きその所業に、人垣を掻き分けて荷馬車へと飛びついたマリアンネは、ヤーフェルが止めるのも聞かずに本を取り戻そうとする。
「なんだ貴様は!? 邪魔だどけ!」
「きゃっ…!」
だが、小柄な少女では敵うはずもなく、呆気なくも荷馬車から引き剥がされると、力任せに突き飛ばされてしまう。
「マリアンネ! 大丈夫か!?」
「よいか! 他の者達もよく聞け! 貴様らダーマ人はただでさえ教会の教えを認めぬ許しがたき異教徒! 我らの取り調べを邪魔すると言うのならば貴様らも同罪だ! このゲットーぐるみで違法に魔導書を使用していたものと見なすぞ!」
倒れたマリアンネに慌てて駆け寄るヤーフェルの傍ら、衛兵の隊長は集まった住民達に対して朗々と声を張り上げて告げる。
その言葉には、家の前を取り囲む人々も思わず後退りしてしまう……そうでなくとも常日頃から迫害を受けるダーマ教徒。密かに魔導書で悪魔を呼び出していたなどと疑われれば、プロフェシア教徒の市民達からどんな恐ろしい目に遭わされるかわかったものではない。
「……くっ……パ、パパの…本を返して……」
「よせ! 今は何を言っても逆効果じゃ。おまえまで捕まってしまっては元も子もない。今は我慢して最善の策を考えるのじゃ」
「よし、行くぞ! ほら邪魔だ! 道を開けろ!」
「パパの……パパの本が……」
人垣を薙ぎ払うかのように鞭を振り、囲みに開いたその道をガラガラ…と遠ざかって行くニャンバルク城の荷馬車……ヤーフェルに抑えつけられたマリアンネは、涙に潤む瞳でそれを眺め、ただただ見送ることしかできなかった。
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