獰猛な獣との対峙


足首を噛みちぎろうと獣が迫る、一歩引いて切り下がる。 斬撃の合間を縫って別の個体が迫り来る、すぐさま刀を構え直して機会を伺う、隙が消えたと察した四足の獣は霧の中へと消えていった。


背後の草むらで物音!振り向きそうになるのを我慢して神経を研ぎ澄まし、足元でこっそり息を潜めて忍び寄る害獣へと狙いを定めて刃を振り下ろす。


——ストン


硬い皮膚を切り裂いて首が落ちた、彼の者は断末魔の悲鳴を上げる間もなく絶命し、大地へと還った。


そのまま手首を返して小さな動きで斬撃を放つ、左手前にある木に気を付けつつ、不規則な動きで向かってくる不届き者を切りつける。


——悲痛な悲鳴が上がる


吹き上がった血液が顔にかかり一瞬視界が塞がれる、野生の獣はその隙を見逃さない。 二体同時に背中に飛び付いて、鋭い牙で首筋を抉りにくる。


「——むん!」


一体を刀で突き刺して、もう一体を硬い地面に叩き付ける、どちらも苦痛に驚いて情けない声を上げたが、一撃で絶命させるに至ってはいなかった。


私はその場に片膝を着いて姿勢を下げ、低い位置に向かって横薙ぎの一閃を放った。 薄らモヤのかかる視界に写るふたつの命の終わり、無闇やたらと立ち上がることをせず、その状態のまま武器を構え直す。


真っ直ぐ飛びかかってくる者が居た。 私はあえて刀を使うことをせず、僅かに身を躱してやり過ごし、すれ違いざまに肩で木の幹に押し付けて、そのまま一気に力を込めて頭蓋を押し潰し、粉々に砕いた。


飛び掛ってきた獣の背後に隠れて別な者が突っ込んできた。 血に濡れた獰猛な爪を携えて、こちらの喉笛を掻き切ろうとギラついた目を向けてくる。


刀を反対の手に持ち替えて、今しがた殺したばかりの同胞の体を捕まえて、襲いかかってきたそいつ目掛けぶん投げる。 ドンッ!という衝突音がして、敵は仲間の死骸に押し潰されて動けなくなった。


私はまるで斧を振り下ろすかのように、重しをどかそうともがく獣の首にストン、と刃を落とした。

それきりそいつは静かになり、もう鳴くことは無い


直近の脅威は感じられないと立ち上がろうとしたところ、足にツタが絡まっていることに気が付いた、警戒して動いてはいたが防ぐことが出来なかった。


そういえば先程足元で息を潜めていた一匹の獣、私が動けなくなった地点と倒した場所が妙に近い、さては気付かれぬ間に何か細工を施しておったのか。


——ザッ!


四方から計五体、取り囲むような陣形を組み、現状での完全回避が難しい攻撃がやってくる。 前方の三体は何とか切り捨てた、しかし背後と斜め後ろの二体には、体勢の関係で攻撃が間に合わなかった。


苦肉の策として体を揺らし、狙いを僅かに逸らす。 奴らはそれぞれ肩と腿に牙を突き立てた、奥歯を噛みながら、私は直ぐに足に絡まっているツタを切断し、ゴロゴロと床を転がった。 


飛び出した岩で腹を切った、木の幹に頭をぶつけて血が流れる、しかしそれと同時に噛み付いていた彼ら自身も、同様の痛手を負って噛む力が緩んだ。


その好機を見逃さず、肩に組み付いた獣を引き剥がし、空中に放り出すと共に胴体を切断。 


未だ腿に牙を突き立て続ける邪魔者についても、膝蹴りの要領で岩に叩きつけて内臓を破裂させる、そして怯んだところへ剣を振り、首を落として殺害。


不意打ちを狙って飛び込んできた一体を刀の柄で殴り飛ばし、返す刀で後ろの一体を切り捨てる。 足首に嫌な気配を覚え、ひょいと躱した所に獲物が突っ込んできた、そこへ足を降ろして踏み殺す。


——ドンッ!


何体か纏めての体当たり、加速を付けて放たれたそれは、恵まれた体躯によって威力を倍増させ、私を吹き飛ばすには余りある膂力を秘めていた!


咄嗟に片手で頭を庇って受身を取る、その時に小指の骨が折れたようだが気にしてる暇は無い、起き上がると同時に刀を構えて迎撃の姿勢を取る。


——ガウガウッ!


獣が私の刀へ飛びついた、振り払おうと動いた所へ更にもう一撃体当たりを叩き込まれ少しよろける、その拍子に刀を奪われそうになるものの、なんとか持ち直して続けざまに三体を切り捨てる。


