Ⅳ 待ちぼうけの娘(3)

「──パパ、遅いなあ……まだ帰ってこない……」


 あれからさらに四日……早や一週間が経つというのにまだエリアスは帰宅していなかった。


「ねえ、ゴリアテちゃん。なんでパパは連絡くれないんだろう? もしかして、ほんとに何かあったのかな?」


 自分以外、誰一人として存在しない、狭いはずなのにずいぶんと広くなったように感じる静かな家の中……少しでも淋しさを紛らわせようと、埃除けの覆いを取り払うとマリアンネはゴーレムに話かける。


 と言っても、今はただの動かぬ土人形に過ぎないのだが、それでも心細い彼女にとって、父親の造ったゴーレムは数少ない慰めとなっていた。


「そうだ! 長老さまに相談してみよう!」


 あまりにも遅い父の帰りに再び不安になったマリアンネは、ゲットーの精神的指導者である長老ヤーフェルを頼ることにする。


「──うーむ……まだ戻っていないとは聞いていたが、あれからなんの連絡もないのか……」


 会堂内で彼女の話を聞いたヤーフェルは、椅子に腰掛けたまま腕を組むと、目を瞑ってしばし考え込む。


「しかし、何をされたというわけでもないし、ただ城に留まっているだけではのう……ニャンバルク市街のことなら参与会にかけあうという手もあるが、相手は治外法権の城伯さまだしの……」


 マリアンネ同様、やはり不審感を抱くヤーフェルではあったが、現状では長老の彼とて如何ともしがたい。


「とりあえず、今度はわしもついて行くゆえ、もう一度、様子を見に行ってみよう」


「はい。よろしくお願いします」


 まだなんの解決にもなってはいないが、今のマリアンネにとっては長老が一緒というだけでも大変心強い。


 こうして、マリアンネはヤーフェルとともに、再びニャンバル城を訪れてみることになった。




「──なんだ、また来たのか?」


「今度はジジイも一緒か。誰だ? あの錬金術師の親父か?」


 ヤーフェルを伴って再び現れたマリアンネを目にすると、この前と同じ二人の門番は嫌そうに顔をしかめる。


「いえ、わしはニャンバルク・ゲットーの長老を務めるヤーフェルと申す者ですじゃ。この娘の父親がなかなか帰って来ぬとせっつかれましての。一度、帰宅させてはもらえまいかとお頼みに参った次第で」


 門番の質問にヤーフェルがそう答えると、二人の顔には俄に「やばい」という表情が浮かびあがる。


「ゲットーの頭か。大事おおごとになったらマズイぞ? 下手に参与会の耳にでも入ったら、ニャンバルク市側もしゃしゃり出てきかねん」


「変な受け答えして、俺達のせいにされてもなんだしな。一応、執事さまにご指示を仰ぐか……上の者を呼んで来てやる。ちょっと待ってろ」


 そして、小声で何やら相談をすると、一人が城の奥の方へ早足で入って行った。


「──そなたがゲットーの長老とやらか? 私はこの城の執事でシュトライガーという」


 やがて、一人の身形みなりの良い痩せた男が門番に連れられて姿を現す。


 紺のプールポワンにキュロットと白タイツという貴族に準ずる恰好をしており、生真面目そうに黒髪を撫でつけると口髭も綺麗に整えている。


「現在、エリアス殿は城伯さまの求めに応じて賢者の石エリクシアの錬成作業を行っておられる。そなたも錬金術師の娘であれば、この作業にどれだけの長い時と集中力が必要であるかを理解できよう? ゆえに今は帰ることはおろか会うことすらままならぬ。父親が恋しいのはわからんでもないが、仕事の邪魔をしないことこそ真の親孝行というものだぞ?」


 その執事と称する男はそう続けると、この前の門番とのやりとり同様、マリアンネをうまいこと言い含めようとする。


「それに長老殿、たかだか一週間家を留守にしたくらいで大事おおごとにしてもらっては困りますな。ニャンバルク城伯と自由都市ニャンバルクが微妙な力関係にあることはご存知でしょう? 事によってはあなた方のゲットーをくだらぬ争いに巻き込みかねませんぞ?」


 さらに執事シュトライガーは、追い討ちをかけるようにヤーフェルにも念を押す。


「いや、別に事を荒立てようなどというつもりはさらさら……」


 そう言われてしまっては、ヤーフェルもそれ以上、抗議をすることもできない。


「わかりました。会うのはやめて帰ります……」


 また、自分のワガママのために父親と仲間達にも迷惑がかかるとなると、マリアンネも素直に従い、再び対面を諦めざるを得なかった。


「それじゃあ、せめてこれを渡してください。着替えの服と、それからパパの好きなダーマ伝統のお菓子を作ってきました」


 その代わりとばかりに、手提げの籠に入れてきたものを籠ごとマリアンネは執事に差し出す。


「うむ……ちゃんと渡しておくゆえ安心せい」


 それを受け取った執事は覆いのようになっている衣類をめくり、その下に置かれたチーズとクルミ入りの三角ケーキを確認してコクリと頷く。


「では、帰って再び待つとしよう」


「はい……」


 そして、またも前回と同じように、残念そうに俯いたマリアンネは、ヤーフェルともどもとぼとぼと坂道を下ってゆく。


「フン。しつこい小娘め。神に逆らいし呪われた民の分際で……おい! こいつを捨てておけ。ダーマ人臭くてかなわぬわ」


 そんな二人の姿が見えなくなった後、執事シュトライガーは吐き捨てるようにそう告げると、傍らの門番の足下へ預かった籠を放り投げた。

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