大脱出
目が覚めてから三日が経過した。
その間私は一貫して意識のない振りをしており、毎日しつこく訪れるカイル師団長は日に日にイライラを募らせていった。
私はクルックシェッドの企みに加担することにした、彼女の言い分はとても理解出来るものだったし、何より私がここから抜け出す為に必要だ。
片目となったことで狂った距離感や視界の狭さ、怪我により鈍くなった体の動きに慣れる訓練をして、何時でも事を起こせるように準備を進めた。
そして訪れた約束の三日目、クルックシェッドがカイルに伝えた『私が目覚めるまでの予測日』だ。
その日は朝から人の出入りが激しく、仮に気を失ったままだとしても目が覚めてしまいかねない程に騒々しかった。
私は依然として昏睡状態にある演技を続けており、布団の中に隠した刀を抱いてここぞという瞬間を待っていた。
その時、病室の扉が乱雑に開け放たれた。
部屋の中に入ってくる複数の気配に加え、はやる気持ちを抑えるような足音が聞こえてくる
ツカツカと先を急ぐように近付いてくる者からは、たとえ表情を見なくとも、その者の機嫌が伺い知れるほどに灼熱の感情が漏れ出していた。
「目は覚めたのか」
低く、落ち着いた声でありながら隠される気のない憎悪と焦り、期待、あらゆる思いが入り交じった複雑で混沌としたカイル師団長の声。
「まだ覚めてないけど脳波に反応が見られますからー多分そろそろ目覚める頃合だと思いますよー」
そんな緊張感高まる場に一切そぐわない、自分の調子というものを乱さない女クルックシェッド、正直いつ切り殺されやしないかと見てたてヒヤヒヤする。
彼女は私が既にこの世に舞い戻ってきていることを知っている、全てを把握している私にとっては実に白々しい発言に聞こえてならない。
しかし期日に望んだ結果が得られないと知ったカイル師団長がどのように出るか、場合によってはすぐにでも刀を振るわねばならないが……。
彼は温度の感じられない声でこう言った。
「十分だ」
その言葉がいったい何を意味するのか?それを考える暇もなく、私の眠る寝台から金具が取り外され、あっという間に部屋外へ連れ出されてしまった。
「まだ意識がないんだよ!?」
とても病人を載せているとは思えない運び方をするカイルに、バタバタと転びそうになりながらも追いすがって抗議の声を上げるクルックシェッド。
とても演技とは思えない悲壮感を漂わせながら、彼女は彼女のできる最後の『仕上げ』に取り掛かる。
「貴様が言ったであろう、そのうちに目覚めると」
「だからって連れていくなんて!せめてきちんと検査と処置を施して会話が出来るようになるまで回復を待って、移動させるならそれからじゃないと!」
「黙れ!私はもう既に三日待ったのだ、これ以上は待つことは出来ない!本国の連中が今にもここへやって来ようという時にそんな余裕は無い!」
全く聞く耳を持たない彼は暴走機関車のように廊下を突き進み、段差で大きく台を跳ねさせながら外に飛び出した、私は病院の外に出られたのだ。
彼の周りに着いている護衛は周囲を警戒している、万が一にでも脱走などが起こらないように細心の注意を払っている。
それは恐らく任務に対する責任と言うよりは、カイルの機嫌を損ねる事で己の命や進退に多大なる影響があるからであろう。
——その時
「待って!ダメ、やめて!」
彼女は今にもどこかへ運び込まれそうになっている私に追い付き、カイル師団長の腕にまとわりつく事で進行を止めようとしたようだ。
「せめて薬の投与をさせて!このままじゃあ目が覚めてもまともに口なんて聞ける状態ぎゃない!お願いだからもう少し、もう少し処置をさせてっ!」
引っ張り、掴み、引っ掻き、必死であることを全身を使って最大限に表現するクルックシェッド、先を急ぎたい身としては煩わしい事このうえないだろう。
「ええい、鬱陶しい!こいつをどかせろ!」
引き連れている部下たちに命令を下すカイル、それにより護衛達の注意がクルックシェッド一人に注がれる、無論カイル師団長本人もまた同様に。
左に三人、右に四人。
私は待っていたのだ。
私は今なお暗闇の中に在りながら虎視眈々とその瞬間を狙い続けていたのだ、ただでさえ意識のない怪我人に加えて第三の意識を逸らされる要因を。
刷り込まれた印象はこの時、彼らに一瞬の空白を産んだ。
その道で何十年も生きている者でさえ回避が出来ないどうしようも無い意識の脆弱性、正しく落とし穴と呼ぶに相応しい極悪非道の大罠……!
——バサッ!
