Ⅲ 賢者の石(2)

 この〝賢者の石エリクシア練成〟のウワサに対して、殊更に興味を持った人物が一人いた……。


「──ほおう… 賢者の石エリクシアの錬成に成功したとな……もし本当であるならば、ぜひともその製造法を手に入れたいものだ」


 市内の小高い丘の上に建つ古城の主、ニャンバルク城伯ジョハン・フォン・ニャンバルク三世である。


 ウェブがかった長い茶の髪に先端の尖った立派な口髭。青いシルクの肩スリット入りプールポワン(※上着)にキュロット(※ハーフパンツ)と白タイツという、いかにも貴族らしい格好をした人物ではあるが、なんとも狡賢そうな悪党面の信用ならない男だ。


 この地方周辺を広範囲に治める名門ホーレンソル家の一族出身であるのだが、時流に乗って選王侯(※神聖イスカンドリア皇帝を選出する諸侯)の一人、ブランデーバーグ辺境伯にまで上り詰めた弟のパードラシュに比べ、ジョハンは貴族としてなんとも不遇な境遇にあった。


 ニャンバルク城伯とは名ばかりで、城下のニャンバルクは皇帝領自由都市のために支配権は及ばず、所有しているのは古びた城とその周辺丘陵のみ。領地であるニャンバルク城伯領も隣接するバリエラン大公のヴィンテージマッハ家、プロフェシア教の司教座のあるワルツブルック司教領との勢力争いで縮小の一途をたどっている。


賢者の石エリクシアさえあれば、安価な金属を黄金に変えることで巨万の富を築き、その財力で領地を買い戻すことも…否、それどころか選王侯の座さえも閣下のものとすることができましょう」


 エリアスのウワサを彼の耳に入れた張本人、執事のシュトライガーが城伯の心情を代弁してその具体的野心を語る。


 こちらは痩せ方の背の高い男で、紺のプールポワンにキュロットと白タイツというやはり貴族に準ずる恰好をしており、生真面目そうに黒髪を撫でつけると口髭も綺麗に整えている。


「その通りよ。これは二度とない好機……必ずや 賢者の石エリクシアを手に入れ、さんざん我をこけにしてきたやつらに目にもの見せてくれようぞ!」 


 ままならぬ境遇に荒みに荒みきっていたジョハン三世の心に、万能の霊薬が野望を芽生えさせることはいとも簡単な作業だった。


「よし! その錬金術師を連れてこい! ダーマ人ごときが賢者の石エリクシアを持つなど生意気にもほどがある。我が有効活用してやろうではないか!」


「ハッ! 直ちに……」


 ジョハンはすぐさま執事に命じ、エリアスのもとにはニャンバルク城への召喚状が届けられた――。




「──早々にニャンバルク城伯からのお呼び出しだ。賢者の石エリクシアによる黄金錬成を御前で披露してもらいたいらしい」


「城伯さまから! もう城伯さまのお耳にも入るなんて、さっそくすごい評判だね! パパ。もちろんお受けするんでしょ?」


 その手紙を読むエリアスに、傍らのマリアンネは嬉々として尋ねる。


「ニャンバルク城伯か……欲をいえば、大公さまとか、もっと力のあるお方の…最終的には皇帝陛下の御前でご覧に入れたいところではあるのだがな。まあ、まずは身近なところからだ。そうして王侯貴族の間でも評判となれば、どこか諸侯の宮廷に召し抱えられるかもしれない……」


 娘の問いかけに、城伯の実情からして少々不満な様子ではあったものの、エリアスはそう答えると丘の上の城へ向かうことにした。


「──それじゃあ行ってくる。そうは言っても城伯さまとて立派な貴族さまだ。黄金変成をお見せすれば、きっとたんまりとご褒美をいただけることだろう……マリアンネ、今晩は久々にご馳走が食べられるぞ?」


「うん! 楽しみに待ってるよ! 一世一代の晴れ舞台、パパ、がんばってね!」


 翌朝、自前の荷車に必要な道具類を積み込んだエリアスは、もらった報償金で食べる豪勢な晩餐を夢見ながら、手を振る娘に見送られてゲットーを後にする。


 ニャンバルク城は小高い丘の上にあるため、土製の炉や原質を載せた荷車を曳いて、坂道をそこまで行くのにも一苦労なのであるが、バルシュミーゲ家に牛や馬を飼うような余裕もないので致し方ない。


 それにゲットー内の仲間には農業従事者がいないため、牛馬を飼っているような家もないので借りることもできない。


「……ふぅー……今さらだが、こんな時こそゴリアテを起こして使えばよかった……ま、道中、怪しまれないよう、どう誤魔化すかという問題は残るが……また、あの夜・・・みたいに騒ぎになってはたまらんからな……」


 額の汗を拭いながら、せっかく造ったゴーレムの有効活用に思い至らなかったことをエリアスは悔やむ。


 それでも、えっちらおっちら坂道を登って行くと、お昼前には巨大な城門の前まで辿り着くことができ、門番に召喚状を見せたエリアスはすぐさま城伯の前に通された。


 いたる所にニャンバルク城伯を表す〝白黒のチェック地に王冠を被ったドラゴン〟の紋章が描かれたその城は、さすが古き時代に神聖イスカンドリア皇帝が居城としていただけのことはあって、長い歴史の中でだいぶくたびれてはいたものの、石造りの城内は今もってなかなかに立派なものである。


「──閣下、こちらが例のダーマ人錬金術師エリアス・バルシュミーゲ氏です」


 玉座の間の一段高くなった上座、傍らに控える執事シュトライガーが、貧乏揺すりをして座る城伯ジョハンにエリアスを紹介する。


「ニャンバルク城伯ジョハン・フォン・ニャンバルク閣下、ご拝謁を賜り、恐悦至極に存じ上げます」


 執事に促され、城伯を前にエリアスは片膝を突いて畏まると、たいそう慇懃に挨拶をしてみせた。


「無駄な挨拶はよい。それよりもさっそく黄金変成を見せてもらおうか」


 一方、対するジョハン三世は素っ気ない態度で挨拶もそこそこに、早々、賢者の石エリクシアによる錬成の実践を要求してくる。


「ここではなんだ。厨房を貸すゆえ、そこで黄金変成をやってみせよ。ついて参れ」


「……え? あ、は、はい!」


 なんともせっかちな城伯に面くらいつつも、すでに歩き始めているジョハンの後をエリアスも慌てて追いかけた。


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