燻りの一太刀
私は夜目が効く。
「……ほんとに、真っ暗だ」
コツコツと靴の音が反響する狭い場所。
「流石の私でも、こうも暗いと歩くのに一苦労だ」
見えずともこの身に襲いかかる息の詰まるような閉塞感はどうにもならない、ジメジメと陰気な空気が漂うここは、およそ人が居ていい場所では無い。
方向感覚が狂う、知らない場所で知らない香りを嗅ぐ私に頼れる物は己の勘のみ、同じ道をグルグルと回る羽目にならぬよう気を付けつつ……。
ひょいと段差を避ける、壁から飛び出した金属の筒を躱す、別れ道で立ち止まり鼻を利かせる、なるべく外の香りがする方向、右に曲がって進んでいく。
「すごい、本当に視えてるんだね」
私に背負われている彼女は正しく暗闇の最中に居る、たった一人では靴の紐すら結ぶのも困難であろう光無き地下空間、この場の異常は私だけだ。
「辛うじて薄らと、だがの」
脆くなっている足場を迂回する、十字路を直進して立ち止まり、少し考えてから道を引き返し、左の通路に侵入して腰の高さの水の中を突き進む。
ザブ、ザブ、ザブ
「うわあ、なぁんの水だろう」
「知らぬ方が良いこともある」
何らかの薬品の匂いがする、その正体には皆目検討も付かないが、たぶん分からない方が幸せだろうと思い、深くは考えないことにした。
歩く
歩く
「……」
耳に届くのは呼吸音、そして足音、それ以外は一切無く、見方によっては平穏平和だという意見もあるかもしれないが私にとってはそうでは無い。
進む
進む
「……」
視線が動く右、左、地に着く一歩を確かに踏みしめて次なる進行へと移る、注意深く五感を尖らせ見逃しが無いように気を使う。
「ふ……っ」
荒い息使い。
「はぁー……っ」
それは背中から聞こえてくる。
彼女は単なる医者で、戦闘者でもなければ戦場を知っている訳でもない、戦いの中に身を置いている者ではない、にも関わらず彼女は圧迫されている。
この空気感に。
「……」
私も、彼女も、水路を抜けた直後から一度だって言葉を交わしていない、この恐ろしげな真っ暗闇の未開の地よりも更に驚異的な何かが、ナニかの気配を我々は感じ取っているからだ。
「……話して、いた」
消え入るような声、耳元で囁かれるのはクルックシェッドの震える声、まるで背を追う化け物から隠れ潜むかのように怯えきった冷たい声。
「ここに来る前に、話していた、噂の話」
締めるぐらいに巻き付く腕はすがるようだ。
「私、私、もしヤバくなったら……」
ギュッ……と力が篭もる、雪山に放り出された赤子のように無力で凍えるただ一人の少女、彼女がこれから言う言葉はなんとなく予想が着いた。
「分かっておる、もし危機に陥ったら……」
「危機に、陥ったら」
`私を置いて逃げないで、私を連れて地上に`——
「危機に陥ったら即座に私を捨てて事に当たってね」
「承知——」
……その時。
ゾッ——!
背筋に這い回るおぞましい殺気、視界の端に現れた違和感、直後壁から飛び出した鋭い何か。
それだけあれば十分だ、剣客が剣を振るうのには、十分すぎてあまりあるほどの理由となる……ッ!
「——むんッ!」
行動は一瞬、瞬きの間に鞘から抜き放たれた鉄刀、両手で握りこんで周囲四方に斬撃の網を展開する!
ヂッッ!
飛び散る火花、巻き起こる旋風、細切れの粉微塵、硬く分厚い壁も天井も、自分の周りにある一切合切を標的に振るわれる無差別破壊攻撃。
ガッギィィン!刀身に跳ね返ってくる尋常ならざる反動、あまりの衝撃に体勢が崩れる、手が痺れる、自分が何を切ったのかすらも分からないまま。
刻まれて分かたれる破片、破片
——その中に
「……ひ、っ」
暗闇に浮かび上がる黄金色の瞳、鼻先に香る血の匂い、巨大な髑髏が棺桶を背負ってやって来た、私を私達を、無惨に殺す為に大手を振ってやって来た!
