いくつかの狂気の例

せきうさ

いくつかの狂気の例

 梅のコンベアに運ばれ、出荷の真っただ中という感じだ。

 紅赤の絨毯が私を連れ出すのに、何もできないでいる。梅、梅といっても小梅が、赤いのが、幾重にも連なり敷き詰まり、たまに私の服とかを巻き込みながら転がる。目を横にやれば、巨大なエビチリと巨大な小松菜のおひたしと巨大なさつま芋の味噌汁とが巨大な白米にぶっかかったものが巨大に鎮座している。そういうのがいくつもあって、こぼれているのも十分にあって、残飯の海ができているので、私はモーセだ。

 たまに指輪を付けた怪物の手が窓から、合体飯を置いたり転がしたりしに来るのだが、気が付くと私は穴に落ちていた。

 大空だ。


 カチ、というこの音を放つのがスイッチの中でもトグルスイッチであると私は知っているが、とにかく音がして、脳が右に撚れる。

 景色が切り替わり、どこかの音楽スタジオになる。私は落下したままみるみる縮小していき、ドラムのシンバルのとこに落ちる。表面の波が滑らかで素足に心地いい。

 頭上を影が覆ったので見ると、ドラマーがスティックを振り上げているところだった。梅染ミサンガの彼は私を潰そうとしているが、それが実らないことを知っていたので、おとなしく円盤のふちに座った。


 カチ。

「アゲハさん!」

 体がビクッと跳ねる。

 目を開けると、心配そうに私を見やる男がいた。円筒形の黒い帽子をかぶり、同じ色の地味な和服に身を包む温和なおっさん。後ろにあるのは残飯工場でも巨大スタジオでもなく、普通の大きさの、閉店した携帯ショップだ。

だんだん目が覚めてきた。私は路上占いを受けているのだった。

「今も夢を見ていたんですか」

 人には誰だって空想にふけるときがある。それは自分を安らげるが、私はだんだん空想と現実の境が分からなくなってしまった。少なくとも夢くらいリアリティがある夢想は、昼夜問わず私の頭を支配していた。

 なぜ病院でなく夢占いを頼ったのかは自分でも分からないが、もしかしたら、適切な治療ではなく理解者が欲しかったのかもしれない。

「どこまで話しましたっけ」

「印象に残っているという夢は一通り。梅を運ぶ飛行船の話も、全身梅でできた女の話も」

「何かわかりますか」

 男は、んー、とうなって頭を搔き、難しそうな顔をした。掻いたところから虫が湧きそうだ。開けっぴろげな彼の態度には少し好感が持てる。

「梅というのは、一つキーワードになっていると思いますが。何か人生で印象的な出来事が?」

「それが全然思いつかないんです。昔付き合っていた女性は梅が好きでしたが」

 占い師は大げさにうなずくと、遠くを見て、考え首のねじが取れかかっている。

「では夢に出てきた女カ性もその方がモチーフかもしれチませんねッ」

 私は目の前の男を殴って、殴って、殴った。一発目はこぶしで、二発目はガラスの灰皿で、三発目はアヒルの彫像だった。やたら派手に血が飛び散るなと思ったら、やはりそれは梅だった。真っ赤で塗りたくったような梅だ。熟れているなと思ったが、よく考えると熟れた梅が赤いのか、メーカーが着色しているのか私は知らない。そんなことはどうでもよく、次のターゲットを選定するため空を仰いだ。


 カチ。

「アゲハさん!起きてください、アゲハさんっ」

 一瞬身震いして、また目が覚める。リプレイみたく占い師が見ている。私の息は荒い。心臓が馬鹿みたいに脈打っている。何度か大きく息をつき、泣きそうになって顔を覆う。これだ。また飛んでしまった。

