国外逃亡の足掛かり。


病院を抜け出した後、土地勘の無い私はクルックシェッドの案内に助けられながらなるべく人目を避けるように行動した。


人通りの少ない路地裏やちょっとした抜け道、建物の影などを活用して人の印象に残らないように気を遣う。


衣服も変えた、クルックシェッドが事前に用意してい、た背格好を誤認させるようなダボついた服を、着物の上から羽織り自分の姿を偽る。


これはいずれ発覚するであろう病院で起きた騒ぎに際し、私の手配が始まり、目撃証言から行き先を特定されない為に必要な対策である。


脱出計画自体は彼女が以前から計画していたものであり、最大の問題点であった『病院から抜け出す方法』を私が解決した事で日の目を見た。


ただ抜け出す際に騒ぎを起こしてしまった関係で、彼女が考えていた偽の身分証を使って国外に逃亡するという策は使えなくなってしまった。


犯罪者を収容する病院で殺人事件があり、更にそこから脱走者が出たとあれば、国を出ようとする者の身分はより厳しく調査されることになるだろう。


それは安全に検問を抜けられる確率が著しく下がることを意味する、故にこの方法は使うことが出来ない、例え彼女ひとりで行くのだとしても。


「そもそも私自身、囚われの身みたいなものだから、病院に私の姿が無いことは直ぐにでも発覚することになる。


やるなら穏便かつ迅速にが必須条件だったけれど、現場に残った証拠から上が殺人犯と私を共犯として認定するのも時間の問題だし、こうなった以上はもう正規の方法では国を出られない」


