英雄ヨハネス
私は仰け反った姿勢を無理に正そうとはせず、ただ重力に身を任せて尻もちを着くように後ろに倒れ込んだ、そして目の前を通り過ぎていく白刃の残光。
——ヒョウッ!
私の首があった場所を正確に切り裂いたシドの、いや『英雄ヨハネス』の剣は素早く、歳の衰えなど微塵も感じられなかった。
臀部に着地の衝撃が加わり、それと同時に地面の上を転がって距離を取る。
その際被っていた笠を器用に外し、笠の影に隠れるよう床に落ちていた小石を拾い上げ手のひらの中に仕込んでおく。
ヨハネスが踏み込みを掛けた気配がする、私は半ば飛ぶように起き上がると、転がってる最中頭から外しておいた笠を円月輪のように放った。
敵は剣を上段から振り下ろすと、私の投げた笠をいとも容易く叩き切った。
綺麗に中心点から真っ二つになる私の笠、それにより僅かに視界が塞がれる
続けざまに私は、手のひらの内に隠し持っていた石を、剣を振った直後の後隙目掛けて投擲した。
刀を振って鍛えられた手首と、そして肩から繰り出されるその一投は恐るべき破壊の力を宿していた。
——ガンッ!
避けられないと判断した彼は返す刀で難なく小石を弾き飛ばしたが、私の攻撃はそれでは終わらない。
踏み込み、肩を入れ込んでの渾身の突き。
元よりあのような投げ物などで痛手を与えられるなどとは思っておらぬ、先程までの一連の流れは全て私が距離を詰める為の布石、単なる時間稼ぎだ。
奴の喉元目掛けて放たれたソレは、ギィィィッ!!という耳を塞ぎたくなるような鉄の擦れる音と共に剣の腹で滑らされて防がれる。
切っ先がこちらを向く、防御と攻撃の準備が一体となった彼の剣技は隙を消した反撃を可能とした。
「……ぬんッ!」
お返しと言わんばかりに剣突が放たれる。
私はそれを真横から叩きつけるようにして弾いた、そして反動を利用して喉元を切り裂きにいく。
しかしヨハネスは半歩下がってソレを回避、そのまま下から上へ、滝を昇る鯉のような斬撃を放った、私は避けきれず右大腿部から肩までを切られる。
冷たい刃が体の中を通る感覚。
月夜に鮮血が舞い上がる、キラキラと輝くどす黒い宝石は美しく、消費される命をこれでもかと表していた、私は一歩死へと近付いたのだ。
できる限り距離を外して致命傷は避けたが決して軽い怪我では無い、剣の腕では私より向こうの方が上手であるか……ッ!
怯まず足元を切り払う、サッと足を引かれて躱される、あえて残心を解き、隙を晒して誘い込もうとするが乗ってこない、構え直して向かい合う。
「……」
「……」
交わされる言葉は目と剣のみ、それ以外の余剰物資は存在せず、ここにはただ2人の人斬りが居るのみ、あらゆるしがらみや運命から解き放たれて己の培ってきた技術でのみ対話が可能となるイクサバ。
視線の動きで圧力をかける、反対に切っ先に現れる僅かな起こりに釣られそうになる。
奴の右側へ回り込むようにゆっくり動く、体の向きを合わせに来るヨハネス、奴の双眼が私を射抜く。
いたずらに振り撒かれる殺気は全て偽物だ、間違っても反応してはならない、その瞬間に首が飛ぶ。
——その時。
ヨハネスが突然剣を振りかぶった。
あまりに隙だらけの行動に私の警戒心は頂点に達する。
打ち込む隙は山ほどあるが、まさかその様な愚かな真似をする手合いでは無い、この行動には何か必ず裏があるはずだ、迂闊に手を出すべきでない——
そう考えて。
ただ真っ直ぐ振り下ろされる刃を見て気が付いた、やつは本当に『ただ見た目通りの剣を振ろうとしている』ということに!
「——ッ!」
ギリギリだった。あと少し遅ければ、私はただ何の抵抗も出来ずに切り伏せられる所であった。
こちらの深読みを狙った裏の裏の剣、すんでのところで反応が間に合った私は刀を盾にそれを防ぐ。
ガッッ!打ち込まれた一撃は重く、例え防げたとて無事で済むようなものではなかった。
刀を持つ手がしびれる、一瞬だけ握力が緩んでしまう、全身が硬直して十分すぎる隙が生まれる。
打ち込まれた剣は私の刀にはねかえった、そして再び頭上に構えられたその剣は、未だ硬直の最中にある私に向かってふたたびふり降ろされた。
——刀身がかち合うその時を見計らう。
私は刀の角度を傾けて、受け止めるのではなく受け流そうとした。 このまま打ち込まれるばかりではいずれ崩される、故に何とか反撃の足掛かりを作ろうとしたのだが。
奴の剣は受け流されることなく、また刃と刃が触れ合うことすらなく、直前でピッタリと止まった。
——チャキ、刃先がこちらを向く。
マズイ……ッ!!斜め上から弧を描くように私の喉元目掛けて押し出される刺突、私は一か八かで思いっきり奴に近付いた、がむしゃらに。
突然標的が自分の方に向かって来たことで攻撃は僅かに狙いを外し、英雄ヨハネスの剣は左の鎖骨らへんを貫いた。
脳回路を焼き切るような凄まじい痛みに襲われながらも私は足を止めずに直進、そのまま奴の身体に掴みかかり、体落としの要領でぶん投げた。
——ブシュッ!
