第11話 夫婦の苦悩
茶会があったその日の夜。
突然席を立ってしまったセイリスのことが気になり、猫に変身して様子を伺いにきたレヴィアだったが、
「お前か、久しぶりだな」
そっと窓から覗いていたところを早速セイリスに見つかってしまい、笑顔で部屋に迎え入れられてしまった。
いつもと変わらない猫への態度に、ホッと胸をなで下ろす。
もしレヴィアに不快感を抱いていたのなら、妻の飼い猫に対し、こんな嬉しそうな様子は見せないだろう。
ホッとしたのも束の間、すぐさま彼の手に捕まり、毛を櫛で梳かれてしまった。
梳き終わると、箱座りしていたレヴィアの背中に顔を埋め――
(ま、また吸われてる……)
息を吸い込み吐き出す音と、吐き出される息の熱さを感じながら、レヴィアは硬直していた。恥ずかしくて、尻尾で彼の頭をペシペシやりたくなる。
しかしここは我慢だ。
今日の茶会について、何か聞けるかもしれないのだから。
「あー……癒される」
セイリスは顔を上げると、非常に非常に満ち足りた表情を浮かべた。そして澄ました顔で箱座りしているレヴィアの頭を撫でながら、話しかけてきた。
「今日やっと、お前のご主人を、茶に誘うことができた」
(やっと?)
黒い耳がピクリと動く。
顔は壁を見ているが、全身を耳にしてセイリスの言葉に集中する。
「レヴィアが茶を持ってきてくれるとき、使わないティーカップを持ってきているのがずっと気になっていた」
ずっと――
トクンと心臓が高鳴る。
(私がカップを用意していたことに、気付いてくださっていたの? そして今日、お声を……)
頭の中が恥ずかしさと嬉しさでいっぱいになった。きっと人間の姿だったら、彼に顔を見せられないほど赤くなっているだろう。
レヴィアを撫でていた手が、不意に止まる。
声色に苦しさが滲む。
「私は覚悟をもって嫁いできた彼女に、侯爵夫人として必要最低限だけすればいいと言った。そして今まで必要最低限の関わりしか持ってこなかった。どう考えても酷い男だと思う。だが彼女は……そんな私に言ってくれたんだ。ここが自分の家だと。自分は私の妻なのだと――」
口ごもったセイリスの頬がみるみるうちに赤くなり、瞳が僅かに潤む。
「……レヴィアが女神だなんて聞いてない」
(私も初耳ですけどっ⁉)
過ぎる評価に、恐れおののくレヴィア。
何がどうすれば女神という評価が下るのか、全く理解できない。
レヴィアの頭から重みが消えた。セイリスが退けた手を自身の額に当てて俯いたからだ。手の隙間から見える肌は赤く、いつも彼の表情を覆い隠している氷壁は、ドロドロに溶けている。
はぁっと大きすぎるため息が部屋に響いた。
「本当に危なかった。あの時、急いで立ち去らなければ、嬉しさのあまり抱きしめて、そのまま持ち帰ってしまうところだった。ここ最近、レヴィアが歩み寄ってくれるせいで、どんどん気持ちが抑えられなくなる。彼女はただ妻としての役目を果たしてくれているだけだと分かっているのに……レヴィアといるのが楽しくて、用事がなくても領地に帰ってきてしまう……」
耳に入ってくる言葉は甘く、刺激的なものばかりで、レヴィアの頭の中が軽くパニックを引き起こしてしまう。
そして、
「……はぁ、私の好きが過ぎる」
というため息交じりの愛の囁きがとどめとなった。
ただ一つハッキリしたことがある。
セイリスが茶会のときに突然立ち去ったのは、少なくともレヴィアが不快にさせたからではないということだ。
後、タウンハウスにいることの多かった彼が、領地に戻ってくる回数が増えた謎も解明された。
代わりに、
(そのまま持ち帰ってって、一体どこに? 持ち帰って何をしようとされたのかしら?)
という新たな謎も増えたが。
しかし、冷たい声がパニックに陥っていたレヴィアの鼓膜を震わせた。
「このままでは彼女に迷惑をかけてしまう。利害の一致で嫁いできたのだ。私に愛されても……困らせるだけだ」
両手で顔を覆ったセイリスから零れ落ちる、悲痛な声色。
「バケモノである私に――」
(バケモノ?)
こんなに美しい彼の、どこがバケモノなのだろうかと思う。バケモノが何を指しているのかは分からないが、少なくとも彼の苦悩がここから来ているのかが分かった。
初めて出会った時、感情を見せないセイリスは恐怖の対象だった。
しかし猫好きの一面を見て彼に近付こうとしてから、表情から読み取れなくても伝わってくるセイリスの優しさを知ることができた。
(こんなに優しい人が、バケモノであるわけがないわ)
レヴィアは立ち上がると、セイリスの腕にそっと身を擦り寄せ小さく鳴いた。
声に気付いたセイリスは顔を上げると、泣きそうだった表情を少し緩ませ、無言でレヴィアの毛に顔を押しつける。
匂いを吸う音を聞きながら、ただされるがままになっていた。
そして思う。
(バケモノだと言うのなら……それは私の方)
目の前の猫が妻だと知れば、セイリスの優しさは失われてしまうだろうか。
恐怖で戦くときも、彼は氷壁を保っているのだろうか。
心の奥が苦しい。
苦悩する彼に対する気持ちか、それとも彼を騙している罪悪感からくるものなのか、レヴィアには分からなかった。
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