ミウ村へようこそ!
村の中に踏み込んだ私に向けられたのは奇異な目であった。
遠巻きからこちらの様子を伺う彼らから感じられるのは、拒絶や恐怖と言うよりは単純な疑問であるようだ『いったい何の用だろう』と。
むしろ警戒しているのはこちらの方だ、なにせここから見える村人の誰かが私の標的であるかもしれないのだから、気を抜けという方が無理な相談だ。
どこから攻めたものかと考えていると、村人たちの中から杖をついた老人が、こちらに向かってひとりで歩いてきた。
彼はそばに来ると共に、私の左手の小指に添え木がなされていることや、頭に包帯が巻かれていることに気が付いて一瞬ぎょっと表情を見せたが、直ぐに平静を取り戻してこのように言った。
「異邦のお方、いかなる用で御座いましょうか」
品格のある丁寧な所作、見た目から推測できる年齢の割にがっしりとした体格、そこから放たれる恐らく若い頃から微塵も衰えてないであろう眼光。
ただ普通に歩いているように見えて一切の重心のブレが発生していない、明らかに武道の心得がある、まさか彼が英雄ヨハネスなのではあるまいな?
そんな内面はおくびにも出さず、老人の問に当たり障りのない答えを返していく。
「突然の来訪すまぬなぁ、少々長旅の途中なのだが、ほれ見ての通り獣にやられてしまってのう、応急処置はしたのだが如何せん血も休息も足りぬのだよ」
要点を話さずに事実だけを述べる、体調が優れないのも怪我をしたのも本当のことであるので、疑われることは無いはずだ、たとえこの男が目標の人物であったのだとしても、現段階で断定は出来まい。
突っ込まれるとすれば
「獣……というと、よもや霧の密林を抜けて来られたのですか?それはそれは……よくご無事でしたね、村の者もあそこには近寄らないと言うのに」
ただ言葉通り不思議に思っているようにも見えるし、私の素性を不審に思って探りを入れてきているようにも見える、年の功か、中々底の見えぬ男よの
慎重に言葉を選びながら答えていく。
「仕方がなかったのだ。 私とて出来ることなら迂回したい区域であった、しかし先を急ぐ身ゆえ遠回りをする訳にもいかず、危険を承知で踏み込むしか道がなかったのだ。 その結果がコレでは目も当てられぬ」
そう言って自嘲気味に笑う私に、労るような視線が向けられる。 彼は優しく微笑みながらこう言った
「命があるだけ儲けもので御座いましょう、あそこは伊達に『人隠しの森』などと呼ばれている訳でないですし、こうして姿形が有るのは実に幸運な事です」
「そのように言って頂けると、この未熟者も少しは救われるというものだ、いやはやお恥ずかしい限りよ」
一呼吸置いて、私は話の核心へと迫った。
「ひいては何処か気力を養える場所の提供をお願いしたくて参ったのだ。 もちろんタダでとは言わぬ、外から来てなんとも厚かましくも図々しい頼みだとは思うが、どうだろう、助けては貰えぬだろうか?」
ここまでのやり取りで、私に疑いの目を向ける余地はなかったはずだ。 彼が私の探している人物であり、私の素性について予め知っていて、目的にまで考えが及んでいない限り、受け入れられるはずだ。
若干の間があり、彼はにっこり笑ってこう言った。
「もちろんで御座います。 私共もいくら身内でないとはいえ、手負いのお方を放り出すほど愚かではありません、どうぞ我が村でお休みになって下さい。
私はこの村の長を務めております、シド=アーシェスと申す者です。 ミウ村へようこそ、歓迎致します」
右手が差し出される。
「私はキリアという者だ、よき出会いに」
そう適当に考えた偽の名を答えて、差し出された手を握り返す。
手のひらの中に感じるボコボコとした感触は、随分長いこと剣を握っていた事実を示す証拠であり、私の中で彼に対する疑いの気持ちが更に濃くなった。
他にどんな人間が住んでいるにしろ、この男の動向には常に気を配る必要があるでろう、くれぐれも慎重に、寝てる間に闇討ちを食らう様な下手を打たないように気を付けなくては。
『気力を養う』などと、そのように落ち着ける暇はこの村では恐らく無いだろう。 怪我が治るまでの間に敵が誰であるのかを探り当て、可能ならば不意打ちを狙い、無理そうなら一旦引いて機会を伺う。
「では、まずは空き家にご案内しますね」
「よろしく頼むよ」
老人は踵を返し、杖を支えにしながら歩き出した。
私は後ろをついて行き、遠くの方からこちらの様子を気にしている村人たちに手を振って笑い掛ける、まずは彼らの警戒心を解く所から始めなくてはの。
こうして私はミウ村に滞在する事となったのであった。
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「——よくこれで問題なく歩けていましたね?」
シドから治療を任された村医者が、私の状態を診て開口一番そう言った。 彼はこの世ならざるものでも見たかのように、目を白黒とさせて驚いていた。
「頑丈さだけが取り柄なのだよ」
と、笑って答える。
「常人であれば痛みで気を失っているはずです、こんな状態でよくも平静を保っていられますね、長いこと医者を続けていますがこれには驚きです」
「いや本当に驚いた」などと独りごとを言いながら、テキパキと手際よく処置を施していく。 いくら自分で治療が出来るとはいえ私は本職ではないので、素人の身では手の行き届かない場所も多い。
治療を続けてもらいながら、世間話程度にこの村の情報を聞き出しておく。 他愛の無い、誰と誰の仲がいいとか最近の畑の収穫状況とか村長の話とか、不審に思われない範囲で情報収集に務める。
