衰え知らずの古剣士
突然声をかけてきたシドに、私は落ち着いて答える
「このように賑やかな夕食は久方ぶりだからのう」
彼は私の隣の空いた席を引き、そこへ座った。 シドは確か村人たちの相手をしていたはずだが、考え事に夢中になるあまり動向を見逃してしまったか。
「夕食は皆で摂ろうと私が決めたのです、皆仕事や育児や家事で忙しく、顔を付き合わせる機会が不足していたので」
「円滑な意思疎通は村人の活気と健康につながると、何かで聞いたことがある。 年寄りにも子供にも若者にもいい影響となるであろうな」
「旅のお方は聡明であらせられる」
緊張と恐怖の会合、私は既にこの男を殺害対象として見ている。 こうしている間にも何処か隙はないかと探り続けている、果たして不意打ちが決まるような相手なのかどうかを吟味している。
「お怪我の方はいかがです」
机の上の飲み物を傾けながら尋ねてくる。
「あぁ、お主の紹介してくれた優秀な医者のおかげでこの通り、酒やら肉やらを摘む余裕が出来た、数日の間に完治するであろう」
たとえ死にかけておっても酒は欠かさぬがな、と心の中で思う。
「さすがは霧の密林を生きて抜けてきただけの事はあります、村の若い衆も見習うべきでございましょう」
「私など手本にしたところで学べることはあるまい」
「ご謙遜なさらず」
いいや、紛れない事実だよ。
私に出来ることといえば、磨き上げた剣術で生き物を切り殺すことぐらいだ、尊いモノを壊すことしか出来ない能無しから一体何を得るというのか。
「なにかお困りではないですか」
少しだけ空白の時間があり。
「……そうさなぁ、我が身の行く末について漠然とした不安ならばあるかのう」
「それは……」
いささか困ったような顔をするシド、なんと答えて良いか分からぬのであろう。
「すまぬ、ちょっと意地悪を言っただけだ、深い意味などは無いゆえあまり気にするでない」
「あまりか弱いご老体を虐めてくれますな」
それこそ`ご謙遜を`というやつだよ英雄ヨハネス、貴殿の戦いぶりは噂だけではあるが聞いているよ、いくつもの剣を身に着け戦場を駆け巡る大嵐とな。
老体などと、その体は微塵も衰えていないのであろう?骨も筋肉も頑丈極まれり、今なお前線で棒振りが務まるほどの力を秘めておるではないか。
何の気なしという風を装って質問をする。
「お主随分と慕われておるようだな」
するも彼は一瞬バツの悪そうな顔をしたが、直ぐにそれを引っ込めてこう言った。
「身にあまります」
彼の口から飛び出した意外な言葉に、思わずそちらに顔を向けてしまった。
そこに感じられたのは罪悪感というよりは嫌悪、恐らく他人ではなく自分自身に向けられたもの、どうしてそのような事が分かるか?私がそうだからだ。
「……失礼、戯言です、酒の席の冗談と聞き流してくだされ」
いまの表情には見覚えがある、己の愚かさを痛感し向き合い続けて苦しむ者の顔だ、割れた鏡に写った自分のそれを私は何度も見てきている。
彼は人知れず傷付いていたのだろう。
しかし何らかの理由からそれを表に出せずにいる、今見せた自虐的な一面はきっとここの誰も見たことがない部分であったはずだ、余所者にだからこそ出すことのできる本音のようなもの。
村の長として振舞っているシドからは見ることが出来なかった弱気な部分、人は悩みや迷いを抱えているものには決して付き従わない生き物だ。
そうでなければ彼がここまで狂信的な支持を得られたはずがない、彼は村人たちの救世主となるために人間性を捨てているのだろう。
やはり私の見立てに狂いはなかった、その異常だとも思える精神性はまさしく英雄と呼ぶに相応しい、シド=アーシェスは間違いなく英雄ヨハネスだ。
これ以上の探りを入れる必要なし。
「村長」
「如何なさいましたか?」
「酔いが回ってきたようだ、気分転換がてら少し歩かぬか?たまにはひとりにな事も大切であろう」
彼は少し考えて。
「それも良いかもしれませんね」
と言って机の端に立てかけてあった杖を手に取り、ゆっくり席を立った、私もそれに続いて立ち上がり、荷物を担ぎあげ、笠を被って歩き出す。
「……あ、村長様!」
涼める場所へ向かう途中、遠くの方から大きく手を振りながらひとりの少年が走り寄ってきた、彼は先程私をここに連れてきたルディクであった。
「村長様村長様!聞いてください、今度皆でいつも頑張ってくれているシド村長になにか贈り物をしたいという話になりまして、欲しい物などあれば……
おや、何処かへ行かれるのですか?」