「その、すみませんが。病院に行かれた方がいいかと」

 黒衣の男は申し訳なさそうに告げた。ここまでで、彼の親切心はよく分かっていた。悪い気は全くしない。むしろ、そう言ってほしくてここへ来たのかもしれない。

「私も今日は店じまいしますので。駅までご一緒します」

 男は慣れた手つきで巾着を開き、菓子缶に入ったお札やコインを流し込んだ。帽子を取り、半分にたたむとそれも袋に突っ込む。

「貧相ですが、大事な商売道具なので」

 男が卓上を指す。促されるまま見ると、チェス盤の上にはいくつも、触手に口を与えたみたいな化け物がいて、その一匹が私の指を食っていた。触手は美味そうに一本一本大口で咀嚼するが、たまに何か酸っぱいのか顔の筋肉を中央に寄せる。それが少しだけ愛らしい。私がぼーっと怪物の食事風景を眺めていると、占い師が怪訝そうに尋ねてきた。

「私のチェスボードとグリムイーターが何か?」


バン!


 木の机をたたく音で、私は完全に目を覚ました。

 向かいの席に座る検事にも、高く重そうな席に座る裁判官たちにも、見覚えがあった。この九十分間見てきたのだ。

 私は会社の人間四人を殺した罪で裁判にかけられていた。

なぜそんなことをしたのか問われればパワハラと答えるしかないが、普通の人間がパワハラで人殺しをしないことくらい知っている。私だってそのはずなので、我を忘れるというのは怖いなあと思っている。

はざまさん。聞いていましたか」

 右脇に座るのは私の弁護士だ。彼が机を叩いたらしい。

「ええとすみません。少しだけ飛んでて。ちょっと巻き戻してもらっていいですか」

 私が言うと、検事が大きくため息をついた。傍聴席の人々も、声こそ出さないが息をついたり、顔を見合わせたりしてざわついているのが分かる。よっぽど重要なことを聞き逃していたようだ。

 ざわめきが収まるのを待ってから弁護士が言った。

「あなたの責任能力は認められました。無期懲役です」


 退廷し廊下を通る道すがら、弁護士は少し申し訳なさそうだった。ポーズかもしれないし、本心かもしれない。私にはどうでもよかった。今後の流れとか手続きとか、いろいろ説明してくれたが、申し訳ないがすべて聞き流した。

 代わりに聞いていたのは足音だ。彼の革靴は感心するほど単調に一定のリズムを刻んでいた。眠気を誘いそうなものだが、裏腹に私の意識は、リズムを聞くほど研ぎ澄まされていく。

 何か、思いつきそうだ。

コツ、コツという音は少しずつ私を押し進め、とうとうその観念にたどり着いた。同時に、リズムに交じって軽快な囃子が聞こえてくる。私は扉を開けた。

「能だ」

 思わずつぶやいていて、弁護士が話をやめる。

「なんですか」

「能だったんです。日本の古い演劇の。昔見た能……そこで梅にあこがれる蝶が出てきて、それをよく覚えてたんです。だから梅だったんだ」

 確か七歳の頃。家族ででかけた最後のイベントだ。

私たちは一家三人で能を見に行った。能――今思えば子供に見せる芸能としてどうかと思うが、その時の私はふかふかのシートとか、幕の向こうから聞こえてくる笛の音とか、そういうものに興奮していた。話の流れがさっぱり分からず、あとで母親がパンフレット片手に解説してくれたのをよく覚えている。晩春に生まれる蝶が、早春に咲く梅に焦がれて霊として現れるとか、そんな話だった。

ほんのそれだけの記憶なのに、私の空想はずいぶん引っ張られていたようだ。

「すっきりしました」

 笑顔でそう言った。弁護士は露骨に眉をひそめた。

「あの、状況、分かってますか。この先一生を刑務所で過ごすんですよ」

 彼が立ち止まって私を見やる。ゆるく組んだ腕も、軽く上向けた顎も、全身が『理解できない』を表現している。

 無期懲役というのは彼にとって重要なことらしい。私は気の抜けた、はあ、という返事しかできなかった。リズミカル男がますます眉間のしわを深くする。彼を喜ばすように回答できないことだけは、少しだけ残念に思う。

 しかし謎が解けた今、私にとって重要なことは違った。それは変えようがなく、仕方ないので、次のように答えた。

「僕はまあ、いくつも現実を持ってるので。だから全然大丈夫です」

 そして少し鼻がかゆくなって、搔いた。

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