隠居の英雄


 降り立ったのは敵陣ど真ん中。


英雄として拳を振り回す奴相手に、不意打ちを決めるのはまず不可能。 気配を消して近づこうにも私には彼らの中に紛れ込む準備が足りていない。


故に選んだ中央突破。 


「……むっ!?」


第三の驚異、未知なる介入。 その事にいち早く気が付いたのは言うまでもなく英雄トトであった。

それ以外の兵達は、まだ目の前の戦に夢中で私のことに気がついていない


着地と同時に大きく踏み込んで、鎧の側面に一撃を叩き込む。


甲冑に保護されてない隙間を狙って刃をねじ込む。

斜めに、振り下ろすように、腿から下を切り飛ばすつもりで。


……だが。


「何者か知らぬが、そう簡単にくれてやれぬなぁ?」


——ガァンッ!


「ちぃ……!」


既のところで狙いをズラされた。 斬撃は防壁に阻まれ火花を散らす、些か考えが甘すぎただろうか!

刃こぼれなどしておらぬと良いが……っ!


ゴウッ!


剛腕、後隙を目掛けて巨大な鉄塊が迫り来る。


刀で受け流そうにも、鎧のあちこちに付いた鎌の様な物がこちらの獲物を絡め取っていくだろう、幸いにも私の体勢はそれほど崩れてはいない。


上体を反らせながら後ろに退く。


——ヂッ


鼻先すれすれを冷たい金属が掠っていった。 重さ+速度+硬度の破壊的一撃、地下道にいた狼なんて比にならない、あんな獣の力任せの腕力になど!


されど


されど怯む余地無し!


引きながらガラ空きになった脇の下を切り上げる、だが奴は殴り抜いた勢いのまま体を捻り、隙間のない背面装甲によって攻撃を弾いた。


図体の割に細かい攻防が得意じゃな! 現に今も、背中を向けたことで本来狙えるはずの膝裏を、姿勢によって上手く隠しておる!


無理に攻めては隙を晒し過ぎる、この場でそれは命取り、ここは大人しく間合いの外へ逃げるべし。


「……来ないか。勘がいい」


既に二合行われた打ち合いの感触から、たとえ私の怪力を総動員したとて、奴の体幹を崩すことは不可能であろうという結論に達している。


組打つなど以ての外、第一全身から飛び出した鋭い刃のようなモノによってそれは叶わぬ、距離を詰めても負う危険に対して見返りが少ないときた。


……とあらば工夫が必要だな。


奴から視線を外さず、刀を構え、姿勢を低く真っ直ぐ踏み込むフリをして。


私という予測不能の介入者の出現により英雄トトの標的から外れ、緊張極まる死の淵から開放されたことで油断していた兵士達の方へと飛び込んだ。


「——!?」


突然の事に兵士達は見事に虚をつかれた、なんせ彼らは私のことを助けに来てくれた味方だと思っていたからだ。


絶望的な状況で、いきなり空から降ってきて、自分たちには目もくれず鉄巨人へと切りかかる、それはさぞ希望に満ちた光景であったことだろう。


死を目前にした人間が最後に見る幻、暗闇の中に見えた光に縋り付く者のことを、いったい誰が責められようか?


「……あ」


——間合いに入るのは容易であった。


打撃を加えて姿勢を崩し、その隙に引き込んで投げ飛ばす。 まるで道端に落ちている石ころを拾い上

げてするかのようにあっさりと。


……兵士という名の岩石が英雄トトへ飛来する。 しかし彼にとってこのような投擲は全くもって無害であり、腕のひと振りで払い除けられる代物だ。


「——」


冷徹に叩き落とそうとして。


そうしようとして、彼は彼に迫る兵士の手に、本来そこに無ければおかしいはずのが握られていないことに気が付いた。


投げられている間に落としたか?その可能性も十分に有り得る。 だがこの兵士が投げられる直前、あの正体不明の女剣士の姿が一瞬覆い隠された……


「——ッ!!」


タッ……。


男は嫌な予感がして、咄嗟に身を引いた。



——グンッ!


投げ飛ばされた兵士の体が、空中で、更にもう一段階加速したのだ。 中途半端に距離を開けたことで男はそれに対応出来ず、正面衝突を許してしまう。


ガギッ!


耳を塞ぎたくなるような悲惨な音。 それもそうだ、なんせ質量の塊に対して十分な速度を与えられ突っ込まされたのだから。


おまけに鎧にはがある、そんなものに対し生身で正面激突した者の末路など言うまでもあるまい、その兵士はぐちゃぐちゃになって即死した。


無論、不意を打ったとはいえそのような攻撃が成功したところで、英雄トトの鎧甲冑にとっては正しく小石をぶつけられたに等しいモノだったが。


しかし、効果は発揮した。


鎧の表面には刃が生えている。 それはただ力任せに腕を振るうだけで恐るべき破壊力を纏うものではあるが、それ故に生じた悪影響があった。


「見えぬ……っ!」


刺さったのだ、固定されたのだ。 飛び出した鋭い棘に真っ向から激突した人の体が、肉を貫き向こう側に突き抜け、鎧の前面に張り付いたのだ!


一時的に制限された視界と足回り、正々堂々真正面から死角を突ける。 攻め時は今、今ここに全ての脚力を用いて突貫を仕掛ける!


