真実の記録


——世界は今、大戦下にある。


元々国同士での小競り合いが多い世の中だったが、長い年月をかけて蓄積した異民族への不満が爆発。


それに伴って領土や資源、信仰の自由など様々な権利の主張が各地から聞こえ始め、事態は収拾不可能なまでに悪化、直ちに戦火が上がる事となった。


市街地の爆撃、民間人への被害、我が身可愛さによる富裕層の売国行為にデマの拡散、長引いた戦いと今更引っ込みが付けられない各国のお偉方。


そして世界情勢の不安定さは

人々の心に深い深い闇を抱かせた。


自警団による証拠のない味方への嫌疑に処刑、異民族への迫害行為、敵意に敏感になりすぎた者が引き起こす残虐な自己防衛に、横行する水や食料の略奪


明確な敵が存在する戦場の方がマシだと言わしめるほどに地獄と化した国内の状況、戦争に勝つ前に国が滅ぶことを懸念した各国首脳は、非公式な会合を開いた。


乱れに乱れた人心をどのようにして癒すのか、三日三晩行われた話し合いの末、出された結論は『偶像崇拝』すなわち戦いを終結させる救世の英雄を打ち立てることであった。


`戦争`という恐ろしい現実から目を逸らさせ、ありもしない終戦を作り出し、国民へ偽りの平和と安心感を与えて安定を図ろういう計画だ。


当時の彼らには、そんな荒唐無稽な考えを現実の物とするに足る力と、実際に英雄として祭り上げるに相応しい者たちに心当たりがあったのだ。


戦時中、各国で名を轟かせていた人外の兵士達、常識で図ることが不可能な程の力を秘めた戦場の鬼、政府は極秘裏に彼らへ接触し、こう通達した。


『英雄となれ』


自分たちが敵から家族や大切な人を守る傍らで、他ならぬ味方の手によってそれが脅かされている現実を知っていた彼らはそれを承諾、己の力を存分に振るって、この地獄のような戦いを『終結』させた。


人々は驚く程すんなりとそれを信じた、救いのない絶望の中に取り残された彼らにとっては、正しく降って湧いた希望、飛びつくしかない奇跡だった。


かくして世界は平和を取り戻し、国民は自分たちを救ってくれた『英雄様』たちの象を自主的に作って神の如くあがめ、皆でにこにこ笑って暮らしている


飢えに苦しむ子供や、血反吐を吐いて助けを乞う敗残兵、不治の病に罹って死にたくないと泣き叫ぶ病人などといった『非日常』から目を背け


死や争いといった不安要素を暮らしから排除し、助かる命も助けず、死者への哀れみもなく、自分で自分を騙して生きる今の世の中となったのだ。


戦いは今尚続いている、死者は毎日絶えることなく出ている、道端に転がる残酷な現状をみるがいい、そこに何が見える?誰が死んで誰が苦しんでいる?


今こそ思い出す時だ。


九人の英雄は英雄などでは無い、大戦は終結していない、世界は大きな真実を覆い隠しているのだ……


『——世界が患った夢の真実』


✱✱✱✱ ✱✱✱✱ ✱✱✱✱ ✱✱✱✱ ✱✱✱✱ ✱✱✱✱


——コト


そこまで書いて筆を置く、岩を切り出して作った天然の机に黒い染みが広がる、コロコロと転がっていかないよう小石を台に滑り止めを図っておく。


紙の上部には重しが載せられており、右端から左端までびっしりと文字が刻まれている、書かれた文字の美しさたるや目を見張るほどだと自負している。


「……それに反して、内容の悪辣なることよ」


自らが書き記した真実の記録、そのあまりの内容の酷さに思わず苦笑いが零れる、出来ることなら焼き払ってしまいたいという衝動に駆られてもいる。


気持ちを切り替える為に周囲を見渡す。


夕暮れ時の荒野は燃えるように赤く、快適に過ごすには潤いが足りないものの、邪魔な物が存在しない空間は書き物に集中するのにうってつけであった。


陰鬱とした気分が少し晴れるのを感じた、大自然の持つ力は時に優秀な精神安定剤ともなりうるのだ。


「全てが終わった暁には、これを世間にばら蒔いてやるつもりでおったのだが、こうして文字に起こしてみると、より一層おぞましさが際立って見えるのう」


私の目的は英雄の排除、そして国民の目を醒させることにある。 いくら辛く苦しい現実であっても、ここまでの幻想を作り上げるのは許されない。


いずれ大衆の目に触れさせる予定のモノなので、伝えたいことが正しく書かれているかの確認作業を行う。 表現次第で事実はどのようにも捻じ曲がるからのう、言葉遣いには気を付けなくてはならぬ。


