羅刹一挙


予定外の遅延に見舞われはしたものの、幸いにして素早く対応し元の軌道に乗せることが出来たため、遅れはあくまで致命的とはなり得なかった。


この旅を計画した際、あらかじめ組み込んでおいた『起きるであろう不確定事象』について、此度の一件はその予測の範疇に留まったと言える。


それもこれも全てあの女医者のおかげだ、本来有り得なかったはずの旅の同行者、例えそれが瞬きの間の事だったとしても決して無益ではなかった。


英雄と死合って貰った傷、あれを私ひとりで完璧な処置ができていたとはとても思えず、ともすれば私の旅はあの場で終わっていたやもしれぬ。


眼は失ったが闇に閉ざされてはいない。


片方が残っていればまだ道を見失うことはない、余分に奪ってしまった彼らの命の為にも、私は必ずや目的を果たさねばなるまい。


——故に。


こうして山道で、しゃがんで、地面に残された人間の残滓を辿る作業に迷いはなく、私は速やかに標的を補足することに成功していた。


「……大勢の足跡、状態から見て大体二日か三日程前の物、足跡の深さからして何か重たい物を身に付けており、馬の蹄の痕も見られる。


不規則な歩幅は彼らが疲弊している証拠だ。


柔らかい土の地面に残された足跡とは違う小さくて深い刺傷のようなもの、恐らくは剣、この斜面を登るために杖の代わりに使って出来たのだろう」


かつて戦地に居た折、少数精鋭による奇襲作戦は幾度となく行ってきた、微かな枝葉の乱れや足跡、匂い、五感を頼りに姿なき敵を捉える斥候術。


「この痕跡は間違いなく軍の行進、そしてこのご時世にそんな物騒な事をする者など非常に限られる」


確かな経験と知識に裏付けされた結論。


「対象を、殺害対象の一団と断定する」


遅れは遅れ、されど許容範囲、多少体力を使うことにはなれど取り戻せない損失ではなかった、今からであれば十分に追いつくことが可能であろう。


「しかし毎度の事ながら、病み上がりの体に鞭を打って茨の道を歩ませるような目にばかり合うのう……『お前のような者に与えられる休息などない!』という世界の意思と汲み取るべきか否か……」


