第1話双子の冒険者

双子の兄が死んだので、私物を引き取って未納の家賃を払ってほしいと大家から手紙が届いた。私が列車を乗り継いで、時計の都市にやってきた理由はそれだった。


 故郷に残した母が先月死んだので、私は立て続けに家族を二人失ったことになる。もっとも十八歳で実家を離れた時から兄とも母とも会ってはいないので、彼らが死んだという実感はあまりない。


 そのため、兄の死の報告を聞いた私が最初に抱いたのは『悲しみ』の感情ではない。


『もったいないな』と思った。


 母が死んで、ようやく償いが終わったと言うのに一か月足らずで死んでしまうだなんて。


 私が降り立った時計の都市は、その名の通り都市の中央に巨大な時計台がある。この国の有数の巨大な都市であり、私が生活していた都市よりも人や店などが多い。


 そんな賑やかな都市に対して、空はいつでも曇り模様だ。急増する工場の排気が原因だというが、学のない私には詳しいことは分からない。


 ふと、裏道に目を向ける。


 そこでは、浮浪者や孤児たちが日光を避けるように潜んでいた。市民は下流、中流、上流に分かれているが、浮浪者や孤児はそのどこにも属していた。下流にも劣る彼らはゴミを漁り、ときには物乞いをして生活をしている。 


 私が住んでいた都市でもそうだが、あのような人間たちはどこにでもいる。借金で首が回らなくなったり、怪我をしては働けなくなったり、親に捨てられたり、と様々な要因で浮浪者は増えていくのだ。 


 地図を見ながら歩き、私は兄が住んでいたというアパートにようやくたどり着いた。下流の市民が住まう地区にアパートは建っており、今まで歩いてきた場所よりも浮浪者たちの数は多かった。


 治安は良くないようだ。こんな場所にあるアパートなのに、大家は兄は死んだことをよく知らせてくれたものである。普通ならば私物を売り払って、未納の家賃の回収に充てるだけだろう。


 木造のアパートに足を踏み入れるやいなや、住人らしい人間とすれ違ってぎょっとされた。死んだと聞かされた人間と同じ顔が歩いていたら、驚くことは当然である。


 予想の範囲内だったので、驚く住民には構わずにアパートの一階に住んでいる大家を尋ねる。


「初めまして、ラスティの弟のユージニアです」


 大家の部屋を訪ねて、挨拶をすませる。大家は年老いた男で、私の顔を見て吸いかけのタバコを落としそうになった。双子であることは、兄から聞いていなかったらしい。


「蘇ったのか、ラスティ!こんな世の中に未練なんて残さずに、さっさとあの世に行っちまえ!!」


 大家は箒を振り上げて、私の方に向かってきた。弟だと開口一番言ったのに、死人と間違われてしまった。


 大家の早合点に呆れながらも、私は老人が振り回す箒を避ける。大家は執念深く私を追いかけていたので、歳の割には元気な老人だと思った。


 やがて息切れを起こした大家は、なにを思ったのか大の字になって床に転がった。


「分かった、殺せ!殺すんだ、ラスティ!!この老いぼれの命なんてくれてやる。惜しいものなんてあるもんか」


 威勢の良い老人である。


 私は、大家に手を差し出す。その手をまじまじと見つめた大家は、恐れながらも私の手に触れた。肉体があると分かり、大家は言葉を失う。


「生きていたのかよ、ラスティ。このアパートの屋上から飛び降りたはずなのに……」


 私は、ため息をつく。


「そのラスティの双子の弟です。名前は、ユージニア」


 今度は挨拶を聞いてくれたらしく、大家は目を白黒させていた。やがて、私の手を頼りに慎重に立ち上がる。


「兄弟って、双子だったのか。それにしても、ここまでそっくりな顔は初めて見た」


 まじまじと顔を見られていたが、私にとっては慣れたものだ。故郷を出る前は、私たちの顔をじろじろと見ることがよくあった。同じように産まれ、同じような顔に育っていくのが面白かったのだろうか。


「兄の私物を引き取りにきました。あと、家賃の支払いも」


 大家に、簡素な袋を手渡す。そのなかには、手紙で書かれた通りの額の金が入っている。大家は袋から金を取り出して、ゆっくりと額を数えた。


「驚いたな。本当に手紙で書いた通りの額だ」


 踏み倒されるか値切られるかと思っていたのに、と大家は言う。


「兄が面倒をかけたんですから、後始末はしますよ。兄弟なんですから」


 大家が「もっと吹っ掛ければよかった」と小さな声で呟いたが、聞いていないことにした。こんなんでも兄がお世話になった人物である。


「ラスティは、二階の一番奥の部屋を使っていた。これは、部屋のカギだ。私物を処分するまで自由に使ってくれ」


 大家からカギを受け取り、私は兄が使っていたという部屋に向かう。古いアパートは、歩くごとに木材が軋む音がした。嵐が来たら飛んで行ってしまうのではないかと思われるほどに老朽化が進んでいる。


「ここが、住んでいた部屋ですか……」


 兄が住んでいた部屋は、簡素なものだった。ベッドに机。それと身の回りのものを入れておくためのタンスが一つ。それだけしかない。


 私物を引き取れと言われたが、引き取るほどの物はない。大家が私に手紙を出したのは、兄の私物を売ったところで家賃の補填はできないと考えたからだろう。


「さてと……」


 私は、旅行鞄を床に置いた。


 兄が使っていたベッドに座り、一息つく。死人が使っていた家具を使うなんてと人によっては思うかもしれないが、兄の死に顔も見ていないのである。死体もすでに共同墓地に埋葬されたという。死んだという実感が沸かない。兄が、この都市で生きていたという実感もない。


