魔法の代償

七沢ななせ

魔法の代償

 ある美しい人魚が、人間の男に恋をした。人間と結ばれることは無理だとわかっていたが、男が恋しくて夜も眠れぬほどだった。寝ても覚めてもあの男の横顔が頭に浮かび、何をするにも夢うつつというありさまだった。


(私も人間だったら、あの人のところへ行けるのに)


 人魚は毎日のように、己の下半身を眺めてはため息をついた。

 きらきらと光るうろこ。水を掻く尾ひれは大きく、水になびいている。彼の持つ白く美しい脚とは似ても似つかない。


 ほかの人魚たちは、男をあきらめさせるためにこんな話をした。


「昔もお前と同じように、人間に恋をした人魚がいた。その人魚は『深海の魔女』の所を訪ね、美しい声と引き換えに、人間の足をもらった。『深海の魔女』は、姿が醜いためか、美しいものが好きなのだ。足をもらった人魚は、陸に上がり男のもとを訪ねたが、声が出ないため話すことも出来ずに男はほかの女と結婚してしまった。それに絶望した人魚はナイフで喉を搔ききって死んでしまった……。我々はお前にそんな風になってほしくないのだよ」


 その話を聞いても、人魚はあきらめなかった。


 その人魚は、何も考えずに声を渡してしまったからいけないのだ。後先を考えずに取引してしまったから。自分なら、うまくやれる。


「絶対に叶えてみせるんだから」


 人魚は海に沈む沈没船の中にあった本を読みあさった。声を取られてしまっても、文字で伝えればいいと考えたのだ。


 数ヶ月経って、人魚はほとんどの文字を覚えた。そして『深海の魔女』が住むという噂の洞窟を訪ねた。


 魔女は、洞窟の奥の方に鎮座していた。真っ黒なマントに身を包み、隙間から飛び出している深い紫の髪が揺らめいていた。


 蛇のようにするどい目に、曲がった大きな鼻。魚の下半身の代わりに、とぐろをまくウミヘビの身体がついていた。お世辞にも美しいとは言えない姿だったが、人魚は怖がらずに近づいた。


「……何のようだい」

 魔女がしゃがれた声で言う。

「あなた様に足をいただきに来たのです」

 人魚が恐る恐る言うと、魔女は鼻で笑った。

「フン。昔にも足がほしいなんて言う愚か者がいたねぇ。まったく、人魚の姿が一番いいってことに気が付かないのかね」

「私の心は決まっています」

 人魚が真剣なまなざしで魔女を見つめると、魔女はしばらく黙り込んだ。


「……分かったよ。魔法には代償が必要だって言うことは知っているね。この魔法の代償に、私はお前の美しいそれをもらう」

 そう言って魔女は人魚の喉元を指さした。

(それ……。きっと声のことね)


 思ったとおりだ。声を差し出せばいい。大丈夫。私は成功した。


「わかりました」


 こうして人魚は、人間の足を手に入れた。


 人魚は、自分の姿を見て驚愕した。になった人魚は、いや、人魚だったものは、泳ぐことも出来ずに海の底へ沈んでいった。


「いい気味だねぇ。きれいな足をもらう代わりに、半魚人の姿になるなんて。あの人魚は代償に声を奪われると思ったようだが、声なんてものはもうごまんとある。飽きちまったよ。さぁて、いつ見てもこのは美しいねぇ」


 魔女は、新しく手に入れた美しいコレクションを額に入れ、うっとりとみつめた。

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