つまりはそういう事だ。


「もう少し上手くやれればよかったのだがの」


一応死体は隠してきたが、始末した人数や彼らの立場から考えても時間稼ぎ程度にしかなるまい、かと言って死体を処理することも不可能だった。


「しょうがないよ、私ひとりじゃあここに来ることすら出来なかっただろうから貴女に対して不満は一切無いかな


元から現状に不満を抱く者の現実逃避の妄想みたいな計画だったんだし、実現させてくれた罪人ちゃんには感謝してもし足りないってのが本音」


そう言って貰えるのは有難いが、彼女から許しを得られたところで厳しい状況にある事に変わりはない


本当はこうして話している間も惜しいが、あまり焦りすぎても良いことは無いので、状況整理も兼ねて周りの耳を気にしつつ会話を続けているのだ。


目下の議題は『どのようにして国を出るか?』だ、検問を突破出来ないからと言って打つ手がない訳ではなく、彼女は別の手段も講じておいたようだ。


ただ……。


「表がダメなら裏からって言うのが定石だけど、さっきも話した通りこっちの方法にはかなりの危険が伴うから、判断は出来るだけ慎重にした方がいい」


クルックシェッドが話した別の手段とは古い地下道を進むというものだ。


「崩落の危険もそうだけど、そこには何か得体の知れないモノが住み着いてるって噂もあるし、地図も無ければ明かりもついてない場所なんだ


私だって道は分からないから正しく手探りで進むことになるだろうけど、迷って出られませんでしたなんて末路を辿る可能性は十分にある」


「それでも行くしかあるまいよ」


検問を強引に切り抜けてもいいが、そうすると私の姿がいよいよ本格的に『犯罪者』として世間に出回ることになる。


警察はこの際どうでもいいが問題なのは英雄や政府の方、先んじてこちらの存在を補足されるような事態はなんとしてでも避けなくてはならない。


故に、取れる選択肢など他に無いのだ。


「……じゃあ多分言わなくても分かると思うけど、そこじゃ私はまったくの役立たずだから活躍は期待しないでね。


せめて足を引っ張らないように気をつけるけど、足でまといなことに変わりは無いからきっと物凄く邪魔だと思う、最悪の場合は置いて行ってね」


「そこはなんとしてでも連れて行け、と言うべき場面ではないのかね?」


「お互いの生存率を加味した上での合理的な結論だよ、私ひとりじゃ何も出来ないんだから貴女の使命を優先する方が効率が良いでしょー」


妙に現実主義な一面もあるのだな、と感心しながら彼女の頼みを受け入れることにした、こちらを優先してくれると言うのなら断る理由はありはしない。


「もしその時がきたら介錯を約束しよう」


「あは、じゃあお願いしちゃおうかな?餓死するまで暗闇の中を彷徨うなんてのはおっかないもんね、そうなったら思い切ってスパーンとやっちゃって」


自分の首に手刀をトントンと当てながら冗談めかして言うクルックシェッド、ふわついた語気とは裏腹に彼女の言葉は本気のそれであり、切な願いである。


「承知した」


会話は一旦ここで途切れる事になる、先程よりも人の目が増えてきたからだ、ここで話し合うのは少々好ましくないと判断して先を急いだ。


やがていくつかの路地をぬけた先で、地下へ続く今は使われていない錆び付いた門の前にやって来た。


立ち入り禁止の看板が立ち並ぶ地帯を通り抜けてきた事で、辺りに人の気配は一切感じられずいっそ不気味と称してしまいたい程静かで暗澹としていた。


「コレ、なんだけど……」


言葉に詰まった彼女の意図は分かる。


地下道へと続く門は厳重に閉ざされており、とても人の力で開けそうなモノでは無かったのだ、鼠一匹入れないほどに固く固く封鎖されてしまっている。


「……やばい、現地調査が出来なかった弊害がここに来て最悪の形で現れた、どうしようゴメンこの道も使えそうにない、どうしよう万策が尽きた」


頭を抱えて座り込むクルックシェッド。


封鎖されていること自体は知っていたようだがここまで厳重であるとは分からなかったらしく、頼みの綱が切れた事で半ばパニックに陥っている。


「どうしよう、どうしよう……」


彼女は開くわけが無い扉を引っ張ったり叩いたり、鍵穴を探したりテコの原理を利用したり、何とか出来るだけの抵抗を始めるが大した効果は無い。


「ふうむ……」


隣に立って扉に手を触れる、非常に分厚い金属の門であり、多少の爆撃程度であれば余裕で耐えうるであろう耐久性を感じる、経年劣化も殆ど無い。


が、


「どれ、少しそこを退いて貰えぬか」


門の前に立ち、隅の方で悪戦苦闘しているクルックシェッドに捌けるように指示をする。


「良いけど、いったい——」


ザッ……。


肩幅程度に両脚を開き、刀柄に手を置いて、腰を落としを睨み付ける。 心を透き通らせ邪念を払い、小指から順に柄を握り込む。


チャキ……。


親指の腹で濃口を切り、呼吸を整えて夢想に浸る、何度も反復して行われる『一振り』への追求、夢見、極め高めた末に辿り着く理想の具現。


「ま、まさか……っ!?」


力を抜き、外界から意識を切り離す、今私の世界には何も無く、ただ己のみがここに有り、晴れた日の穏やかな海の様に澄んだ鏡面が如き無我の境地也ッ!


「——むんッ!」


瞬間、抜刀。 


——ヂッ


虚空に奔る銀閃、僅かな反動も生じず、さながら雲の中を突っ切ったような手軽さで切り結ぶ。


門に刻まれた一筋の線、それを尻目に見ながら両手で刀を握り直し、腰を切って肩を入れ、初撃の勢いを殺すことなく斜め下から……切り、上げる!


——キンッ!


巨大な鉄塊の中を微塵もブレずることなく通り抜ける刀身、金属と金属が擦れる甲高い音が鳴り響き、この手の中に確かな手応えが伝わってくる。


二度にわたる斬撃において、ただの一度も振動が伝わってきた試し無し、故に私は結果を見るまでもなく目論見の成功を確信していた。


「……ふーっ」


静から動を経て、再び静へと帰結したこの空間。


全身を駆け巡る緊張からの緩和、止めていた呼吸を再開し大きく息を吐く。


立ちはだかる障害物にうっすらと刻まれた細い線、それはまるで‪‪‪‬‪‪‪‪‪‪‪バツを描くように左右の端から斜めに伸びている。


刀を顔の前に持ってきて、刃の状態を確かめる。


目立ったところに刃こぼれは見受けられない、私の知っている姿と寸分違わず同じまま。


「うむ」


満足だ。


これで己の武器を正しく扱えたことの証明が成された、折れも曲がりも欠けもしない、腕前の上達を実感する。


「……ええと……もし、かして……」


恐る恐る、という言葉がこれ程似合う者は他に居ないだろう様子で、先程は無かったが現れた門の前に歩いていくクルックシェッド。


彼女がそーっと門に手を触れると、それまで沈黙を貫いていた鉄塊は途端にグラつき始め、やがてガラガラと音を立てながら四つに別れて崩れ去った。


埃が舞い上がり、閉ざされていた道が開かれた、私達がこれから進むべき国外逃亡の為の足掛かり、少々派手ではあるがコレで問題なく通れる。


「き……ホントに切っちゃってる……嘘でしょ……?これってどう考えても人間業じゃないんだけど、貴女いったい何処までおかしければ気が済むの……?」


病院での演技を除けば初となる動揺を目の当たりにして、私は自分と世間とのズレを痛感する。


そうだその反応が普通だ。


こんな体に生まれておいて今更だが、『普通とは違う』という事を実感するのは気持ちが良いモノでは無い、例え化け物である自覚があったとしても。


刀を横に、剣の腹を鞘の上で滑らせて、切っ先を差し込んでゆっくりと収めていく。 余計な摩擦が生まれないよう慎重に、何処にも擦らせずに確実に。


——カチッ、とはばきが鞘にはまる。


「さあ、音を聞いて誰か集まってくるやもしれぬ、そんな所で腰を抜かしてないでほれ、さっさとゆくぞ」


やや傷付いた内心はおくびにも出さず、あまりに現実離れした光景に度肝を抜かれしまっている彼女を引っ張り起こし、暗い穴の中へ潜って行くのだった。

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