こういった場合は何が役に立つか分からない、戦いにおいて情報は最重要と言っても差し支えがない、だからなるべく手当たり次第に無差別に仕入れる。
特に気になったのは村長の話だ、彼はしきりにシド=アーシェスは素晴らしい人だと褒めたたえていた、一体どれだけ彼が慕われているのか私に力説した。
やがて治療が終わった。
今はいつも羽織っている衣を脱いでおり、この旅が始まって以来一度も外気に晒してこなかった着物の状態であった。
はだけた衣類を戻しながら医者の言葉を聞く。
「では日に2回、包帯をあたらしく取り替えて下さいね、お薬も処方しておきますのでこちらは朝昼夜、食後に水で服用してください、分かっているとは思いますがくれぐれも安静に。 では何かあればまた」
「どうもありがとう」
最後に「お大事に」とだけ言い残し、彼は建物から出ていった。
誰もいなくなった部屋の中でひとり呟く。
「思いのほか好待遇であったのう……」
私に与えられた家屋は思いのほか綺麗な場所だった。 長いこと使われていないと聞いた割には整備が行き届いていて、まるで以前からこういった事に備えていたかのよう。
食事もどうやら作ってくれるとの事で、布団や飲水の供給の果までも、余所者に対する処遇としてはこれ以上ないほどに恵まれていた。
「刀も取り上げられなんだ」
笠と共に傍らへ寝かせて置いてある武器を見下ろす。
村長も医者も他の村人も、私が武装している事については全く触れてこなかった。 信用されていると見るべきか、あるいは『そもそも心配していない』かだ。
仮にも危険な地域を抜けてやってきた怪しい女を、いくら怪我をしているからと言ってそう簡単に受け入れるほど、人の心は寛容でない事をこの私はよーく知っている。
にも関わらず
武器は取り上げられず、監視が付けられている気配も無く、迫害の意志を感じることもない。 平和という名の夢に侵されているとはいえあまりに無防備、無警戒過ぎると違和感を覚えるのは当然のこと。
しかし私には心当たりがある。
「人間がそういった考え方になるのは誰か頼れる人物が身近にいる時だ。
絶対的な安心感を与えてくれる者、`たとえ何かが起きても何とかしてくれる`そう確信できるだけの信頼と実績を積み重ねた者がこの中にいるのであろう」
英雄として人々の支持を得て、信頼されて崇められてきたこのアマカセムツギには確信があった。 人間の持つ信じる力、寄りかかって盲目になる愚かさを知る私にとっては馴染み深い心理であった。
現状私が知る中で、それに値する人物はただひとり
この村の長であるシド=アーシェスしか居ない、すなわち彼こそが私の探していた人物——
「……と、結論付けるのは些か安直か」
床に両手をついて体を浮かせ正座の形を取る
「あいたたた……」
苦痛に顔を歪ませながら、足元に置いた刀を持ち上げ膝の上に載せる。
「何はともあれ、まずはこの`なまくら刀`の手入れをしてやらなくてはの。 イザという時に言うことを聞いてくれず、討ち死になどという末路は御免被る」
手を伸ばして風呂敷を引っ張り込み、結び目を解いて中から道具を取り出す。 ひとつひとつ丁寧に並べて大きく息を吐き、気持ちを落ち着かせる。
私は人を斬った。
私は獣を斬った。
その事を深く心に刻み付ける。
この手で葬った命は、たとえ生前どのような在り方をしていたとしても例外なく尊く価値のある物だ、故に我々剣士は覚えておく必要がある、自らが乱した自然の
私にとって、それを忘れない為の儀式が刀の手入れであるのだ。
——精神統一
柄と鞘の根元部分を刃が上になるようにしっかりと握り、鯉口を切る。 鞘の根元を握り、膝で支えながら柄を手元へ引く。
初めに小さな金属製の槌を手に取った。
柄の根元にある小さな出っ張りに押し当て窪ませる、金属製の槌をひっくり返して窪みに差し込み、中に入ってる細い釘を引き抜く。
柄の下の部分を握って刀を斜めにし、柄を握った手の手首を叩く。反動で刀身が柄から浮くので取り外し、
布で刀身を挟み、古い油を拭き取る。
棒の先端に砥石の粉末が詰まった布を取り付けた物を取り、根元から刃先に向かってぽんぽんと叩く。
刀をもう一度拭い、油を染み込ませた布で刀身を挟み、薄く引き伸ばすように塗り込んでいく。
使い終わった道具を始末し、
先程外した釘を穴の中に差し込んで、刃を上に鞘へ納刀する。
「……」
床の上に刀を置き
膝の上に手を着いて目を閉じる、殺めた者たちの顔や死に際の言葉、素性に斬った時の感触を思い出して深いお辞儀をする、体を起こして目を開ける。
そうして床の一点を見つめたまま家の外に居る何者かに声を掛けた。
「なにか私に用でもあるのかね」
ハッと息を飲む気配があり、しばらく葛藤のような沈黙が続いたあと、意を決したように扉が開いた。
それを見ながら刀に手をかける、すぐに立ち上がれるように足の位置を調節して万一に備える。
場合によっては——
ガララ。
遠慮がちに開けられた扉の向こうから姿を現したのは、面の良いひとりの若い男であった。
「な……」
ゴトッ……手に掴んでいた刀が床に落ちる、そして怪我でボロボロな少し動くだけでも痛いはずの体で思いっきり身を乗り出し、床にだんっ!と手をついてこう叫んだ。
「何をしておる、さっさと入って来るのだ!」
「は、はい……っ!?」
私、アマカセムツギは、若く面の良い男に目がなかった……。
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