「ハァ——」
未知なる驚異とのご対面だ。
※※※※ ※※※※ ※※※※ ※※※※ ※※※
崩れ落ちる瓦礫の中に紛れる強大な気配、鎧のような筋肉と、黒い毛皮に覆われた四肢、残虐性を隠そうともしない爪、溢れ出す殺意害意敵意脅威。
——狼だ
私の背丈の二倍はあろうか。
——巨大な黒い狼のような姿だ。
かの物の体には、あちらこちらに浅い切り傷がついている、あれは間違いなく私の獲物がつけたモノだ、奴はそれを不快そうな顔で見下ろしている。
冗談じゃない!こんな陳腐な子供向けのおとぎ話のような怪物が、現実に、実際に、私の目の前でこの世に存在していいハズがない!これは何なのだ!
背中にしがみつくクルックシェッドを引き剥がし、敵から目を離さずになるべく遠い所に放り投げる、そして喉から絞り出す渾身の叫び声。
「……離れていろッ!」
転げ回りながら離れていくクルックシェッド。
安全な範囲まで到達できたかを確認する余裕は無いッ!全身が、私の全てが、目の前に居る存在の危険性を告げているッ!
煮えたぎる溶岩や崩れそうな足場、突き付けられた切っ先、見て分かる分かりやすいまでの驚異、薄ら寒い凶気、逃がしてくれる気は無さそうだ……ッ!
たった今逃げ出した餌には目もくれない!
奴の抉るような眼は私だけを見ている、まるで受けた仕打ちの報復であるとでも言いたげな憎悪が溢れ出す。
「……いざ」
覚悟を決めろアマカセムツギ!
「グル……」
怪物が四つん這いになる。
ドンッ!
筋収縮!跳躍!地面を削り上げながらガリガリと、容易く床を引き裂きながら突っ込んでくる。
私の刀など目じゃないッ!、あれの驚異に比べたらこんなものタダの鉄くずだ、あんなものを生身で受けようものなら形すら残るまいッ!
タンッ——
地面を蹴る、前に飛び出す。
僅かながら驚きを見せる怪物、よもや自分から向かって来るなどとは思っていなかったのだろう!
ゴォッ!
瞬間的に姿勢を下げ、撃滅の爪を掻い潜る。
「——」
獣の瞳が私を追う。
顔のすぐ近くを通り過ぎる途方もない暴力の塊、間合いを間違えたならもう人の形を保ってはいられないだろう、私は見事に危なすぎる橋を渡り切った。
……ジャギ
すれ違いざまに奴の胴体を薙ぐ、肉の城壁に守られた身体は容易に切り裂くことが出来ない、斬撃は表面を僅かに傷付けるだけ留まった。
「ち……っ!」
交差、離脱、構え、すぐさま振り返る。
視界に写りこんだのは余裕なき現実、その大きな体躯に見合わぬ俊敏さ、己の繰り出した突進の勢いを最小の力で殺し、変換し、標的に迫る狼の怪物!
恐るべき初速を誇る爪の一振り、見た目から受ける鈍重な印象とは全くの真逆、柔軟かつ靱やかな筋肉は正しく想像を絶する速度を生み出す。
ギッ!
何とか刀で受け流し、軌道を逸らす。
しかしそれは完璧とは言えず、やや無理な体勢だった為に不安定さが生じる、奴はその隙を見逃さない。
「ガァ——ッ!」
咆哮、奴は地面を蹴った!
……ドッ!
奴の全身につく鎧のような筋肉、バカでかい図体、その持ちうる質量を最大に活用した体当たり、直線的なその一撃は私に真っ向から激突した……ッ!
——ぼやける視界、飛びかける意識。
ガリッ
唇を噛み切って無理やり頭をハッキリさせる。
そして!
奴の体躯を両手でがっしりと捕まえる!意識と共にぶっ飛ばされるはずだったこの身を留まらせる、そして暴れ狂う嵐に真っ向から受けて立つ!
「これしき、これしきィ……なァ……ッ!!」
舐め腐るな獣風情が!英雄の、かつてそう呼ばれた私が、どうして英雄などという呼び名が付けられたかその身体におしえてくれるわッ!
——ダァンッ!
両足でしかと地面を捕まえる、まるで船の錨を下ろすかのように重厚で、尋常ならざる重みを目の前の獣に味あわせてくれるッ!