被っている物を押し退けて勢いよく飛び起きる。
「……っ!?」
布団は空中に投げ出されて広がり、私の姿を隠してくれる。
視界の端に有り得べからざるモノを捉えた彼らは、すぐさま警戒態勢に移行したのだが、この場に居る全員の位置情報を十分な時間をかけて把握していた私と、今の今まで別な事に気を取られていた彼らとでは行動の質に明確な差が生じた。
既に切ってある鯉口、柄を握り込む程よく脱力の効いた腕、そして膝立ちの姿勢から微塵のブレもなく抜き放たれる刀身。
斜めに一発、切り返しを挟んで反対にもう一発、その場に居るクルックシェッド以外の人間に向けて渾身の居合抜きを叩き込む!
悠々と切り裂く肉の感覚、手のひらに返ってくる微妙な反動、防具の上から命を断ち切られる師団長カイルの部下達、反応が間に合った者は居なかった。
……そう、ただ一人を除いて。
——ガギィンッ! 明らかに人のモノとは違う感触が刃を伝って降りてくる、振り抜くことを許さない鉄壁の防御、刀は途中で食い止められていたッ!
「仕留め損なったか!」
「舐めるなァァァァ!」
——ガァンッ!
晴れた視界に映るは剣閃を跳ね上げるカイルの姿、いつの間にやら抜いていた直剣の腹で上手いこと受け流され、反撃に踏み切られる。
後ろに手を伸ばして枕を掴み、飛び退きながらそれを真ん前にぶん投げる、奴はそれを手の甲で弾き飛ばして尚も直進を続けた。
地上に降りた私は目の前にある寝台を蹴り、投擲物として扱い彼に叩き込む。
ガラガラガラッ!突如与えられた大きな力、それにより物理法則に則って正しく作用する寝台、病み上がりの体から放たれる形容しがたいまでの膂力。
「ぬぅ……っ!」
迫り来る暴力の塊を片手で受け止めるカイル、いくら大の男と言えどその勢いを完璧に殺し切ることは出来ず、地面の上を僅かに滑って後退した。
足が止まった事を見越して前へ踏み込み、再び寝台の上に立って体を寝かせ、大きく間合いを伸ばした一撃を放つ。
首筋を薙ぎにいく銀の光、硬直を狙われたカイルに取れる行動は殆ど残されていない……はずだった。
「そんなものォッ!」
彼は片手で寝台の端を掴み、全身の力を使って私ごと台座を思いっきりひっくり返したのだ!
——グワン
反転する視界、重力が乱れ一瞬の浮遊感を味わう、私は空中に投げ出されるよりも前に足場を蹴り、強烈な反動を貰って大きく後方に飛び退いた。
真っ二つになった寝台の姿が、離れ際の視界の端に映る。 少しでも退避が遅れていたらああなっていたのは私の方だったであろう。
追いすがるカイル、奴は私が地面に着地するのを待たずにまっすぐ飛び込んでくる。
剣を肩に載せて準備万端必殺の一撃を放たんとし、殺意によってギラついた瞳を妖しく輝かせる。 もはや護送や尋問などという考えは、彼の頭の中には無いようだ。
このままでは着地を狩られる!
私は腰に差した鞘を抜いて投げ打った、まっすぐ槍のように射出されたソレはとても体で受けられる様な代物ではなく、奴は防御を余儀なくされた。
——カンッ!弾き飛ばされる刀の鞘、大した効果は得られなかったが奴の追い足は殺されてしまった。
……着地、と同時に踏み込み、間合いに入り低い位置に刀を振る、軽く腿を上げて回避される。
更にもう一段階前に出て突き込む、奴は私の潰れた目の方に回り込むように動き、死角から反撃を合わせに来た。
肉薄!見えない側からの攻撃にヤマカンで対処するほど無謀ではない!私は詰め寄って一瞬だけ鍔迫り合いを仕掛けて敵の攻撃の初動を潰した。
——ギリリリリリリッ!!
「ぐ、ぬおお……っ!」
予想外に強い力に足が止まるカイル、しっかりと踏ん張らなくては押し返されて切られるということがよく分かっている。
一方で私の方には余裕がある、力で言えばこちらの方が上であるようだ。 私は隙を見て奴の膝を真横から蹴り抜き、体勢をグラつかせた。
ずんずんと押されて行くカイル、奴は苦し紛れに私の服を掴み引き込んで投げようとするが、全身の力を余す事無く使える私にとってそれは問題でない。
かち合った刀に力を込めて押し飛ばす、その勢いを利用して下から切り上げるも、微妙に間合いを外され直撃には至らなかった。
返す刀でもう一発!体の左側から同じ斬撃を放つ、しかし今度の狙いは敵では無い、切っ先が地面に擦れて土埃を巻き上げる!
斬撃自体は防がれたが敵は視界を塞がれた、土煙が目に入ったことで怯んでしまったのだ。 私は振り上げた刀をそのまま打ち下ろし、カイルを袈裟に切りつけた。
——ガギィッ!
金属同士の衝突音、土色に霞んだ中に爆ぜる火花、そして煙の向こうから覗く獰猛な瞳。
隙を晒していたように見えたのは演技であったッ!奴はちっとも怯んじゃ居なかったんだ!ここぞという瞬間を待って行動を起こしたのは奴の方だった!
