第12話 夫の体調不良

 あれから二ヶ月ほどが経った。

 相変わらずレヴィアはセイリスとの距離を詰めようと奮闘したが、あの氷壁を溶かすことはできなかった。


 だが、茶会の夜に夫の本心を聞いてから、彼の変わらない表情があまり気にならなくなった。


 むしろ、あの氷壁の下で今何を考えているのか想像するのが、少し楽しいまである。


 セイリスは、レヴィアに罪悪感があるせいで、気持ちを素直に表現できずにいるだけなのだ。もちろん、グラソンが言ってたように、恋愛に不慣れなのも理由の一つだろうが。


(まあ……私も人のことは言えませんけど)


 瓶に生けた花を見ながら、苦笑いする。


 昨日たまたま買ったのだとセイリスから渡されたのだが、レヴィアの好きな花なのは偶然なのだろうか。


 そしてこの二ヶ月の間に、タウンハウスにいる時間と領地にいる時間がすっかり逆転してしまったのは、偶然なのだろうか。


(それにしても、セイリス様は一体何を悩んでいらっしゃるのかしら)


 自分はバケモノだと言っていた。


 だから血を残す資格はない。

 そしてバケモノの自分に愛されても、レヴィアが困るだけなのだと。


 レヴィアもセイリスに呪いのことを隠していることに、罪悪感を感じるようになっていた。


 呪いのことを知った彼がどんな言葉を告げるのだろう。

 想像するだけでも、心臓が掴まれたような息苦しさを覚える。


 だから、この秘密を明かすわけにはいかない。


(絶対に――)


 気付けば、触っていた花弁が潰れそうになるほど強く握っていた。慌てて手を離し、手についた花粉を払っていると、


「奥様! 旦那様が大変でございますっ!」


 申し訳ない程度のノックをしたと同時に部屋に入って来たニーナの慌てた声が、部屋に響く。ニーナの言葉と様子を見て、レヴィアの顔色が変わった。


「セイリス様に何かあったの⁉」

「先ほどお戻りになられたのですが、凄い熱が出ておりまして……」


 ニーナの話が終わる前に、レヴィアは部屋を飛び出していた。

 後ろからニーナの呼び声がしたが無視してセイリスの寝室に向かうと、丁度医師が診察を終えて廊下の角を曲がった所だった。


 ノックをして部屋に入ると、グラソンがお辞儀をしながら診断結果を伝えてくれた。


「疲労による体調不良だそうです。特に悪いところはないため、数日安静にしていれば大丈夫かと」


 大事に至らず良かったとレヴィアは胸をなで下ろした。二人のやりとりをベッドの中で見ていたセイリスがぼやく。


「だから言ったのだ。大したことはないと。休んでいるはずのレヴィアまで巻き込んで」

「そんなこと仰らないでください! 妻として、夫の体調を気遣うのは当然です!」


 レヴィアのことを気遣った発言であることは分かっていたが、レヴィアは腰に手をあて、ベッドに横たわる夫に強い口調で言い放った。


 ふんっと鼻息を荒くするレヴィアを、セイリスが無言で見上げている。

 そして、


「済まなかった。心配をかけた」

「いいえ、いいのです。あなた様がご無事で本当に良かったです。それに巻き込んだなど仰らないでください。私たちは夫婦ではないですか」

「そうか」

「そうですよ」


 レヴィアは微笑みながら頷く。


 会話の相づちとして合わない【そうか】は、彼が照れているときや戸惑っているときに出る言葉だと知っていたからだ。


 さしずめ、夫婦と強調したから戸惑ったのだろう。


(何だか……可愛い)


 心の奥底から夫に対する愛おしさがこみ上げてくる。


 そんな二人の空気を読んだのか、グラソンが退室の挨拶をして部屋を出て行った。


 グラソンが出ていくと、二人っきりなのだと急に意識してしまう。


(な、何を話そうかしら……いえ、相手は病人なのよ。ここはゆっくり休んで貰うために、退室したほうがいいのかしら?)


 悩んでいると、不意に名を呼ばれた。


「レヴィア」

「はい、何でしょうか?」


 何か欲しいものでもあるのかと視線を向けるが、セイリスの口から次の言葉が中々出てこない。

 どうしたのかと不思議に思って待っていると、彼の唇が僅かに開き、すぐに閉じた。


 まるで何かを思い直したかのように――


「すまない。もう休もうと思う。だからあなたはもう部屋に戻ると良い」

「あ、はいっ! では退室いたしますね。何かありましたら、いつでも呼んでくださいね」

「大丈夫だ。何かあればグラソンを呼ぶ。あなたはゆっくり休んで欲しい」

「お心遣い、感謝いたします」


 礼を言いつつも、自分に頼って貰えず、少しだけ心がしょんぼりする。


 しかしセイリスも自分よりも、心が許せるグラソン相手のほうが、色々と頼みやすいだろう。それで彼が早く治ってくれるのならいいと思い直すと、レヴィアはドアの方に向かった。


 部屋から出る時、


「レヴィア、おやすみ」


 声をかけられ振り返ると、セイリスが僅かに体を起こし、こちらを見ていた。


「おやすみなさい、セイリス様。早く良くなってくださいね」

「ああ」


 そう言った夫の赤い瞳が僅かに細められたのは、見間違いだったのだろうか。


 だがもう一度レヴィアがセイリスを見たとき、彼はベッドに横たわり、表情を見ることはできなかった。

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