——ガリガリガリガリッ!
削れる、抉れる地面、瞬く間に形を成さぬ瓦礫に変わっていく、身体中の骨がミシミシと音を立てている、いくら私と言えどそう長くは耐えられまい。
だが、奴の勢いはほんの一瞬だけ緩んだ。
たった一瞬であってもその内に出来ることはある、戦場での地獄のような戦いを経験している私だから出る発想、この身体だからできること!
全身を捻る、勢いを殺さず向きを変える
「グ、ァ——!?」
それにより浮き上がる奴の体、流石の怪物も驚いた
こやつの突進が質量の暴力であると言うのならこちらも同じ手法でやり返すまでのこと。
かつて師匠から、刃の通りにくい鎧甲冑を着込んだ相手に使えと教わった組手術、模擬戦の際何度も叩き込まれた忌々しき技。
腰の上に乗せ、遠心力を用い、自分の全体重と奴の全体重、そこに突進の勢いを付け加えさらにダメ押しの加速を与えて——
「天盤崩し」
落とす。
※※※※ ※※※※ ※※※※ ※※※※ ※※※
巨体、撃墜。
——ガァァァァンッ!!
あまりの威力に床が崩れ去る、衝撃が地下空間全域に伝わり地揺れが発生する、耳んつんざく轟音が鳴り響く、いくら獣と言えど無事では居られまい。
間髪入れずに刀を振り上げる、そして復帰を果たされる前にその頭蓋を胴体から切り離すべく斬撃を繰り出す。
——ガッ!
刀身が地面を削る、標的はゴロゴロと転がってすんでのところで死を免れた。
「ちぃ……!」
惜しい、もう少しだった。
完璧に決まったと思ったがそう簡単には仕留められなんだ、敵も無傷じゃない、この後期を逃してはならない、回復を許しては行けない。
追い足は早い、距離を取らせない、私はすぐさま刀を構え直して間合いに入る。
獣は不愉快極まりないという表情をして、真下から突き上げるような拳を放った、それはちょうど視界の外側から襲来していた。
「く……っ」
顎先を掠める強烈な一撃、まともに貰えば顎の骨はおろか頭蓋諸共砕かれかねない、しかし初めと比べるとキレがない!
打ち終わりを狙ってすかさず攻撃を差し込もうと構えるが、まるでこちらの意図を読んだかのような爪の大振りが視界の端に観測される。
その腕切り落としてやろうかと目論んだが、狼の怪物が口を開き、獰猛な牙を剥き出しにして突っ込んできたのを見て考えを変えた。
回り込むように動いて爪を回避する、続く噛み付きには距離を取ることで対処を——
「……っ!?」
下がれない!
こやつ爪の先で私の服を引っ掛けている!初めからそれが狙いであったか!コレでは後ろに下がれぬ!
迫り来る牙、私は私を縫い付け繋ぎ止めている物の元凶を断ち切るべく刀を振った。
すなわち腕、私の後退を阻むその腕を肘先から切り落としてやろうと、片手を刀の背に添えて奴の武器である爪を腕ごと削ぎ落としに動く。
私のやろうとしている事を察知した獣は自ら拘束を解き、噛み付くのをやめ、私の腹に爪を叩き込んできた。
——ズッ
「がっ……は、ぁ……!」
体の中に異物が入り込む、反撃を入れるのが間に合わなかった!私の想像を上回る速度で攻撃を繰り出してきやがった!
肉がちぎれる、内蔵が破裂する、骨が碎ける。
しかしまだ終わりじゃない、私はまだくたばっちゃいない!まだ差し込まれただけ、体に穴が空いただけだ!胴体を引き裂かれる前に行動しろッ!
「ふ……」
膝から崩れ落ちそうになるのを必死にこらえながら、頭上高く刀を構える。
そして敵が何かをする間も与えず真っ直ぐに振り下ろし
——ボト
奴の右腕を肩から切断した。
「……ッ!!?」
まるで水の中に刃を通したかのように無抵抗、緊張と緩和の僅か間、肉と肉、骨と骨の隙間を狙った『骨断ち』はここに完遂された。
返す刀で首を狙う、しかし直後化け物は大きく飛び、その巨大な木の幹のような膝蹴りを私の顔面へとぶち込んできた!