瞬きの間に距離を詰め、を使い、渾身の力を込めた全力の刺突を首へ叩き込んだ。


——ドスッ!!


鎧のつなぎ目、肘関節、膝関節等の可動域は、鎧を着込む者の動きの妨げになるため必ず隙間を開けておかなくてはならない、これは不可避の脆弱性だ。


無論なんの対策も取られていない訳ではない、仮にそこを切られたとて致命傷にならないよう最低限の備えがなされているのは当然のこと。


弱点が放置されることは無い。 現に今も私の放った渾身の一撃は、英雄トトの着込む鎧甲冑を貫くことは出来なかった。


——だが。


「ご、は……」


大きく、大きく仰け反る英雄の姿。


これまでの攻撃とは全く質の違う『一点突破』の剣技は貫通こそしなくとも、むしろそれが故に強烈な衝撃を内部に伝えていた。


気管に加わった圧力は呼吸を止める、止まった呼吸は血中の酸素を不足させ判断力と行動を奪う。


言わばそれは人間の反射、体の作りとして当然に起こる生体反応であり、溺れかけた者が必死に空気を求めるに等しいごく当然のこと。


それを止められる者は居ない。 繰り返される日々をそれだけに着目し訓練を重ねていない限り、人間は己を律することなど出来ずまたコレを回避不能。


反動によりぐしゃぐしゃにひしゃげて折れ曲がった剣を投げ捨てる。 そして鞘に仕舞ってあった我が愛刀に手をかけ抜き放ち、両手で握って構える。


「此度は外さぬ」


振るう刀身、舞い散る銀光。 動きを止めてしまった英雄に為す術はなく、彼にはもうソレを回避する手段はひとつたりとも残されていなかった。


その忌々しい鉄塊に覆われた両腕、一刀のもと肩口から寸断し切り飛ばしてくれよう——


——カチッ


刀が肉を切り裂く数瞬前、私は何かの音を聞いた。


そして、それの正体が何であるのかを理解するよりも前に、私の意識は途端に真っ暗闇へ落ちていた。


把握出来ない、思考できない、理解が追い付かない、確かに私は完璧な隙間を縫って攻撃を叩き込んだはずだ、なのに何故このような光景を見ている。


何故このような闇の中にいるのか?私が見るべきは怨敵の真っ赤な血の色であって、よもやこんな陰鬱で渾沌とした黒ではなかったはずだ。


思い出せ、思い出せ、思い出せ。


思い——


……いや、待て。


いや待て、違う、そうじゃあない。


そうじゃなくて『上がる』必要があるんだ、そうだ私は上へ行かなくてはならない、早急に浮上してこの暗い空間から抜け出さなくてはならないのだ。


何故なら私は『落ちて』いるのだから——ッ!


✱✱✱✱ ✱✱✱✱ ✱✱✱✱ ✱✱✱✱ ✱✱✱✱ ✱✱✱✱


「——ッ!?」


目が覚めた、目が覚めた私は落ちていた。 膝から力が抜けて支えきれず、自重に任せて倒れ込む最中であったのだ。


どうやら私は何か強烈な衝撃を食らわされ、一時的に意識が飛んでしまっていたようだが、幸いにもまだ生きている、今からでも巻き返せるかもしれない


——ビュンッ!!


無差別見境なく、四方八方にと放たれる殺人斬撃、それは初めて刃物を持った素人が、迫り来る外敵相手に正気を失い、半狂乱になって暴れ回るが如く。


体勢を立て直すよりも前に、周りの状況を把握するより前に行われたそれは半ば反射に近く、予備動作のない突然の行動であった。


「——ぬおっ!?」


結果は僥倖。


私に止めを刺そうと近付いていた外敵は、突然の反撃に驚きその足を止めた。 私はその隙を利用して大きく飛び退き、そこでようやく事態を把握した。


私が目にしたモノは。


「完璧に決まった奥の手だったが、いやはや非常に馴染み深い生命力の高さで切り抜けられるとはな」


そう言って両の拳を握り締めて構える、英雄トトの初めて見る姿であった。


体に残る身に覚えのない傷と痛み、僅かに残る火薬の香り、まるで大砲でも直撃でもしたかのような有り様になっている兵士たち、そして四方に散らばる鉄の破片。


なるほどな、コイツの鎧が炸裂四散したのか、私はそれに直撃し意識を失ったということか。


「あの鎧は戦場で敵に威圧感を与えるための物であって俺の戦い方では無い、こっちが本来の俺なんだよ」


周りの兵士は動けない、私だってろくに動けない、奴の言葉通りに先程の姿の方が何倍も恐ろしげで、怪物的な印象を受けるにもかかわらず。


恐ろしかった。


戦力に慄いた。


奴の、奴から溢れだす凶悪な気配が、覆い隠すことを止めた本来の奴の姿が。 


あの晩に、あの森で対峙した英雄ヨハネスとは比べ物にならない程に強大で。


前線を退き平和な村の中で暮らしていた隠居の戦士とは明らかに存在の格。


それはつまり


英雄トトと、自分の中の理想と世の中の現状の齟齬に苦しんで戦いを抜け出し、山奥に引き篭った『アマカセムツギ』という名の英雄との間に開いた絶対的な差を意味していたッ!


「さあて、しかし何だ」


男は一歩踏み出して。


口元の端を大きく歪めこう言った。


「——お前、さては同類だな?」


それはそれは嬉しそうな顔で……。

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