とはいえ


「ふぅむ、ここから如何に綴るべきか……」


用紙を眺めて物思いに耽ける。


迷っているのはここに自分の事を書くかどうかだ、別に民衆からの弾劾を恐れている訳では無い、単純に自分のことを話す自信がまったく無いのだ。


書き手の身分を明らかにすることで、記された内容に現実味が帯びる事は分かっている、しかし私は私自身の事をどう扱うかで途方に暮れていた。


目を瞑り、膝の上に置いた刀の鍔を指でなぞって、何かいい案が浮かびはしないかと考え込み、そうしてしばらくたったのち、このように結論付けた。


「……いや、よそう、行き詰まった時無理に筆を進めたところで良いものは書けぬ、またの機会にしよう」


筆に染み込んだ墨を紙に吸い取らせ、毛先を整えて紙で包む、硯の中の余った墨汁を容器へと戻し、紙と一緒に道具を纏めて風呂敷の中に仕舞い込んだ。


刀紐を腰に括り付け、岩に立て掛けておいた笠を被り直し、風呂敷を体に結んで立ち上がる、衣の裾を整えて土埃を払い、片手に水を持って歩き出す。


こんなに落ち着いて歩けるのは今が最後かもしれない、何故ならこの先に待ち受けているのはどれも、旅慣れた者ですら通ることがない危険地域だからだ


ここからは一瞬の油断が命取りとなろう


最初の関門になるのはあの`人隠しの森`と悪名高い霧の密林、目指すは森を超えた先にある小さな村、そこに第二の標的が居る、私が斬るべき悪がそこに


珍しく酔いの回っていない足元はがっしりと地面を捕まえて離さず、これから先歩む茨の道に対しての心構えを表しているようであった。


これは自業自得を精算するための旅、助けてくれる相手も理解してくれる者も居ない、単なる自己満足と断じられても何の反論も出来はしない。


「なんせ長い道のりだ、せいぜい躓かぬ程度に急ごうではないか、でなければ先に餓死するのは私の方だ」


荒野の道のりはもう少しだけ続くようだった。


✱✱✱✱ ✱✱✱✱ ✱✱✱✱ ✱✱✱✱ ✱✱✱✱ ✱✱✱✱


——霧の密林。


一寸先も見通せぬ程濃い霧が立ち込めるこの森は、非常に背の高い木が日光の射し込む隙間がないだけ密集して生えており、辺りは薄暗く見通しが悪い。


波打つように広がる木の根っこのおかげで、足場はまさしく最悪と言って差し支えなく、うっかり気を抜くとつま先を引っ掛けて転びかねない。


おまけに


「……片時も油断はできぬようだの」


森に入ったあたりから、どうも何かに見られている節がある。 この森に住む獣のものだろうが、如何せん嫌な気配を漂わせている、隙を見せたら嬉々として襲いかかってくる類の獰猛な気配だ。


刀は既に抜き身のまま両手に握られており、注意深く周囲を警戒しながらそっと前へ足を忍ばせる、体の前に構えた刀で進行方向を確認し、刃に当たる木や葉っぱの感覚で障害物を認識する。


次に踏み出す地面がどのような状態にあるのか判別することもままならない視界の悪さの中、自分がどちらから来てどっちに向かっているのかを忘れないよう木や地面に印を付ける事を欠かさない。


このような時、人間の方向感覚はあまり当てにならないということを私は知っている。 真っ直ぐ進んでいると自分では思っていても、いつの間にか進行方向が歪んで同じ場所をグルグルと回るようなことも起きうるのだ。


持参した方位磁針は濃い霧のおかげで確認が難しく、また針の挙動が怪しく安定しないのであまり頼ってはいない、自分の力だけで乗り切るしかない。


後ろ足を持ち上げて、あまり浮かさず擦るように、決して焦らずゆっくり前へ踏み出す、一気に体重を掛けることをせず、確実にそこが信頼出来る足場であることを確かめた上で、少しづつ重心を乗せていく。