奴は受け止めた刀をクルッと返して優位を取り、そのまま防御の余地のない剣突を放った。
獲物の上から被せるように迫るそれはこちらの刀の動きを阻害して防ぐことを許さない。
今すぐに行動を起こさねば間に合わないというのに、実際に対処が出来るようになるのは二手後だ。
そこまで私の命は保ちやしない、次の一手で事を決めなければ間違いなく殺られてしまう。
だが現実は非情であり、どう低く見積っても今から奴の剣を防ぐ手立てなど残されていなかった。
迫り来る刃!もはや打つ手は無い、それの軌道は既に刀でどうこうできる場所に在らず!抵抗はどこまでも無駄に終わるだろう!
「……死ね!」
——そう、だからこそ。
私はあえて刀から手を離した
「……っ!?」
死を前に正気を失ったか?それとも怪我のせいで武器を取り落としてしまったのか?否、否、否——。
半身に入り、首筋ギリギリを通り抜ける刃、奴の剣の持ち手を掴んで取り、柄を握りこんだ緊張を利用して、体を回す勢いを加算した投げ技を見舞ってやる。
「な、に……っ!?」
ふわっと宙空に舞う師団長カイル、自分より体格に優れる大の男が易々と投げられる光景は異質だが、彼自身はその事をとてもよく理解していた。
彼は失念していたのだ、目の前に対峙した罪人の女が、病み上がりの体で自らの出力を上回っているということを、そしてあまつさえ英雄すらを斬り殺しているという事実をッ!
浮遊のち、加速……ッ!
——ゴッシャァッ!
体重に速度を加えられた投げ技は、奴から一瞬の隙をもぎ取るには十分すぎるほどの威力を誇っていたッ!
「ゴ、ガァァッ!」
そのあまりの勢いに地面で体が跳ねる、墜落の衝撃を利用してカイルの剣を持った腕を捻り壊し、その手から武器を奪い取って間髪入れずに振り下ろす。
「グアァァッ!」
完璧な無防備にあったはずのカイルは、獣のような雄叫びを上げながら地面を転がり斬撃を躱したッ!
ザッ! 深々と地面に突き刺さる切っ先、かすり傷ひとつ与えられなかった斬撃、奴は折れた腕で体を跳ね上げて飛び起きようとする。
私は踏み込んで!直線で奴の顔面に蹴りを叩き込む!復帰することを許さない無慈悲なる一撃、後手に回っているカイルにはどうする事も——
「……なにっ!?」
あらうことか奴は私の足を捕まえた、そしてそのまま引っ張りこんでその場で一回転、遠心力を加えられた私の体は強烈に投げ飛ばされた。
「ぐ……っ!」
離脱を防ぐ為に何とか地面に剣を刺し、鋭い亀裂を生み出しながらも停止に成功、迫り来る殺意に塗れた気配を察知してがむしゃらに剣を振るう。
——ガァンッ! 飛び散る火花! 奴は私が投げ捨てた刀を手に取り、片手で扱っていたのだ! 噛み合った刃はギリギリと鈍い音を立てて弾かれる。
「重い……っ!」
いつもと感覚の違う獲物に戸惑うが、それは恐らく向こうとて同じ、刃渡りも違ければ握った感覚も違う!
ただでさえ慣れていない獲物に加えて片腕で戦わなければならないという状況、怪我がなくとも力勝負で負けているカイルはまさに後がない、ここが正念場と見た……ッ!
切り結び、弾かれ、受け流し、詰め寄って足を取り膝に打撃を叩き込む、押し飛ばして剣柄で鼻っ柱を叩き折り、そのまま首に刃を振り下ろす。
姿勢を下げて避けられ、そのまま突進を仕掛けてくる、体にドンッという衝撃が走って後ろに下がらせられる、靴底がガリガリと地面を削る。
膝蹴りを胴体に叩き込み、浮いた体を捕まえてひっくり返して地面に転がす、そして空高く振り上げて
「おのれ——」
「お命貰い受ける」
そっ首を切り落とした。
後にはただ、尻もちを着いたままの状態でその場に座り込むクルックシェッドだけが残されていた。
「……」
私は不必要に奪うことになった命に頭を下げ、彼の手から刀を取り返して汚れを拭い、刃こぼれの有無を確認して、地面から鞘を拾い上げて刀身を納めた。
「凄い、勝っちゃったぁ」
「先を急ぐのだろう、さっさと立ち上がらぬか」
「……ごめん、目の前で人が殺されるのなんて初めて見たから腰が抜けちゃったぁ」
たどたどしい足つきで立ち上がるクルックシェッド、彼女はたった今死体と化したカイルを訝しげに眺めたあと、気が抜けたような表情を整えて言った。
「行こう」
私はまた七人、罪なき命を殺めたのだった……。
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