第10話 茶会
レヴィアは次の日から、セイリスと顔を合わせる機会があれば、挨拶や伝達だけでなく、できる限り会話をしようとした。
とはいえ、たわいのない話ばかりだ。
さらにセイリスは基本聞くだけなので、すぐに話題は尽きてしまい、会話が終了してしまう。
だが努力の甲斐あり、会話の時間は少しずつ長くなっていった。
彼が領地にいるときは、休憩を取るだろう時間に、レヴィア自らお茶を持って行った。
初めは使用人にさせればいいと断ったセイリスだったが、お茶を淹れるのが趣味なのだというレヴィアの押しに負け、今では受け入れてくれている。
その休憩に、レヴィアは同席しない。
密かに自分用のカップも用意しているのだが、それが役に立ったことはなかった。
(でもいいの。こうして私が淹れたお茶を、飲んでくださっているだけで)
それはきっと、自分を信頼してくれている証だから。
茶を淹れ、いつものように部屋を出ようとしたとき、
「レヴィア」
突然呼び止められ振り返った。
何か失礼があったのだろうかと不安が過ぎる。
だが、彼の口から飛び出したのは意外な言葉だった。
「いつもすぐに部屋を出るが、あなたは飲んでいかないのか?」
「え?」
「ああ、すまない。困らせるつもりはないんだが」
「いえ……そうではなくて……」
心の奥がキューっとなる。
どれだけ堪えようとしても、口元の緩みが止められない。
「ご一緒させて頂けるのが……その、う、嬉しくて……」
「そうか」
「じっ、実は……お声をかけて頂いた時のために、私用のカップも用意してまして……」
「そうか」
誘って貰った嬉しさに、思わず隠していたことまで話してしまう。セイリスの表情はピクリとも変わらないが、気持ちが高揚したレヴィアは気にならなかった。
「もしよろしければ、テラスで休憩なさいませんか? 庭の花が今、見ごろなんですよ」
「そうか」
「……セイリス様?」
「そう――ああ、すまない。テラスに出るんだったな。なら準備を頼んでもいいか?」
「勿論です! すぐに手配いたしますね!」
夫の相づちに違和感を覚えたレヴィアだったが、準備を任された嬉しさが上書きしてしまった。
ルンルン気分で部屋を出て、ニーナにテラスでのお茶の準備をお願いする。
アイルバルト夫婦が、テラスでお茶をする話はすぐに屋敷中に広まり、準備で慌ただしくなった。
(軽い気持ちで休憩しようと思っただけなのに……)
まるで高貴な客を招くような軽食や菓子、飾り付けを見て、レヴィアは頬を引き攣らせた。
「たいそうだな」
やってきたセイリスがぼやく。それを聞き、慌ててレヴィアは頭を下げた。
「も、申し訳ございません」
「いや、気にしていない。ただ驚いただけだ。ここで茶会を開くのは、父と母が暮らしていた時以来だからな。たまにはいいだろう」
とは言いつつも表情が変わらないため、本当に驚いたのかは分からなかった。
でも、誰も咎めない発言に、少しだけ彼の優しさを感じたような気がした。
席につくと、二人の前にお茶が出された。
しばらく無言でカップに口を付けていたが、出されたお菓子を食べたレヴィアが感嘆の声をあげ、状況は変わる。
「美味しいっ!」
口に入れた瞬間、広がる甘味に感動するレヴィア。
侯爵夫人として、感情を大きく出すことははしたないとされているが、それを忘れてしまうほど出された菓子の味に魅了されたのだ。
んー、と声をあげながら、甘味を余すことなく堪能する。
ふとこちらに向けられる視線を感じ、レヴィアは慌ててフォークを皿に置いて謝罪した。
「も、申し訳ございません。はしたない姿をお見せして……」
「気にしていない。そんなに気に入ったのなら、ある分全てを食べればいい」
「お、お気持ちは有り難いのですが、さすがにこれを一人では……私の弟妹がいれば、喜んで平らげると思うんですけど……」
「ああ、あなたには下に四人の弟妹がいたな」
「はい」
(実家の家族構成を、覚えていてくださったのね)
何だか嬉しくなって、饒舌になってしまう。
「恥ずかしながらディファーレ家は貧乏でしたから、こういった嗜好品には縁遠くて。稀にお客様から菓子を頂いた日には、争奪戦を繰り広げておりました」
弟だろうが妹だろうが、年上だろうが年下だろうが関係ない。
完全なる弱肉強食世界の中で繰り広げられていた戦いを思い出し、レヴィアは僅かに肩を振るわせた。
もちろん長女である自分は、少しでも弟妹に行き渡るよう身を引いていたが。
「ふふっ、こうやってお話していると懐かしいです。皆、今頃何をしているのかしら?」
「もしあなたが望むなら――」
セイリスの言葉に、珍しく空白ができた。
「ディファーレ家に帰ってもいい。もちろんあなたが必要な時には、こちらに戻ってきて貰うが」
「え?」
突然実家への帰省を許され、レヴィアは驚きの声をあげた。
「……それは私が、妻としてあなた様のお役に立てていないということでしょうか?」
「そういう意味ではない。あなたが侯爵夫人としてこの家をよく取り仕切ってくれていることは、皆から聞いている。ただあなたも、家族の様子が気になっているのではないかと思っただけだ」
自分の実力不足によってお払い箱になったわけでないと言われホッとした。表情からは伝わってこないが、純粋にレヴィアのことを気遣ってくれているのだろう。
実家はセイリスからの援助により、立て直しができていると手紙で聞いている。弟妹たちも満足に食べられ、かなりゆとりが出てきたとも。
なので今のディファーレ家に、何一つ不安を抱いていなかった。
「お気遣い、ありがとうございます。しかしお気持ちだけ受け取っておきます。だって私の家はここですから。そして私は――」
カップを持ち上げたまま手を止めたセイリスに、微笑んでみせる。
「ディファーレ家の長女ではなく、アイルバルト侯爵夫人――あなた様の妻ですから」
「そうか」
セイリスはカップの中身を一気に飲み干し、
「そろそろ仕事に戻る。あなたはここでゆっくりしていくといい」
それだけ言って、レヴィアの顔を見ずにさっさと立ち去ってしまった。
(ただのお飾り妻の分際で、ここを自分の家だと、セイリス様の妻だと発言して、気を悪くされたのかしら)
こちらを一度も振り返らずに歩いて行く背中に深々とお辞儀をしながら、セイリスの気遣いが嬉しくて、つい調子に乗ってしまったのではないかと不安に思っていた。
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