Ⅲ 賢者の石(1)

 そうした高い塀に四方を囲まれた箱庭のようなゲットーの中で、貧しいながらも穏やかな生活をバルシュミーゲ親子が過ごしていたある日のこと……。


「──マリアンネ! ついにやったぞ!」


 台所でマリアンネが洗い物をしていると、興奮した様子で父エリアスが錬成場ラボラトリウムから飛び出してきた。


「ど、どうしたのパパ!? そんなに慌てて」


「ついにやったんだ! 賢者の石エリクシアだよ! 卑金属を黄金に変える賢者の石エリクシアをついに錬成したんだよ!」


 驚いて振り向くマリアンネに、嬉々とした声を大にしてエリアスはそう答える。


「ええっ!? ほんとなの!? ほんとに賢者の石エリクシアを!?」


「ああ。こっちにおいで。証拠をみせてやろう」


 その返答にさらに目を大きく見開くマリアンネを、エリアスは錬成場ラボラトリウムの中へと誘った。


「これだ! 見ろ、この輝きを!」


「黄金の燭台……どうしたの? こんな高価なもの!?」


 足早に錬成場ラボラトリウムへと戻ったエリアスは、全体が金色に輝く、ダーマ民族特有の〝先が七枝に別れた燭台〟を手に取って娘に見せる。


「だから、賢者の石エリクシアを使って黄金に変成したんだよ。これはうちにあったもと・・鉛製の燭台だ」


 その、貧しきバルシュミーゲ家には相応しくない高級品にまたもマリアンネが目を見開くと、エリアスは自慢げに燭台を掲げてそう説明をした。


「え!? ほんとにそれ、うちの燭台なの!? ……でも、ずっと成功しなかったのにどうやって賢者の石エリクシアを……」


「硫黄に本物の黄金も加えてみたのさ! ヘソクリしていたなけなしの金貨一枚を溶かしてね。一説に〝最も理想的な硫黄〟とは黄金そのものであるとも云われている。それに、それが呼び水となって変成作用が活性化されるんじゃないかと考えたんだよ」


 錬金術師を目指しているだけのことはあり、父の言葉を理解するも半信半疑な顔をしているマリアンネに、エリアスはさらに解説を続ける。


「そうして黄金と硫黄、水銀を合わせて〝哲学者の卵(※球状フラスコ)〟に入れ、アタノール(※砂浴用反射炉)で錬成してできた賢者の石エリクシアを、今度は粉末にして水銀に溶融し、そこに浸した燭台を通常の炉で蒸留したら、ほら、これこうなったというわけさ」


「それじゃ、ほんとに賢者の石エリクシアを……やったねパパ! ついに…ついに賢者の石エリクシアの錬成に成功したんだね!」


 誇らしげにうそぶくと金色の燭台を手渡すエリアスに、ようやくマリアンネもその事実を認め、水色の瞳を潤ませながら父の偉業を祝福する。


「ああ、これも神の思し召しだ。神は我々をお見捨てにはならなかったのだ……そうだ! この燭台は感謝のしるしとして会堂に奉納しよう!」


 ダーマの民として、もともと信仰心篤きエリアスではあったが、〝大いなる作業マグヌス・オプス〟の成就に神への感謝の念をますます強くすると、初めて黄金錬成に成功したその燭台を、ダーマ教の礼拝所兼集会場である〝会堂〟へと納めることにした。




「──ほお! とうとう賢者の石エリクシアを造り出したのか! よく精進したのう、エリアス。これはまさに神の俺示しになられた奇蹟……きっとこの成功は、我らダーマの民に平穏と恩恵をもたらしてくれるであろう」


 集まったゲットーに住むダーマ人達でひしめき合う、石造りのひときわ大きな吹き抜けの建造物……その〝会堂〟内部で祭壇の前に立つ長老ヤーフェルは、エリアスから受け取った黄金の燭台を天に掲げながら、その感動に声を振るわせる。


 このダーマ特有のトンガリ帽を被り、白く長い顎髭を蓄えた老人は、ダーマ教の祭祀を司ったり、戒律についての指導を行ったりする彼らの中心的人物である。


「今まで眉唾物だと思ってたけど、ほんとに黄金変成なんてことができるんだな!」


「エリアス、おまえはニャンバルク・ダーマ人の誇りだ!」


 長老ヤーフェルの手にした燭台を見上げると、他の者達も口々にエリアスを褒め讃える。


「みなさん、ありがとうございます! 一つ残念なのは完成した賢者の石エリクシアがまだ少量しかないということ。できれば大量の黄金を造り出し、このゲットーの住民すべてにお配りしたいところですが…… いかんせん、賢者の石エリクシアの錬成にも相応の元手がかかります」


 歓声に湧く同胞達の中央で、エリアスは大きく胸を張ると、感謝の意とともにこれからの抱負についても演説する。


「まずはこの成果を以て王侯貴族に取り入り、資金面での後ろ盾を得ようかと考えております。また、もし宮廷ダーマ人などに取り立てられれば、我らダーマの民の地位向上を働きかけ、このようなゲットーでの隔離政策撤廃をも可能にできるかもしれません!」


 エリアスの語る夢のような話に、「おおおー!」とひときわ大きな歓声が会堂内に響き渡る……確かに夢のような話ではあるが、目の前に現として示された〝黄金変成〟が、それがただの夢ではないかもしれないという可能性を人々に抱かせている。


「マリアンネちゃんのお父さん、ほんとスゴイね!」


「預言者さまくらいに偉大なことしたって、みんな言ってるよ!」


 そんな中、父についてきたマリアンネも近所の友人達に周りを囲まれ、キラキラとした羨望の眼差しで見つめられている。


「エヘヘへ、なんか、わたしまでテレちゃうなあ……でも、ほんと自慢のパパなんだよ」


 大好きな父を賛美する友人達の言葉に、かぶる赤ずきん同様、顔を赤らめたマリアンネも自分のことのように鼻高々だ。


 そうして、ダーマの同胞達から絶賛されたエリアスによる賢者の石エリクシア錬成成功のウワサは、瞬く間にニャンバルク市内へと広がっていった。無論、狭いゲットー内ばかりでなく、市内全域にである。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る