 兄は、自ら命を絶った。


 このアパートの屋上から飛び降りたのだという。自殺の理由として考えられることは病らしい。

 

 兄は、少し前から肺を患っていたと聞いた。空気の悪い都市部では珍しいことではないが、一度悪くすれば治療は難しい。それに絶望して、飛び降りたのではないかということだ。


 ありえないことではないのかもしれない。


 誰だって、苦しむのは嫌だ。自殺も苦しいとは思うが、じわじわと殺される病よりは良いと考える人間は多いだろう。


 兄は、世話焼きだった。


 しかし、双子の私にはそれは発揮されず、彼の庇護欲は私たちが育った町の子供たちに向いていた。私たちを育てたのは神父をやっていた叔父だが、彼は私たちに読み書きや計算といったことを教えてくれた。


 その知識を兄は町の子供たちに教えようとしていたのだ。しかし、子供が子供に教えるというのは考える以上に困難が伴った。結局、すぐに挫折した。


 それでも兄は、町の子供たちのためになるようなことを考えた。聖歌を教えたり、叔父のまねごとをして神の教えを説いたりもした。


 町の大人たちは、兄は神父なると思っていただろう。叔父の教えをよく学び、面倒見もよかった兄ならばそのような道もあったかもしれない。


 結局、まったく別の道で生計を立てていたようだが。


「そういえば、あの癖は直ったのでしょうか?」


 私は、タンスの引き戸を開ける。


 よく調べてみれば、上げ底になるような仕掛けが施されていた。幼い頃に読み聞かせられた話の一つに、華々しく都会で活躍する探偵が主人公のものがあった。兄はその探偵に憧れて、宝物を隠すようになってしまった。物語の探偵が同じことをしていたのである。


 それが段々と熱を帯びるようになって、兄は家具に様々な仕掛けを付け足して隠し場所を作るようになってしまった。あのこだわりが、どこから来ていたのかは謎だ。


 子供のころにあれだけ熱中していたのだから、大人になってもやっていると思ったが予想通りだった。だが、出てきたものは予想外のものだ。


 上げ底の仕掛けが付けられたタンスから出てきたのは、ブローチだった。


 独特の黒の石で作られたブローチには女性の横顔が彫られていて、カメオという装飾品なのだろう。宝飾品には疎いので価値は分からないが、隠してあったということは値が張るものなのだろうか。


 それにしても、てっきりあの銀の懐中時計が入っていると思ったのに。兄は、時計をどこにやってしまったのだろうか。母が死んだ報告を聞いて、すぐに売ってしまったのだろうか。


 私はポケットから、小さな銀の懐中時計を取り出す。十八歳で町を出る時に、叔父から貰った餞別である。母が死ぬまで償いは続くが、終われば自由にしていいと言われた。


 私はそれぞれ月の給料から償いとして母に送金し、それは母が死ぬまで続いた。旅立ちの際に言っていた兄の言葉を信じるならば、彼も同じことをしていたはずだ。母の存在を忘れないようにすることも、償いだと叔父には言われた。



「こんにちは!うわぁ、本当にそっくり。幽霊みたい!」


 他人の部屋だというのに、女が勝手に入ってきた。夜が似合う雰囲気の女は、昼から酔っぱらっているようだ。薄いワンピース姿に濃すぎる化粧は、彼女が娼婦である証拠のようなものだった。堅気の女であれば男の部屋に薄着で入り、昼から酔っぱらっていることはない。


「私は、一階に住んでいるナシャよ。同じアパートに入居したんだから仲良くしましょうよ。ちなみに、あなたのお兄さんはお客さんになってくれなかったのよ。ケチでしょう」


 けたけた、とナシャはご機嫌に笑う。足元はおぼつかないし、息もかなり酒臭い。かなりの量の酒を飲んでいることは間違いないだろう。


「私は、ユージニアと言います。あなたは、自分の部屋に帰ってください。かなり酔っているようですから、危ないですよ」


 正論を言ったからなのか、ナシャは頬を膨らませる。顔を近づけて、あっかんべと舌を出した。化粧が濃すぎて気が付かなかったが、ナシャはかなり若い女であるようだ。


 化粧を落とせば、十代後半ぐらいの表情になるだろう。わざとらしく濃い化粧をしているのは、趣味なのだろうか。


 普通ならば、娼婦というのは若ければ若いほど商品価値が高いものだ。わざわざ自分を年嵩に見せるような娼婦はいないと思うのだが。


「まーたく、あんたもラスティもつまらない男よ。こんな絶世の美女を買わないなんてさぁ。金の延べ棒を持ってこい!一晩自由にしてやる!!」


 叫んだと思ったら、ナシャは床に座り込んでしまった。そして、子供のように駄々をこねはじめる。手足をばたばたさせて、もはや手の付けられない駄々っ子だ。


「おさけぇ。お酒が欲しいよぉ……」


 とうとう泣き出したので、私は大家の部屋に逆戻りした。ナシャの部屋を聞いて来ようと思ったのだ。

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