身体に突き刺さっていた剣が引き抜かれる、あまりに乱暴な所業に思わず声が叫び声が漏れた。
——ドゴォッ!!
ヤツは背中から地面に叩き付けられはしたものの、ギリギリのところで受け身を取った。
しかし全くの無傷という訳では無い、よもや貫かれながら技をかけてくるとは奴も思っていなかったのだろう、受け身は僅かにではあるが遅れていた。
ヨハネスが転がって立ち上がろうとしている所に、膝で滑り込みながら間合いを詰めて刀を振る。
——ガギィンッ!苦し紛れに受け止められる斬撃、直ぐに振り払って追撃を仕掛けようとしたが甘い、奴は膝立ちのまま鍔迫り合いを仕掛けてきた。
「く……っ!」
左腕を怪我している今の私では力で押し負ける、このままでは遠くない内に崩されて切られてしまう、しかし抜け出そうにもそんな隙は何処にもない!
両手でしっかり刀を持ち、大地にしっかり自分の体を繋ぎ止め、この局面で討ち取られる事がないように必死で抵抗する。
既に付けられた傷からは大量の血が流れている、早めに決着をつけなければ限界が来るのは私の方だ、ヨハネスはまだ一箇所も切られちゃいない!
ギギギギギギ……ッ!!飛び散る火花、押し込んでは力を弛めて流そうとする、通用せず返されそうになる、すぐさま対応して打ち込みを阻止する。
持ち手を掴んで剣を奪い取ろうとする、折れた小指を掴まれて捻りあげられた!あまりの苦痛に涙が滲む、一瞬生まれた隙に頭突きを叩き込まれる。
「ごっ……は……」
鼻の骨がへし折られ大量に流血しながら仰け反る、血に溺れて息が苦しい中で、私の小指を締め上げるやつの手首を掴んで握り砕いてやった。
——バギバギバギッッ!
「がぁぁっ……っ!!?」
これにはさしもの英雄様も無反応というわけにはいかず、鍔迫り合いの力が大きく緩んだ。
私は相手の剣をかち上げて、自由となった己の刀を奮って敵の右の手首を削ぎ落としてやった。
「……ッアァァ!!」
悲痛な叫び声を上げながら袈裟に切り付けてくる!私は片手で刀を構えてそれを防ぎ、足を上げて敵の体を思いっきり突き飛ばし、反動で自分も転がった。
素早く立ち上がる!
ヨハネスは服を破いて手首の断面に硬く巻き付けて止血を図った。 私も小指が使い物にならないので両手でしっかりと刀を握り込むことが出来ない、どうしても構えが不安定になってしまう。
それでも失くするよりはマシだがな!
——ダァンッ!!
両者とも前方に踏み込む。
一気に距離が近付いて互いの射程距離圏内に入る、間合いが重なった瞬間振り抜かれた両者の剣撃は、いずれもギリギリのところで空を切った!
胴薙ぎを狙う軌道で右腕を切り飛ばしにいく、半身になって躱され膝下を狙われる。 手首を返して軌道上に刀身を置いてそれを防ぐ、真っ直ぐ身入りを
行って柄頭で相手のみぞおちを殴り飛ばす。
「グ……ッ!」
髪の毛が掴まれる、押さえつけられて喉元に刃が迫る。 私は髪の毛が引きちぎれる痛みに耐えながら首と全身の力を使って奴を引き込み、そのまま背負い投げの要領で思いっきりぶん投げた!
宙に浮いている奴の体を両断しようと迫るが、落ちながら顔面を蹴り飛ばされて阻止される。
今ので片目の視力が機能しなくなった、大きく仰け反って地面に手を着きながら何とか耐え切る。
ゴシャッ!!攻撃という名の防御を優先したヨハネスは頭から地面に落下し、跳ね返りながら地面を転がって血を吐きながら立ち上がった。
復帰した私は地面を蹴り上げ土埃を撒き散らした、それが奴の目に入って視界を塞いだ。
私は腰に差した鞘を引き抜き、大足を開いて振りかぶり、全身全霊を込めて投げ打った!
半開きで充血した目を擦りながら、なんとか迫り来る脅威を認識したヨハネスはそれを弾き飛ばした。
しかし
奴が剣を構え直す前に私は至近距離、正しく零距離と呼ぶに相応しい場所にまで詰め寄って、剣を持った腕を片手で押さえ込みながら、刀をその体に深々と突き刺してやった。
「——がふっ」
普通ならここで勝負が決まるところだ、しかしッ!忘れてはならないこの男は、尋常ならざる力を秘めた人間を超えた人間、英雄ヨハネスなのだ……ッ!
——ガッ!!