ゴッシャ——!
並外れた瞬発力、反応が遅れた私はもろに攻撃を喰らい、まるで人形のように派手にひっくり返った。
「グ……」
背中と後頭部を打ち付ける。
奇しくも私が奴に食らわせた投げ技と同じような状態、赤く染まる視界で見上げた奴の顔は満足そうに笑っているように見えた。
意趣返しのつもりか!
獣は、起き上がろうとしている私に飛び掛り手の中から刀を奪って遠くに投げた。
カランという音がする、手を伸ばしても到底届かない場所まで飛んでいってしまったようだ、アレではもう回収は見込めないだろう!
「ハ——」
嬉しそうだ、大変無邪気に嬉しそうだ、ご馳走だ、己が組み付した哀れで矮小な生き物を、こレからその鋭い牙と爪で貪り食うつもりでいるのだ。
喉を掴まれる、奴の左手の爪が首の血管を圧迫し破ろうとする、この後何が起きるかが脳裏に鮮明に映し出される。
——食われるッ!
やつの腕を掴む!肘関節に力を加えて叩き折ってやるのだ!
持ち上げられる、地面から背中が浮く。
ダメだ!こやつ私を地面に打ち付ける気だ何度も!それまでの間にこちらの目的を達するのは無理だ、時間をかけねばこの強靱な肉体は打ち破れない!
「お、のれ……っ!」
顔に殴り掛かる、だが体格差が邪魔して届かない、ならばガラ空きの胴体だ!左右から、おそらく内臓があるであろう箇所を我武者羅に打つ!
——怪物が笑う。
腰を持ち上げ奴を退かそうとする、だが動かない、指を取ってへし曲げようとする、しかし常軌を逸した握力はビクともしない!これではダメだ!
「ガァーウ」
私を見下ろしながら奴は短く軽く吠えた、よく聞かせるように、まるで何か言葉を伝えようとしているように、獲物を嘲る狩人の笑い声。
グンッ……
急加速、急降下、僅かな浮遊感の後
ズガガガガッッ!!
墜落。
間髪入れずに浮く身体、しかし私は事の成り行きを見守る前に暗い水面が頭のてっぺんを飲み込んだ、抜け出せない泥沼にはまった私は力を失う。
あるのは無
無、無、無、無、無無無無無無無無無無無無無無無無無無無無無無無無無無無無無無 無無無無 無 無 無 無 無 無、無……。
そして己の無すらも奪われようとした、その時
——キィン!
何かを打つ音、いや何かが弾ける弾かれるような、甲高く重厚で、慣れ親しんで思い出深く、とてもとてもよく知っているような懐かしい音が聞こえた。
それに何だかとっても穏やかだ。
危機がない、暗闇がない、背中を打ち付ける地面の硬さも、喉元に食い込む刃物の痛みもない。
真なる無を経験した私にとっては、これが黄泉路を亘った先の行き着く先であるとは到底思えず、なれば他に理由があって然るべきだと思い至り、ぬるま湯のような暗闇に浸かっていた私の思考に火が灯る。
開く、視界——。
天井を見上げていた、地面に倒れていた、そんな私が覚めたばかりのこの瞳で初めて目にしたものは。
火花、と。
「グルルル——」
不快そうな唸り声をあげる大きな影、宙に舞う私の刀、そしてそれをたった今手離した張本人の、恐怖と怯えの浮かんだ情けなくも勇敢な顔。
「……あは」
影はその人間を真っ向から睨み付け、邪魔だと言わんばかりに、まるで虫を振り払うかのように腕を振った。
——ズ、ドンッッ!
火薬が爆裂したかのような凄まじい推進力、自分が自分であることを認識するよりも前に動いた体、起き上がって手を伸ばし、今まさに振るわれようとしているその死神の鎌を捕らえるッ!!
「——!?」
黄金色の宝玉、怪物の瞳がこちらを向く。
……ガッ!
怪物の腕にまとわりつく私!そのまま反動をつけながら全体重を掛け、地面に体を投げ出すようにして飛び込んで。
天地逆転、脚までをも絡め、私の倍以上もあろうかという巨体を持ち上げ、打ち出された弓矢の如く放り投げた!!