お料理の皿を持ちながら小首を傾げるルディク。
「心配しなくとも大丈夫ですよ、この方と少々涼みに行くだけですから」
そう言って私の方を見て微笑むシド村長。
「そうなんですね、行ってらっしゃいませ!」
元気のいい送り出しの言葉、深く下げられた頭、律儀で健気でいい子ではないか、自慢のひとり息子と自称するのも納得がいくというものよ。
「それと贈り物の件ですが、私は皆様方から頂くものであれば何であっても嬉しいですよ、余計な気など使わずお好きなものを選んでくだされば」
「……!はいっ、そのように致します!それではお気をつけて行ってらっしゃいませ、帰ってきたら僕が最近覚えた取っておきの料理を振舞います!」
「楽しみにしていますよ、さあ行きましょう」
「あぁ」
そうして我らは少年ルディクの暖かい視線に見送られながら、村の奥へと消えていくのであった。
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月夜。
あかりは全て消え果てて、後に残るのは明日への残滓のみ、村の奥の奥の方で、並んで歩く少女とご老体、コツコツと杖を着く音に紛れて僅か衣擦れの音
余計なモノのないこの空間は涼むのに相応しく、また夜の散歩場所としてこれ以上あるまい、サラサラと木の葉が擦れて声を上げる、まるで赤子を寝かしつける子守唄のように穏やかで清らかだ。
民家の無い自然の中、時折小さな生き物が草陰から飛び出してはこちらに気が付き逃げていく、人に害を及ぼす危険な生き物は居ないようだった。
「たまにはよいものですね」
男が空を見上げて言った、斜めから当たった蒼白い光が彼の横顔を夜闇に照らし出している。
「斯様な夜には憂いも忘れられよう」
腰に差した刀にまるで肘掛けのように手を置いて、ゆったり歩きながらそう言った。
コツコツと地面を叩く杖の音、軽快な調子で響くそれは、この風景に絶妙に合っているように思えた、気持ちを落ち着かせる川のせせらぎの如く。
2人の間の距離はそれほど空いていない、少し手を伸ばせば届く位置で歩いている、呼吸により生じる微かな波長が、耳に届いては鼓膜を撫で付ける。
指を伸ばして、曲げてを繰り返す。
肺を膨らませて萎ませる。
歩幅をぴたり合わせて同調させる。
あらゆる雑音は消え、世界にはただ2人だけになる。
目を瞑る、明かりに頼らず暗がりに身を投じる、赤黒い瞼の裏を見つめて不必要な情報を遮断する。
機能を阻害された感覚器官はそれを補うべく他の感覚を頼り、深く鋭く研ぎ澄まされていく。
背の低い草が上から踏みつけられ、潰れては時間をかけて元に戻っていく、空でささやかな光を放つ月が雲に隠れ、辺りは一瞬だけ暗闇に包まれる。
——目を開く。
月光が反転する直前、既に閉ざされていた私の瞳は瞳孔の大きさが調節されていた、それによってほんの僅かだけだが見える範囲が広くなる。
シャク、シャク、シャク。
一定の間隔で訪れる歩み。 全く異なる個人でありながら、私とヤツの歩調は完璧に噛み合っていた、それは無意識下で行われる人間の反射によるもの。
シャク、シャク、
重なる足音、1歩2歩。
そして……
サク——
大地を踏み締める足の裏がひとつ。
取り残される私、前に出る男、開いた距離は歩幅いっこぶん、こちらからは相手が見え、相手からはこちらが見えない位置関係、紛れもなく取った背後。
——鯉口を切る。
斜め後ろから背中を睨みつけ、腰を回し、背中を柔らかく使って鞘走り、狙うは胴体横薙ぎ一文字ッ!
抜き放たれた刀身!一切の躊躇なく振り抜かれたそれは加速を与えられ、前を歩く男の背中に迫り——
——ドンッ
胸の中を通り抜ける衝撃、止められる居合、まるで破城槌のように私の胸に叩き付けられたのは杖であった……いや、それは正確な情報ではないだろう。
上体が僅かに逸れ、肺の中の空気が漏れるほどの勢いで突きつけられたソレは杖ではなく、刀身を納め隠すための鞘であったのだ。
再び射し込んだ月明かりの元、照らし出されるは白銀の刃、こちらに向けられた悪魔のような瞳と老人などとは決して呼べぬ覇気を纏ったひとりの英雄。
「——この俺に不意打ちたぁ、舐めてくれる」
彼は、逆手に持った仕込み杖の鞘で私の居合を止めたのち、極小の動きと共に突き出して私を弾き飛ばし、どこまでも澄んだその一撃を振り抜いた……。
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