森の奥からは得体の知れぬの恐ろしげな唸り声が響いている、それはまるで四方八方を取り囲まれたかのようにこだまを初め、私の心を乱そうと揺さぶりを掛けてくる。


「人狩りに慣れておる、時間をたっぷり使って恐怖を煽り、肉体的にも精神的にも参った所を襲うつもりであろう、しかしそうはさせぬぞ」


剣士の集中力を舐めるでないわ、こちらは常に戦場にあるつもりで生きる事を己に貸している身だ、そう易々と削られてなるものか。 こんな所で獣に遅れを取るようでは、英雄斬りなど到底果たせまい。


刀を持つ手に不要な力を込めず、やんわりと曲げた膝はいつでも行動を起こせるよう準備段階にある、恐怖心に呑まれて走り出したり、足が竦んで止まってしまうような下手は打たない、慎重を欠かさない。


「……む」


そうして歩みを続けてしばらく経った頃、私の耳が異変を察知した、何やら距離を詰めてくる沢山の生き物の気配がする。 とても、とても数が多い様だ


「連中、どうやら痺れを切らしたようだの」


中々尻尾を出さない獲物に耐えかねて、奴らはどうやら『仕留める』という判断に踏み切ったらしい、数えるのも嫌になる程の数の気配が一気に行動を開始する、周囲をグルっと取り囲むように動いている


「……フーー」


高まる緊張感に額から冷や汗が垂れる、心臓の鼓動が早鐘を打っているのが分かる、神経が必要以上に研ぎ澄まされて敏感になっている、身体が自動的に脅威を感じて戦闘態勢に入っているのだ。


ここで戦闘になるのはマズイ


方向感覚を失って迷う原因にもなり得るし、あまり派手な立ち回りをすれば、順路を外れしまってそれこそ一巻の終わりとなりかねない。


森を刺激して更なる脅威を呼び寄せるのも怖い、出来ることなら戦闘を回避したいが、どうやらそれも叶いそうもない。 


自分たちの縄張りにノコノコやってきた新鮮な肉を諦めるほど、彼らは温厚でも腹が満たされている訳でもないようで、包囲網は今なお収縮を続けている


る気だ。


こうなることは初めから分かっていた、何事も無く森を抜けられるなどと淡い期待を抱いていた訳でもなし、コレが避けられぬ事だとも理解している。


殺るしかない。


虫の鳴く声が止まった、風の吹く音すら聞こえぬ、前後左右恐ろしく穏やかで、まるで川のほとりに椅子を立て掛けて、目を瞑り静かにしているよう。


——暗い霧の向こうに浮かぶ赤いまなこ


それはひとつ、またひとつと数を増していき、私の周囲全てを余すことなく取り囲んで閉鎖した、もはや逃げ場は何処にもなく、私に待ち受ける運命は、肉と骨となって散らばり朽ち果てる末路かあるいは


「……さぁさぁ、美味しい肉が此処に居るぞ、いつでもかかってくるがいい、ヨダレを垂らしてご馳走にありつくがいい、それがお主らの最期となろう……」


しばしの沈黙が続いて。


やがて背後で、獣の唸り声がした。


——それと同時に行われる獣の跳躍!


から迫る脅威の気配!私の意識を逸らした隙を狩り取ろうという狡猾さ、獲物を仕留める殺しの極意である。


視覚には頼らない!信じられるのは己の感覚のみ!私は可能な限り最小の動きで反応し、刀を振った。


——サク


斜線上に通された刃は、確かな肉を切り裂く感覚を手のひらに伝え、人間のものとは違う濃密な獸血の香りを漂わせ外敵の迎撃に成功した事を告げた。


途端!仲間の死に呼応するように始まる耳をつんざく咆哮!そこに篭められたのは殺意、害意、食欲!開戦を告げる狼煙が打ち上がり、暗い森は直ちに、獲物を食い殺す憎しみの狩場へと変貌を遂げたッ!


敵数不明、逃げ場ナシ、殺るか殺られるかの二者択一、この場で取れる行動はただひとつ、戦う事だけ


「——いざ参る!」


今宵、私は森を相手取ることとなった……。

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