第8話裏社会の冒険者

フジミは、私から離れた。


「今すぐ飯を飲み込んで、こっちに来い」


 ラスティのことを知っているのかと尋ねる前に、フジミは私が持っているフッシュアンドチップスを指さした。

 高圧的な態度だった。人に命令することに慣れた様子と身にまとっている衣類の上等さから、彼が人の上に立つ人間であることがうかがえる。


 隣のシズクを見れば、すっぱいはずのビネガーまみれのフッシュアンドチップスを一口で飲み込んでいた。シズクは、フジミについて行く気であるらしい。裏組織の人間だというが、シズクの親類だというのならば信用できる人物なのかもしれない。


「……ユージニア。さっき説明したとおり、フジミは裏組織の人間だ。こいつに関しては、手を出したくなければ手伝わなくていい。ラスティは、こいつとは馬が合わなかったしな」


 穏やかな気性の兄が苦手だったというのは珍しい。そして、裏組織に属する子供を放っておくのもおかしいと思った。兄の性格からいって、フジミの更生させようとするはずだと思うのだが。


「ついていきますよ。まだ、話が飲み込めていないところもあるので」


 なにより、兄の行動が腑に落ちない。


 兄と不仲だったせいなのかフジミは、如実に嫌そうな顔をした。表情豊かで結構なことである。表情豊かな子供は、感受性も豊だからだ。


「冒険者ならば、グロいのにも抵抗があるよな。モノを見せて、吐くのだけは止めろよ」


 フジミは、そう言って背中を見せた。



 裏組織の人間という割には、隙だらけの背中だった。その気になれば、私でも襲えそうだ。

 彼の実力が読めず、私は眉をひそめる。裏組織に所属し、上等な服を着ているということは成り上がるだけの何かを持っているということである。


 個人が成り上がるのに使うものは、大抵の場合は武力である。そのため、総じて裏社会の上層部は実力者が集まっている。だが、フジミの背中は実力者あるまじき隙があった。 


 私に隙を見せることが出来るほどの実力があるということなのか。それとも、上層部の誰かの威を借るキツネなのか。


 どちらにしても、子供ではあるが油断はあまりしない方がいい相手だろう。もっとも、本音としては更生させたい。子供が裏組織に属するのは、危なすぎる。


「おい、何をじろじろみてるんだよ」


 背中に目でもついているかのように、フジミは振り返った。そのことに少し驚いたが、表情には出さずに微笑む。


「いいえ。なにも」


 裏組織のフジミ。


 油断ならない子供であることは間違いない。


 人通りの少ない道を歩き続ければ、いつの間にか暗がりにたどり着いた。建造物と建造物の狭間にある暗がり。貧民層が住まう地域の入口のような場所である。ここから先には、表には這い上がれない人間たちが転がっている。


 そんな場所で、男が死んでいた。


 仰向けに寝かされており、顔がぐちゃぐちゃに潰されていた。発見されるまで時間が経ったらしく、蛆が卵を産み付けるためにたかっている。


 あきらかに他殺された死体である。


 しかも、かなりグロテスクな死体だ。潰された顔は鼻が陥没し、全体がひしゃげていた。歯で口の中を切ったせいなのか、血を吐いたかのようにも見えた。


「酷い死体ですね。ですが……これがなんなんですか?」


 表ならばともかく、貧民街に近い場所。


 こんなところに放置された死体を裏組織が、気にするとは思えない。殺された男事態が裏組織の関係者であるのだろうか。それにしては、フジミに余裕がある。


 末端の人間は違うだろうが、裏組織の人間が殺されたのならば騒ぎになるだろう。しかも、フジミの落ち着きようから言って、これは抗争の果ての殺人ではないようだ。


「この男以外にも、同じ方法で娼婦たちが殺された。しかも、娼婦のなかには俺たちの一族も混ざっている」


 シズクの肩が、ぴくりと反応した。


 一族ということは、殺された娼婦もシズクの親戚なのか。


「お前は、ラスティが他殺されたと騒いでいるよな。自殺した人間のことを調べる暇があったら、こっちを手伝え。お前だって、自分の一族を殺されたら悔しいだろう」


 フジミは、冷徹な目をしていた。


 温かみのない目は、闇の世界を生きる人間のものだ。けれども、シズクは違う目をしていた。


 死体に対して憤慨し、犯人を怨む目だ。


 誰が殺されてもシズクの怒りは変わらない。彼は、殺人という行為を憎んでいる。


「ラスティのことを調べるついでに何かがあったら、フジミに知らせる。それで良いだろ。この都市で起きた殺人は、俺は絶対に許さない」


 シズクの言葉に、フジミは目を伏せる。それは、少しばかり悲しそうだった。


「シズク。子供の特権とはいえ、馬鹿らしい夢を見るのはよせ。都市を富ませて、安全にするなんて無理なんだよ。人が多く住めば、都市には混沌が産まれる。その混沌を人は制御しようとするが、完全に手中に収めるのは無理だ。」


 それよりも、とフジミは続ける。


「自分の一族を守れ。お前の母親のような存在を作らないようにすることが、お前に出来る復讐だ。……お前の母親が守れなかったのは裏組織が、ひいては一族の力が衰退しているからだ。少しでもいいから、力を貸せ」


 フジミは、シズクの腕を取った。シズクは、簡単にそれを振り払う。


「俺は、俺の道を行くだけだ」


 シズクは、死体に近づいていく。


 彼も冒険者であるがゆえに、死体には慣れているらしい。無理もない。仕事中にエルフに殺される仲間を見るのは日常茶飯事だ。もっとも、ここまでグロテスクではないが。


「死因って、顔を潰されたからだよな。顔を潰されたら、人って死ぬのか?痛いから、死ぬんだよな……たぶん」


 死体にはおびえないが、色々と情けない考察が聞こえてきた。


 私も、死体に近づく。


「このぐらいの外傷ならば、人は死にませんよ。頭の打ちどころが悪かったのか。それとも、別の死因なのか」


 そういえば、同じ手法で娼婦が殺されたと言っていた。


 私は、死体をひっくり返した。さすがに嫌悪感を感じているらしく、シズクは顔をしかめる。虫の群がった死体はたしかに気味が悪いが、触れるのを躊躇うほどではない。


 ひっくり返した死体の頭を確認すると頭蓋骨が陥没していた。娼婦の死体がどうなっていたかは知らないが、同じように殴られているなら同じ可能性はある。


「ユージニア……。なにか分かったのか?」


 シズクに声をかけられたが、私は考えことをしていた。


 そして、遅まきながらこの場が殺人現場であることを思い出す。あまり長居をしたい場所ではない。


 死体が放置されたままということは、警察には発見されていないということだ。下手に死体を調べていることを見られて、いらない疑いをかけられるのは御免だった。


「離れましょうか。こんなところで、立ち話も嫌でしょうから」


 シズクは、死体に両手を合わせていた。


 見たことのない祈りの作法だった。

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