立ち上がる、そして先を見据える、ここを超えた先に待ち受けているであろう地獄に、何せ私がこれから向かうのはなのだから。


「またここに戻ってくることになろうとは」


はぁ、とため息を着く。


今から気が重い、あの悲惨な現場に身をやつす事がこの上なく憂鬱で不愉快だ。


一時は戦場から離れた身、理由こそ違うけれど再び舞戻る、なるほど私は戦に取り憑かれておるのやもしれぬな、人を斬る事に悦を見出していると。


「……笑い話にもならぬわ」


先へゆく、先をゆく、殺めた者の腐った骸の上を踏み越え幾度なく、果たして今回は何人を殺すのか?とうに叶わぬ願いを胸に、修羅が追い足を立てる。


もっとも。


斯様な憂いも、人の悩みも、戦地に赴けば一切消え失せ殺戮に興じられるのが、私という人間のどうしようも無い壊死を表しているのだが……。


✱✱✱✱ ✱✱✱✱ ✱✱✱✱ ✱✱✱✱ ✱✱✱✱ ✱✱✱✱


山を登り、山を降り、川を越え雨林を進んだ先、追跡を開始してからはや半日。


丘の上、辺りを見回すのにちょうど良い高台にて、私は私の仕留めるべき敵の姿を探していた。


眼下に広がるは——。


「死ね!」


そう叫び、自ら引き倒した敵兵を、硬い鉄の入った靴底で踏み砕き殺す姿。


衝突する両軍、崩される右翼、支援に駆り出される後方部隊、絶え間なく降り注ぐ矢の一群、首や肩、足にそれを受けながらも尚進行を止めない兵士達。


耳をつんざく断末魔の悲鳴、それに呼応するように鳴り響く鉄のかち合う音、肉が裂け血がこぼれる醜悪な光景、盾が割られ兜がひしゃげ骨が砕かれる。


砲撃、爆発。


吹き飛ぶ人間、手足がない、地面に転がり泣きわめく若い男の兵士、幾人にも踏み付けにされゴミのように絶命していった。


錯乱し、逃げ出す兵士、背中を切り付ける兵士、突出しすぎて首を跳ねられる兵士、押されだした前線を押し返す指揮官、それを狙撃する後方部隊。


規律、秩序、正義、この場には何も無い、極めて統一されたひとつの意志によって、の敵を殺すという行為が反復されていくだけの地獄。


両軍の士気や練度の差は歴然で、私が追っていた方の軍隊は既にガタガタだ、恐らくは戦いになる前の準備段階、進軍の日程調整や急速補給からして問題があったのだろう。


今はまだ闘争の形を保ってはいるが、目の前で行われているコレが蹂躙へと変わるのは時間の問題だろう、勝敗は既に決していると言っていい。


そう普通の戦場であれば。


後方から、弓矢と砲撃を降らせている支援部隊、彼らは安全圏から的確に前線を荒らしている、両軍の火力の差は歴然。


絶望的戦況、敗色濃厚、まともな指揮官であればとっくの昔に撤退を刊行していなければおかしい状態、そんな状況でまだ戦いを続行している理由!


「奴らに最早勝機は無いッ!全隊進——」


その時。


絶え間なく降り注いでいた死の雨。


それが、止んだ。


「……?」


あまりに突然の事だったので。


あまりに不自然な事だったので、一瞬の迷いが死に直結する戦場におあて、兵士の何人かが後ろを振り返ってしまったのは攻められまい。


それだけの違和感、まるで太陽が突然燃え尽きてしまったかのような違和感、そして彼らは目撃することとなる。


後方で、味方が。


鎧甲冑を着込んだ何者かの手によって、文字通り殴り殺されている光景を。


「——居た」


兵士のひとりが剣を抜いて切りかかった、本来容易く命を奪うその一撃は、彼の者が着込む鎧甲冑によって火花を散らして弾き返され。


そのまま、殴打によって頭部をさせられて死亡した、微塵も希望を抱く余地もなく、後方射撃部隊は全滅させられた。


「な……アイツ、アイツは……ッ!」


勝ち確定の余裕な雰囲気、それはたった一人の人間によって紙切れのように破り捨てられた。


威圧感のある黒い鎧、明らかに防御だけが目的では無い攻撃的な見た目、いつぞやの地下道で見た狼の化け物に勝るとも劣らない大きな体躯。


「我が名は英雄トト!貴様らの後方部隊は潰した、これより行われるのは殲滅作業也!人ならざる悪童共、すり潰される覚悟をいたせィ!」


注意が逸れた一瞬、それが前線崩壊のきっかけとなった。


敵後方部隊の支援射撃が無くなったことで、完全に自由となった弓兵部隊、彼らはまるでこの事を予期していたかのように陣形を整えていた。


「放てェ!」


行われる一斉射撃。


既に『戦い』から『殲滅』へと移行していた彼らは前へ出過ぎていた。


天から落ちる穿つ矢群、頭上を警戒し盾などを構えると前方が疎かとなる、かと言って退却しようにも、後方にはあの恐ろしい大男が待ち構えている。


統一された意志の乱れ、戦術の混乱、対応の迷子、指揮系統の遅れ、油断した彼らにとってそれらは

あまりに効果的であり、戦線の瓦解には十分過ぎた


前か!?後ろか!?


一方を構えば一方から崩される、後方の敵は何人でかかっても勝てるような相手で無い、ならば前か?だが援護射撃がある、ひたすら削られていくのみ、突破しようにも思いの外守りが固く崩せない。


終わりだ。


こうなってしまえばおしまいだ、例えどれだけ数で優っていたとしても、もはや彼らに勝ち筋は無い、あの英雄の言葉通りすり潰されて終いだ。


が起らない限り。


ダンッ!!


体にかかる高負荷、世界が一気に後ろへ流れゆく、風を破って空を駆ける、髪が、服が、火と煙の舞い踊る戦場の空気に当てられ染みていく。


煤けた灰の香り、焼けた肉と溢れ出る血の悪臭、死と死が徒党を組んで列をなし、あの世へ一直線まっしぐらに向かうこの世の地獄。


「第二陣!放てェ!」


眼下に敷き詰められた兵士の間、隙間のない密集地帯、そこへ百よ千よと叩き込まれる鉄と木材の殺戮兵器、腰に吊るしたコレと何の違いがあろうか。


目的地に近づき、高度を下げ始めた我が身、いよいよもって頃合だと知り鞘に手をかける、親指で鯉口を切って柄を握り、一挙に抜き放って肩に背負う。


さあ、憂さ晴らしの時だ。


「可哀想だとは思うが鏖殺されよ、今宵我らの敵に回ったことを己の不運だと諦めることだ、手加減は苦手だが出来るだけ楽に逝かせてやる故安心——」


そうして。


ドンッ……!!


「……むっ!?」


——大地に羅刹が降り立った。


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