世迷言
「ああ、光だ」
クルックシェッドのそんな言葉と共に、我々は無事に地上へと辿り着いた。
暗闇から明るみへの移行により一瞬目がくらむ、もはや懐かしいとさえ思える外の空気と色のある光景に自然と感謝の気持ちが湧いてくる。
「きつ……」
グラッ
適正の無い肉体労働を、いつまた襲われるか分からないという精神的に負荷が掛かり続けたまま行っていたクルックシェッドは、私を背負ったまま膝から崩れ落ちた。
私は気が抜けたことで受身を取り損ね、まるで小石を蹴っ飛ばしたみたいに派手に地面を転がる。
二転三転する視界、入り乱れる上下、穴の空いた腹に響く衝撃に呻き声をあげつつ仰向けになって回転が止まる。
「ごめ……怪我人、なのに……」
もぞもぞと芋虫みたいな様で蠢きながら、私の方に手を伸ばし謝罪を繰り返すクルックシェッド、しかし私の意識は既にそこになく、叩き落とされた痛みに覚える怒りすらも我が心には有り得なかった。
「かの青さは斯くも美しきものであったのか」
当たり前に天を染める色、ある時は憎たらしく、またある時はこうも麗美に映るものなのかと、死線をくぐり抜けた身によくよく染み渡る。
「消毒……縫合、それと輸血……骨も折れてるだろうから固定して、軟膏塗って、必要なら最悪手術……」
ブツブツと何やら呟きながら、鞄の中から医療道具を次々と取りだしていくクルックシェッド、体は疲労にまみれていてもその目は微塵も死んでない。
常人ならとっくに死んでいるであろう怪我を負っている私よりも遥かに消耗した具合で尚、医者としての勤めを果たそうとする姿に思わず笑いが込み上げてくる。
「ふ、ふ……げほっ……げほっ……」
傷ついた肺が悲鳴をあげる。
「まったく、病人使いの荒い医者よの……怪我に追い討ち、笑い死にさせようと言うのか……なんとも惨い仕打ちじゃなぁ……」
「そんな状態でまだ冗談言って笑ってられるのには素直に脱帽だけれど、いくら罪人ちゃんでもその出血を止めなきゃ死んじゃうから、多少疲れで手元が荒くともここは施術を敢行させてもらう」
そう言って注射器を指で叩くクルックシェッド。
今にも気を失いそうな面で何を強がっておるのか、医者の維持を語るには少々情けない様を見せすぎたのではないかの。
「うっかりバラバラになどはしてくれるなよ?」
これはカラ元気、いくら治療が必要な身とはいえそのフラフラな状態で処置に入られるのは些か……どころか物凄く不安だ、かなりの勇気が要る。
「ちゃんと縫うから大丈夫」
「冗談に聞こえぬなぁ……」
「治療を開始します」
お喋りはここまで、ここからは彼女の時間だ……。
※※※※ ※※※※ ※※※※ ※※※※ ※※※
手術中意識のなかった私には、彼女がどのような作業を行ったなかについては想像もつかないが、無事麻酔から目覚められたということは喜ばしい。
未だ痺れの残る体と、皮膚に残る真新しい縫い目、あちこちに巻かれた若干薬品の匂いが染みた包帯、そして傍らで眠りこけるクルックシェッド。
その様子に笑みを零しつつ、自分の体をぺたぺたと触ったり動かしたりして調子を確かめる。
「……手元が荒いなどと」
これまで幾つもの傷を負い、幾つもの治療手術を受けてきた私には彼女の仕事がどれ程の高みに在るのかが理解出来る。
初めから分かっていたことだ、街で英雄と村のもの斬り殺し、病院で目が覚めたあの時から既に、私は彼女の医者としての実力を疑ってはいなかった。
「お主が町医者でもやっておれば、それはそれは沢山の命を、本来救われぬはずだった数多の者を助けるのであろうな」
`世界を元の姿へ`そう願う私は何も破壊を望んでいる訳では無い、私はただ元あるべき正しき現実を取り戻したいだけなのだ。
その為に、きっと彼女は新たな世界を動かす歯車のひとつとなるであろう、短い時間だがここまで行動を共にしてそれを強く実感した。
送り届けなくてはなるまい、助けを必要としている者たちの所へ、偽りの平穏に隠匿された需要と供給を満たさなくてはなるまい。
「……ん」
視界の端でモゾと動く影、先の一件で彼女には余りに多くの負担が掛かってしまった。
本当なら国外へ抜けた瞬間から解散となる予定だったが、果たして彼女には、自分ひとりで逃亡を成し遂げられるだけの能力が備わっているだろうか?