「グル、ァァァ!」
体勢制御、足から着地、瞬時に跳躍ッ!頬に腹に足に肩に、あらゆる所に打ち付ける風圧やよし、牙を剥き出しに獣のような雄叫びを上げながらッ!!!
空中に投げ捨てられている我が愛刀を掴み取り、両手で握り、肩に乗せて突撃。
クルクルと回りながら吹っ飛んでいく化け物、奴は壁や天井を腕や足で叩いて勢いを殺し姿勢を整え、こちらを向いて迎撃の構えを取る。
接近、接近接近——!
両者共に間合いに入る。
そして、
「ハ——ッ!」
私は勝負を決めに行った……。
※※※※ ※※※※ ※※※※ ※※※※ ※※※
怪物は見る。
脱力を、そして解放を。
渾身の力を込めて腕を振り下ろす、これまで行ってきたどの一刀よりも遥かに早く重く、己の命をただの一撃で打ち払う紛うことなき必殺の剣を。
ただこうも思う。
´視えている´と。
「……っ!」
驚くな人間
これだけは使いたくなかったのだ、これは一回使うとしばらく使用を制限されるとっておき、このような非力な人間相手に使うものでは本来無い。
ただ、怪物の怪物としての本能が告げている、ここで使わなくては目の前の人間の攻撃は防げないと、たった一本になってしまったこのオレの腕ではどうしようも無いのだと。
ならば。
脈動、細胞活性、血液流体、復元、体温上昇、体力減少、この人間に付けられた傷が疼き、蠢く、そして瞬きをする間もなく!次の瞬間には!
——ズルッ
新しくなった己の腕が、斬られ失った断面から生え、機能を授かり、以前とは比べ物にならぬほど強靭で、進化した作りとなり再生を果たした。
目を見開く人間!流石にこれは予想外であったか!獰猛な笑みが口元に浮かぶのが分かる、牙をチラつかせて見下すように顔を歪める。
散々こちらをイラつかせ、不快にさせたのだ、少しくらいは絶望を見せてくれなくては割に合わない。
どうせ直ぐに殺し、喰らうが、その程度の´おこぼれ´があっても問題はなかろう?早めのおやつといった所だ、空いた腹にはよく効く。
——ビュッ!
出来上がったばかりの腕を振る。
自分のものだとは思えないほど滑らかで、柔軟で、今までよりも遥かに早い一撃、この人間がどれほどの速度を出そうが関係ない、オレの目には全て視えている、視えているのだから。
筋肉の動き、呼吸、視線の動き、それらを元に初動を見極める。
真上から縦に振り下ろされる剣閃に対し、下からかちあげるかのような爪の斬撃、まずはその忌々しい貴様の武器から破壊して——
ブォン。
「……?」
違和感。
手応えがない。
鉄を切り裂いた感触がない。
目的を果たしたという実感がわかない。
理解出来ない理解出来ない理解出来ない、思考が止まる、考えられない、分からない頭がまわらないなんだこれはどうなっている空振りか目測を見誤ったか罠にハマったか爪はくうをきってなにもきらずくうをきってただ何者も捉えずなにもなにも……
いや。
「——」
ああ、そうか。
オレは意識を失いかけて——。
※※※※ ※※※※ ※※※※ ※※※※ ※※※
刀を。
奴が私の刀を憎らしげに見ていたのは分かっていた
互いの間合い、先の先を取られた打ち合い、振り下ろした刀、迫り来る奴の爪……。
反応が優れていることは確認した、こちらの動きを予測している事も痛感したし、相手を見下していることも報復心が強い事も理解した。
だから。
だからここで奴は必ず私の刀を狙って来ると思った、故に誘った、虚を実で隠し殺意を纏い必殺を装い、己を騙しこの一刀で打ち倒すと思い込ませた。
結果生まれた虚像。
刃のない刃、実害なき害意、手のひらの中の空虚、私は刀を振る直前に手放したのだ。
肩に背負ったことで相手から握りを隠し、あたかも渾身の力を獲物に伝えているかのように見せ掛け、 振り下ろすことで奴の爪を空振らせたのだ。
新しく生えてきた腕には驚いた、だがしかし、初撃を仕損じた時点で奴の辿る運命は決定していたッ!