今の体当たり、当たりどころが少々よくなかったようで視界がぼやけている、手の腹でこめかみを叩いて調子を取り戻そうと画策するも効果は無い。


だんだん怪我が増えてきた、このまま続けばいずれ限界が来るのはこちらだろう、だが逃げるという選択肢は存在しない、ひたすら耐えるしかないのだ。


肩や足の傷は決して浅くは無い、肉はボロボロで骨や神経まで痛めている、刀を握る手は血まみれで、持ち手が滑らぬよう気を配るのがひと苦労だ。


呼吸もだんだん荒くなってきた、このまま戦っていてもそう遠くない内に力尽きるのは明白だ、ならば同じ戦い方を続けていても意味は無いだろう。


「……すぅ」


見えない目を閉じて精神統一、一切の雑念、一切の雑音を排除して心を透明にする、痛みも恐れも戦闘における高揚感さえも捨て去って、一本の剣と成す


——ガサ


相手の動き出しを捉えて斬撃を叩き込む。 前足を僅かに前へ踏み出しただけの隙を突かれた獣では、突然の不意打ちにどうすることも出来ず絶命した。


——ザザ


それに驚いて距離を取ろうとした二体についても、同様の足運びと太刀筋によってひと息に切り捨てる

『心眼』とまでは行かないが、それに近い技術だ。


先の先のさきを捉える、脳内から全身に神経伝達が成される前に動いて切り殺す、まだまだ未完成なこの技は、ある限定的な状況下でのみ効力を発揮する、それはすなわち相手に『油断』がある時だ。


互いに間合いを図って見合っている状態の時、相手がこちらの倒れる姿を思い浮かべたその瞬間に生じる僅かな気の緩み、ほんの小さな


——カサ


宙に舞う獣の首、初めは大軍だった敵の群れも、今や数を減らして穴が目立つ。 故にこそ野生の生存本能が、彼らの狩りを慎重なモノとするあまり、常に動き続けていた足を止めてしまった。


綻び。


敵は一歩も動けずにいた、何故ならそれが自分の死である事が分かっているからだ、死ぬとわかっていてそこへ飛び込める者は、人でなく、たとえ野生の獣であろうとも、そう居るものでは無いのだ。


もし居たとしても、ほれ。


そういった勇敢な心を持つ者から死んでいく、恐怖に負けぬ強い心を持った強い個体から順に頭数を減らされて、目減りしていくは強者の姿形。


——後ずさる。


獣たちが後ずさり、少しづつ私の間合いから出ていく。 それを追いはしない、余裕綽々に動いてはいるがこちらも既に限界が近いのだ、あまり追い詰めすぎると奴らは死に物狂いで私を殺そうとする。


そうなってはおしまいだ、だからどうかこのまま森の奥深くへと消えていってはくれまいか、などと邪なことを考えつつも構えを解くことはしない。


最後の最後、しつこいくらい待った最後の瞬間まで、私は片時も気を緩めることなくその場に立ち、飛びそうな意識の手綱をしっかり握って耐えきった


やがて


森に入った時から感じていた嫌な気配が消え、私は本当の意味での自由が訪れたということを悟った。


「……」


とりあえず脅威は去った、しかし問題はむしろ敵よりも自分が負った怪我の方にある。 


このまま傷を放って出血が続けば体力が削られていくだろうし、全身から美味しそうな血を垂れ流して歩く手負いの人間など、杜に救う者共からすれば餌でしかない。


幸い治療道具は持ってきている、長旅をするなら何より食料と怪我への対処は不可欠だからだ。 


本当は安全な場所に行ってからゆっくり処置を施したいが、後どれくらいで森を抜けるのかが分からないし、それまでにまた襲われないとも限らない。


……それは今ここで着手したとしても同じだが、時間が経ってから手遅れでしたなんて間抜けな結果にはなりたくない、やるなら早いうちの方が良い。


ドサッと倒れ込むように膝を着き、大きく息を吐く、そして傷口に触れてしかめっ面をした後、風呂敷から酒を取りだしてそこへ勢いよくぶっかけた。


「くぁ〜〜〜〜っっっ!!」


戦っていた時に感じた痛みの何倍もの刺激に、どこかへ飛んでいきそうだった意識がハッキリとする、袖の中から紙を取り出して、刀に付着した血肉を拭き取って、いつでも使えるようにだけしておく。


木を背にして座り込み針と糸を引っ張り出す。


ぐびぐびと酒を飲み、酔いで痛みをやわらげてから行われる手術は想像を絶する苦痛が伴い、涙目になりながら消毒と止血、そして縫合を行っていく。


折れたであろう小指には、そこらの木の枝を削って添え木とし、待ち合わせの布を巻き付け固定、布には薬を染み込ませておき、腫れや痛みの悪化を防ぐ。


傷口には包帯を巻いておき、感染症の危険を軽減して怪我の処置を終えた。 使った荷物を纏めて風呂敷に戻し、痛む体を起こして立ち上がる。


「こんな、森さっさと抜けてしまいたいのう……」


そしてぶつくさと文句を言いながら、惜しみながら酒の瓶の蓋を閉めて、ひょいとしまって歩き出す。


進行方向については

無論把握しているのだった……。


✱✱✱✱ ✱✱✱✱ ✱✱✱✱ ✱✱✱✱ ✱✱✱✱ ✱✱✱✱


「ここがそうであるのか」


私は寂れた村の入口に立って、首を傾げて腕を組んでいた。 よもやこんな所に英雄が住んでいる等と誰が思おうか、ここに住む英雄ヨハネス=リーリアは身分を隠して暮らしているのだという。


「此度は骨が折れそうだのう……」


何故なら彼は、戦場で一兵士であった時も、英雄として名を馳せた後でも常に顔を隠して戦ってきたからだ。 私は奴の顔を知らぬ、調べられなかった。


まずはそこから解決しなくてはなるまい。 私は軽い足取りで村の中へと踏み込んでいくのであった。

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