彼女を生かすことは私の目的の為にも大いに役立つと認識している、この娘の旅路を守ってやるべきだろうか?それとも私に同行するよう説得するか?
「ふわぁぁーーっ」
寝転がったまま、大きく体を伸ばして大あくびをかますクルックシェッド、どうやら中々の安眠を手に入れることが出来た様子。
「もう少し眠っておれば良いものを」
バシバシと己の頬を叩きながら起き上がる彼女。
「私ら医者がいったい何時間、ミリ単位の作業を立ったままぶっ通しでやってると思ってるの、八時間九時間、それに比べたらこれくらいへーき」
人ひとりを背負って、いつ背中を襲われるかも分からない先の見えぬ闇の中を歩き続けるのと、手術で何時間も細かい作業を繰り返すでは使う体力の質が違うだろうに強がりおって。
と、どう控えめに見ても大怪我をおっている私がそれ言うのもなと思い言葉を飲み込んだ。
その代わりに別なことを、先程考えていた彼女の処遇についてを語ろうとして口を開き——
「なれば早急に旅路を再開せねばな」
気がついた時には、私は自分が思っていたのとは違う言葉が自分を口にしていた。
「そうだねー」
私は言おうとした、提案しようとした。
『この先お主が無事に目的の場所にたどり着けるよう護衛を努めようと思う』
『お主ひとりでは生存率が低いと思うておる、されど私の目的を放棄することも出来ぬ、故に共に同じ道を歩め、そしてお主の命は私が守ろう』
その先の議論がどう発展するかは分からない、彼女は彼女の意志を貫くかもしれないし、目の前で死にそうな私を見逃せないと同行するかもしれない。
あるいは助けてくれるなら大歓迎だと言って、喜んで私を道ずれに選んでくれるかもしれない。
どちらにせよ可能性はゼロではない、何れかの選択肢を提示、提案することは決して意味の無い行いではないはずだった。
だが……。
「しからばお別れじゃな」
「ここまでありがとう、私の誇大妄想を現実に彩る手伝いをしてくれてどうもありがとう、貴女が居なかったら私は今もあそこで燻ったままだった」
私は有り得たふたつの可能性を自ら切り捨てた、それを選ぶことは出来ないと強く否定した。
英雄斬りの旅は過酷を極める、私のこの尋常ならざる肉隊をもってしても生半には行かぬ茨の道、それをクルックシェッドが生き延びるのは無理だ。
仮に私が彼女に同行したとて、その過程で私が死なぬとも限らぬし、彼女を送り届けたあとで悠長に自分の旅を再開し目的を果たせる……などと、そんな甘い夢を見られるほど私は愚かでは無い。
そもそも、彼女が辺境で幾ら人の命を救ったとて、世界が変わらねば助かる者の数千、数万倍の犠牲者が、恐らく永久的に生まれ続けることになる。
師匠が死に、戦場に行き、世界が変わって長らく一人であった我が人生。
久方ぶりに出会った頭のまともな娘、きっと心のどこかで『手放したくない』と思ってしまっていたのだろう、よもや決定を覆そうとするなどと。
それはいけない、そんな事をしてはならない、その判断は己のみならず多数を破滅へと導く欲の招き手
違えてはならない、真に突き通すべきものを見失ってはならないのだ、そうでなければ今すぐここで首を切って死ね、また過ちを犯す前に早く。
「さようなら、罪人ちゃん」
「達者でな」
最後にとびきりの笑顔を振りまいて、踵を返して歩き出すクルックシェッド、遠ざかっていく、段々と視界から消えていく、分かたれ分断され去っていく。
「我が路は救世の路に非ず、積んだ山に飽き足らず、更なる屍を積む罪人の世迷言也
……その手を以て救いあげようという命に、このような死神が纏わりついておっては成せるはずのものも成せぬというもの、我が剣は人を助けはせぬ」
私の手が、去り行く彼女の背中を引くことは結局最後までなかった……。
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