重みのない剣を振り下ろし、何者にも阻まれぬまま腰に差した刀の鞘に手を伸ばし、奴の黄金が捉えらない角度から!
ゴッ——
顎先を殴り飛ばしたのだ!
両腕に伝わった感触から、私の一撃が思った通りの効果を発揮したことが分かった。
鞘を放り投げ、後ろに手を伸ばし、空中に置いてきたばかりの私の刀を掴み取り今度こそ。
「よくも」
全身全霊、渾身全力を込めて。
「やってくれたな」
自分の目でも負えないほどの速度で刃を加速させ、今まで受けてきた傷の分の恨みを宿らせて。
「この胸の燻り、一太刀では足らぬわ——ッ!」
横、そして縦。
重なる一本線、交差する銀光。
曰く、十文字。
四つに寸断されたかつての生き物の名残は、途方もない血液を撒き散らしながら花と咲き誇り、やがて響いたベチャッという嫌な音。
……コツ、コツ、コツ。
歩き、放り投げた鞘を拾い上げ、腰に差す。
ヒュッと刀を振るって血を払い、袖口から拭き紙を取り出し赤く染った刀身を拭う、刀を寝かせて鞘の上を滑らせる。
「お主が背負うにしては、ちいと重すぎたようだの」
——カチンッ
幕引きを告げるような金の音が響き、そうして訪れた静寂を破るのは他ならぬ彼女であった。
「……たす……かったぁぁ……」
その場で振り向いて、腰を抜かしてへたり混んでいるクルックシェッドの顔を見る。
「お腹の傷大丈夫?」
腹に手を触れる、出血はあるうえ傷も深い、だが長年の経験から死に至る怪我ではないと判断した。
「お外に出たら治療してあげるね」
それは助かる、いくら怪我では死なないとはいえ放っておいて感染症にでも罹ったらそれこそ厄介だ、せっかく医者がいるのなら活用しない手は無い。
ところで。
「して、何故戻ってきたのじゃ?」
「やっぱり聞かれるよねぇー……」
向こうはこちらが見えていないようで、まるで見当違いの場所を見ていた。
命を救われた事は感謝している、しかし、それを差し引いても私には彼女がここへ戻ってきた理由が見当たらなかった、まるで想像がつかないのだ。
「まぁー……」
すると彼女は、にへっと小気味よく笑い。
「逃げろぉーって言ったってさ、私暗くて結局道分かんなくて、前にも後ろにも進めなくておろおろしてたら何かが足元に吹っ飛んできて」
それは恐らく……。
「手繰り寄せてみたらそれは刀で、戦いに詳しくない私でも、これが罪人ちゃんのピンチなんだっていう事くらいは分かって
´ここで行かなくちゃ私は助けられた意味が無い´
そんな風に思ったらひとりでに体が動いちゃって、あの暗闇に浮かぶ黄金色の明かりを頼りに走って、何処に何があるのかも分からないまま剣を振るいましたとさ、おしまい」
「……」
絶句、だった。
「あは、なんか恥ずかしいね、顔隠しちゃおーっと」
彼女はあの時、間違いなく死にかけた。
私を助けようとしたがためにその命を危険に晒した、それは今のこの世の中にあって、自分の身を顧みず、例え己の信条を守る為であったとしても
ましてや自己犠牲にも近い無謀な救出劇など、こんな偽りの平和を盲信する世界においては有り得ない、それはとうの昔に失われたハズの物だったのだ
「助けられたな」
「その為に逃げてきたのだから」
「感謝を」
「役に立てた」
私は再び彼女を背負い、崩れ果ててズタズタとなった地下空間を抜けるべく先を急ごうとして。
——ザッ
私は唐突に足を止めた。
「え、わ……な、なに……?」
驚くクルックシェッド
「すまぬが」
刀に手を伸ばす。
「また、少し離れていてくれぬかのう」
睨みつける、暗闇を、私の目には障害となり得ない暗闇を、その向こう側に浮かび上がるひぃ、ふぅ、みぃ……いや無数に存在する幾つもの黄金の瞳。
「……え、うそ」
——グルルルル。
「さすがに」
刀を、抜き放つ。
「これは想定できなんだ」
冷や汗が、額をつうと流れて落ちていった……。
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