Ⅲ 賢者の石(3)
「──そ、それでは始めたいと思います……」
城の衛兵達に手伝ってもらい、案内された広い厨房に道具類を運び込むと、待ちきれぬ様子のジョハンのために、早々、エリアスは黄金錬成を開始する。
厨房の竈に持ってきた
そして、その流体の混合物に鉛の
竈も薪もたくさんある城の厨房は、即席の
「──そろそろかな……よし! 成功だ! ご覧くださいこれを!」
しばらくの後、放置して冷却した炉を開けたエリアスは、金色に変化した杯を火箸で取り出し、頭上に掲げて城伯達に見せつける。
「おおお! 鉛の杯が黄金の杯に! これはまさに黄金変成!」
「なんということだ! これは神の御業か!」
その奇蹟を前に、ジョハンも彼の家臣達も目を見開いて大いに驚嘆している。
「さあ、どうぞ手に取ってご覧ください」
さらに水桶に浸して完全に熱を取り去ると、布で表面の水を拭い、エリアスはうやうやしく杯を城伯の前に差し出す。
「……うむ。見事だ、エリヤスとやら。褒めてとらすぞ」
金色に輝く杯をあらゆる角度からまじまじと眺め、ジョハンは満足げにその口元を歪める。
今、彼は心の内で、その錬金術の奥義が自らのものとなり、巨万の富を手中に収めた後のことを皮算用しているのであろう。
「しかし、これは無垢の黄金になっているのでしょうな?
ところが、城伯に比べて疑り深い性質の執事はまだエリアスを信用し切ってはおらず、細い眉を顰めるとそんな疑念を口にしてくる。
「……え? いやあ、そんなことはないと思いますが……そういえば、まだ確かめたことなかったな……」
疑いを向けられたエリアスは天井を見上げながら、自身もそのことを確認していなかったと今さらながらに気づく。
「そうだな。念のために確かめてみねば……誰ぞ、斧を持て!」
「ハッ!」
執事の言葉にジョハンも頷くと、その疑念を晴らすべく、衛兵に命じて斧を持って来させ、石の床に転がした杯の脚目掛けて自ら斧を振り上げる。
「フン! ……どれどれ、中もちゃんと黄金に……ムム! これは……」
ガシャン…と大きな音を立てて杯の細い脚がポキリと折れると、拾ったその切断面に目を細めるジョハンだったが、その瞬間、彼の表情が不意に強張り、続いて怒りにその瞳がプルプルと小刻みに震え始める。
「おい、これはいったいどういうことだ? 中はまるっきり鉛のままではないか!?」
突然、怒号を響かせたジョハンはその怒りとともに、壊した黄金の杯をエリアスの前に叩きつける。
「え!? まさか、そんな……なっ!? なんということだ……」
驚き、床に跳ね返ってカラカラと転がる杯を拾ってエリアスも眺めてみるが、思いもよらないその事実に彼も唖然と固まってしまう。
なんと、金色になっていたのは薄く杯の表面だけで、中は鉛からまったく変わっていなかったのである。
確かにエリアスは優秀な錬金術師であったが、
そう……その現象は後の時代に〝金アマルガム〟と呼ばれるようになる、水銀による鍍金(※金メッキ)が起こったものにすぎなかったのである。
「貴様っ! 我を小城の主と
「なんという無礼! 所詮は狡賢いダーマ人ということか」
「い、いえ! けしてそのようなことは……いや、信じたくはないことですが、どうやら私の
激昂する城伯に慌てて首を横に振るエリアスは、それでも素直に自分の過ちを認め、自責の念を抱くとともに深く謝罪をする。
「……そうか。わかったぞ。貴様、小者の我などに黄金変成の秘密は教えられないと、かような
「なんと! 確かに金儲けにだけには聡いダーマ人の考えそうなことだ」
ところが、こちらもこちらで黄金に目の眩んでいる城伯と執事はエリアスの失敗を信じてはくれず、なおもエリアスが騙しているものとあらぬ疑いをかけてくる。
「いえ、違います! これは本当に私の誤解だったのです! 私はてっきり黄金変成に成功したものと思い込んでいましたが、この
「いいや。表面だけとて黄金にできた貴様ならば、真の黄金変成の秘密をも知っているに違いない! あくまでもシラを切るというのならば、こちらもそれ相応の訊き方をしてやろう……こやつを地下牢へ連れてゆけ! じっくりと考えが変わるようにもてなしてやる!」
あらぬ誤解が誤解を呼び、予期せぬ容疑をかけられたエリアスは必死に弁明しようとするが、強欲で狭疑心の強いジョハンは傾ける耳も持ってはいない。
もっとも、エリアスが本物の黄金変成を披露していたとしても、
「多少の乱暴はかまわん! さっさと牢へぶち込んでしまえ!」
城伯の意を汲んだ執事の命に、衛兵二人が左右からエリアスの肩を押さえつけ、そのまま強引に厨房から引っ張り出そうとする。
「お、お待ちください! 誤解です! 本当に私は黄金変成ができる
長年の研究が身を結び、ようやく運が開けたかに思えたのも束の間、運命の悪戯にもニャンバルク城伯に野心を向けられたエリアスは、城の地下牢に監禁されることとなったのだった。
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