「……っ!?」
驚くべきことに、奴は私の刀の持ち手をガッシリと握ると、あろうことか土手っ腹に膝蹴りを叩き込んできたのだ、胸に剣が刺さったままでッ!
「が、っは……!」
あまりの衝撃に浮いた体を掴まれ、そのまま足を払って腰に載せられ、十分な加速を与えられたうえで背中から地面に叩きつけられた。
意識が飛ぶような思いをして、なんとか踏みとどまった私は、頭上で剣を振りかぶっている男の両膝に自身の脚を挟み込むように絡めて引き倒した。
地面にぶっ倒されながら、男は胸に刺さった刀を乱暴に引き抜いて遠くの方へ放り投げて、素早く起き上がり左右にフラ付きながら切りつけてきた。
まずい、丸腰だ……っ!!
下がる下がる下がる!距離を取りながら腕で急所を庇い、何度も切り裂かれながら致命傷のみを気にして避ける、腕や足や顔が血塗れになっていく。
「つ、ぅ……っ!」
体を切られはしているが死んではいない、度重なる怪我の蓄積で相手も弱っている、最初ほどの剣速はない、威力も大変落ちている、あと少しだ……ッ!
男が剣を構えるのが見えた、後ろ足に力が溜まっていく、下がり続ける私に辟易したのだろう。
私は奴が飛び込んでくる瞬間を狙って突っ込んだ、そして剣を持つ腕を捕まえて肘関節を壊しにいく、だが直前で抜け出されてたたっ切られそうになる。
咄嗟に地面に体を投げ出すようにして屈み、低い姿勢から膝へ対して全体重を乗せた蹴りを放つ。
メギ、という嫌な音がして男の左膝が砕けた。
ヨハネスは片膝を着いた。
しかし私の蹴り足を掴んで引きずり込み、私の腹へ目掛けて剣を突き立てたのだっ!
「うぐ……っ」
お腹の中に冷たいモノが入り込んでくる吐きそうな程の不快感を味わうが、私は体を起こして奴の襟首をギッチリと握りこんで思いっきり引っ張った。
そして両足を上げ、まるで蛇のように首に絡みつけて締め上げる……ッ!ギリギリギリッ!!首の骨を砕かん勢いで力が込められ、男は苦しみに喘ぐ。
ヨハネスは首を絞めながら私を持ち上げて、まるで氷を割るつるはしのように地面に叩きつけたッ!!何度も、何度も!死に物狂いで何度も……ッ!!!
「ぐっ……あ、……あぐっ……っ、う、ぁ!」
六度目に地面に叩き付けられた時、私は咄嗟に自分の腹に刺さった剣の柄を掴み、張り裂けるような痛みを味わいながら思いっきり引き抜いた。
血が、まるで噴水のように吹き出す、あまりに強烈な痛みに気が狂いそうになりながら剣を振りかぶり、英雄ヨハネスの脳天に全力で突き刺したッ!
——ゴリッ
頭蓋骨を突き破る感触があり、その途端奴はまるで糸の切れた人形のように全身から力が抜け、それまでのむちゃくちゃな暴れっぷりが嘘であるかのように静かになった。
「は……っ……は、ぁ……っ」
息も絶え絶えでまともに呼吸もできず、視界は霞んで音もろくに聞こえず、手足は震えて全身が痛み、寒気が止まらず熱があり、吐き気と頭痛に見舞われる。
死力を尽くして男の死体を退かし、ゴロンと転がって立ち上がろうとする。
——その瞬間
「う、ぐあぁぁ……ッ!!」
私はそこらじゅうをのたうち回った、穴の空いた腹や首元を抑えながら血を吐くが、喝を入れるために自分で自分の頭を思い切り地面に叩きつけた。
——ガッ!
「これ……しきの、ことで……ッ!」
震える膝を拳で叩きながら立ち上がる、ヨハネスが投げた私の刀とその鞘を拾い上げて、途中で何度も意識を失いそうになりながらヨロヨロと歩く。
この程度の、この程度の怪我なら何度もしてきた、死ぬほど痛いし実際死にかけているが、まだ生きられる、私の狂うほどに強い生命力を舐めるでない!
「は……っ」
刀を杖代わりにしながらゆっくりと歩き、転びそうになるのを踏ん張って耐え、傷口を圧迫して止血しながらひたすら前へ進み続ける。
とにかくこの村から離れようと、この村を離れてとにかくさきせ進まねばと、うわ言のようにそれだけを頭の中で繰り返しこだまさせる。
前へ、前へ、前へ。
前へ……
——ガサガサ
その時なにかの音がした、草むらを掻き分けるような物音があり、そしてそちらの方からまた何かが聞こえた、今度は恐ろしく無感情で温度のないもの。
ただ、目の前のものを、受け入れられず、ただ口にしただけかのような、ほんの小さな呟き声だった。
声のした先に居たのは
「——おとう、さん?」
今しがた殺したばかりの男のひとり息子。
「村長様……っ!!」
そしてその後ろに幾人かの村人。
「旅人、さんが、やった……んですか……?」
ルディクは背筋の凍るような声を出していた。
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