第6話診療所の冒険者

シズクが頬にかすり傷を負っているのを見つけたマットが「ドクターのところに行け」と東のほうを指さした。ドクターというのは、医者のことであろう。本来ならば、かすり傷程度では医者にはいかない。だが、エルフは毒矢を使うこともある。かすり傷でも油断はできない。


「……まぁ、ドクターのところには案内するつもりだったしな」


 シズクは渋々といった様子で、私と共にドクターの元へと向かった。ドクターの診療所は、都市の外れにあった。よっぽどの藪でないかぎりは、診療所は都市の中心部に作られる。中心部には富裕層が住んでおり、医者たちは彼ら相手に商売をしたいからだ。


 だが、ドクターは富裕層よりも冒険者や貧しい相手に商売をすることを選んだ。そのため、冒険者たちが都市の外に仕事に行っても帰りに寄りやすい場所に居を構えたのである。


「ここが、ドクターの診療所だ」


 シズクが案内してくれた診療所は、かなり小さかった。普通の一軒家の半分ほどの大きさしかない。一応、二階建てではあったので、それが救いといったところだろうか。一階部分だけなら、診療所と住居のスペースを分けるのには無理があるだろう。


「ドクター、エルフの弓がかすったから見てくれよ!」


 知り合いの家を訪ねる気楽さで、シズクは診療所の扉を開けた。


 診療所の室内には、鼻につく消毒液の匂い。医療施設特有の匂いなのだが、診療所内部は匂い通りの清潔さがあるとは言い難かった。


 床には消えない汚れが染みついており、待合室と思われる場所には大量の箱が積まれている。患者と思しき人間たちは、その箱に自由に座っていた。箱には何かが詰まっているようなので、椅子用に置かれた物という訳でもないのだろう。


「うるさいわよ!毒かもしれないから、ちゃんと優先してあげる。だから、大声で叫ばないで!!」


 診察室があると思しき、暖簾の向こう側。そこから、一人の男が蹴り飛ばされてきた。


 男を蹴り飛ばしたのは、少女である。


 小柄でありながらも、鉄火肌というべき勝気な少女だ。日によく焼けた肌が健康的であり、赤毛の三つ編みとそばかすの垢抜けなさが初心で可愛い少女だった。彼女は汚れの目立たない黒い野暮ったいワンピース姿で、シズクを手招きする。


 患者ではない私は、どうするべきか。


 待合室で待っているのか正しい選択なのか。


 そんなふうに迷っているとシズクに引っ張られる形で、私は診察室に入ってしまった。


「シズク。毒を受けたかもしれないという話ですね。念のために傷の洗浄をしますから。もっとも、そんなに元気ならば心配ないと思いますけど」


 椅子に座っていたのは、丸顔に丸眼鏡の温厚そうな男だった。尖ったところは何一つないというふうな雰囲気だ。


 くたびれた白衣を着ているせいだろうか。金儲けには興味がなく、貧しい者たち奉仕する善人そのもに見える。


「おや……。あなたは?」


 ドクターと思しき男は、私に気が付いた。ラスティの弟であると自己紹介すると、彼は驚いた顔をした。


「ラスティさんに双子の弟さんがいたんですね……。お兄さんは、残念でした。私が、お兄さんの死亡を確認した医者です。ユズリと言います。知り合いのほとんどからは、ドクターと呼ばれていますが」


 ユズリは、黒いワンピースの少女リリを呼び寄せる。


「こちらは、私の姪で看護師をやってもらっているリリです」


 リリは、ぺこりと頭を下げた。


 そのまま待合室まで小走りに走って行って「薬中とアル中は来るな!!ここには、あなたたちに使うような薬も酒もないんだから!!」と怒鳴り声をあげていた。


 待合室でも薄々感じていたが、この診療所の患者は品が良いとは言えない。リリは女だてらに、処方される薬や消毒に使うアルコールを狙う人間を追っ払う役割もしているらしい。


「リリには看護師の教育はもとより、医者としての教育もしています。将来は、この診療所を継ぐかもしれませんね」


 ユズリは楽しそうだが、なかなかに活気のある診療所になりそうである。そのころには私も冒険者を引退しているだろうから、世話になることはないだろうが。


「リリは、俺の幼馴染なんだ。昔は、そこらへんでよく遊んだ。あいつは女のくせに、俺の母親に捕まえたトカゲとかを見せに来ていたんだぜ。母さんがトカゲ嫌いだったから、しこたま怒られていたけど」


 シズクは「ケケケッ」と幼馴染の悪行を笑う。その悪童のような顔に、待合室から飛んできたスリッパが当たった。患者に対する態度ではないが、気安い関係だからこそ許されるものなのだろう。


「年頃の女の子をからかうのは止めてくださいね。身長だけならば、君も一人前の紳士なんだから」


 ユズリは、手早く傷の消毒を終わらせる。数種類の薬品を混ぜ合わせているという消毒薬は、エルフが使う毒によく効くのだ。適量を使うのが肝心なので、医療関係者しか使えないのが玉に傷だったが。


「なんか……今日は、染みる気がする」


 傷口を消毒されるシズクの言葉に、「女の子を揶揄うからですよ」とユズリは返した。


 ぶすっとしているシズクの顔は、一人前の紳士とは程遠い。

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